第2話 ソアリスの許婚・2

 セシルは大きく溜息をついて、下を向いた。


「私がこのような状態であるがゆえに、ソアリス様は国を抜け出て薬を探さざるをえなくなり、立場を悪くさせてしまいました。情けない限りです」



 立場を悪くした、というのは確かにそうかもしれない。


 ソアリスが国を抜けるなんていうことがなければ、ビアニーが今抱えているような問題は何も起きなかったはずだ。ウォリスがネーベルに来るなんてことはなかったし、そうなれば盗賊共も全滅していただろう。


 ステレアがどれだけやる気に満ち満ちていたとしても、ベルティの支援のないステレアが単独で持ちこたえるのも限界がある。一年、いや、二年もあればフリューリンクも陥落していたはずだ。


 ソアリスの不在が、ビアニーの進軍を遅らせているといっても過言ではないし、そのせいで色々と難事も起きている。実際にセシエルが目の当たりにしてきたことだ。



 とはいえ、ではソアリスがこの許婚を見捨てる、あるいは母親を通じて許婚関係をなかったことにするというのも問題がある。


 ソアリスがセシルを捨てた場合、抵抗感を抱く層が間違いなく出て来るだろう。特に女性には多くいるはずだ。


 ステレアをはじめとした敵対国がこうした情報を得れば、それで揺さぶりをかけてくる可能性もあるだろう。



 何より、ソアリス自身が見捨てたいと思っていないのだろう。


「ただ、そこはソアリス殿下も奇跡を信じて頑張られているわけですので」


「……仮に奇跡というものがあって、病気から回復したとしても、体の全てが元に戻るわけでもありません。私の体は色々と弱ってしまっておりますし、子を持つことも困難であるはずです」



「確かに……」


 それはセシエルを納得させるに十分すぎる理由である。


 全てではないが、結婚というのは子供を作ることを想定して行われる。


 特に王族や貴族の場合は、それが義務である。


 極論すれば、相手のことがどれだけ嫌いであっても、近い身分の相手との間に優れた身分をもつ子供をなすことが重要である。


 しかし、病魔で長く伏せているセシルは、その義務を果たせない。


 ということは、治ったとしてもソアリスには別の女性が必要ということになる。正妻の座を維持できたとしても、結局子供も出来ないし、他の女との子供がいるだけとなると、本人にしても辛いだけ、となりかねない。


「ですので、ヒュネペア様を通じて、許婚関係を破棄してもらいたいと何度もお願いしているのですが……」


「……そうなんですか」


 セシエルとしても返事に窮する話だ。



 ビアニー前王妃であり、ソアリスの母親でもあるヒュネペアが婚約破棄に乗り出さないのは、一つには国王と同じ理由があるのだろう。つまり、適当な相手がいない、という事実だ。


 ビアニー王家と釣り合うとなると、国内の大貴族の娘か、国外の王女クラスとなる。


 この王女というのが意外といない。


 レルーヴはそもそもそうした地位の者が存在しない。強いてあげるならネミリー・ルーティスだろうが、ルーティス家は貴族ではなく財を成した商人という立場だろう。


 ガイツリーンにもあまりいない。こちらも探すとすればピレントのエイルジェ、エリアーヌ、あとはステレアのリルシアくらいだろう。リルシアは敵対国だから論外だし、国を捨てたエイルジェも同じだろう。エリアーヌは候補になるかもしれないが、どちらかというとジオリスと仲が良い。


 以前、本人に対して冗談めいて言ったエディスに至っては、怨敵中の怨敵オルセナの王女である可能性がある。話に上がるどころか、存在すると知った時点で、一族総出で呪いの儀式でも始めるかもしれない。



 相手がいればセシルを蹴って乗り換えることができるが、相手がいないのなら、ソアリス本人の心情もあるだろうし「見つかるまではセシルを置いておくしかない」ことになるだろう。



 もう一つの理由として、イリード家の後継、つまりセシルの弟達がいるということだ。


 イリード家は伯爵位をもつ家柄であり、代々ビアニーでも頼れる将軍を出してきた家系だ。


 セシルの父たる前当主も娘同様に病弱で早逝してしまったが、息子は何人か残っている。最年長でも9歳でまだ戦場には立てないが、後々優秀な軍人となる可能性がある。


 そうなると、イリード家との関係を断つのはもったいない。


 もちろん、ソアリスとセシルの事情が事情だけに、恨みに持つことはないだろうが、許婚関係を破棄してしまえば赤の他人同士となる。


 これまた、明らかな代替候補がいるわけでもないのに、断ち切るのはもったいない、となる。



 結局のところ、極端な話、セシルが死ぬまでは今の関係を続けざるを得ない、というところもある。


 ただ、それを言うのはさすがに気が引ける。


「……これはラルスの話なんですけれど、イサリア魔術学院学長のレイラミール・アリクナートゥスの夫リューネティオスは魔力の暴走か何かでかれこれ10年、意識もなく眠り続けているそうです。それを妻のレイラミールはずっと世話しつづけているということで、それと比べたらセシルさんが殿下にかけている負担は小さいものですので、まあ……」


 別の事例を出して、慰めようとしたが、話をしているうちにどう慰めたら良いのか分からなくなってきた。


「……病気が治る奇跡に、体調も治る奇跡を信じないことには、必死に探している殿下も報われません。希望は捨てずに行きましょうよ」


 結局、見え透いた重みの無い言葉をかけるしか、セシエルには術がなかった。

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