第13話 セローフにて・2

 教会を出て、アテもない。


 仕方ないから港に停めてある船に戻ろうとしたら、市場の一角が随分とうるさい。


 何だろうと近づいてみると、同じことを思ったようで市民が数人、近くの酒場を覗き込んでいる。そのうえで「あぁ、またロキアス様だよ」と呆れたような声をあげて、あとは面倒ごとは避けたいとばかりに離れていく。


 それを見るに、ロキアスの乱痴気騒ぎはセローフでも日常的なことになっているらしい。



「ちょっと待っていて」


 フードを被っているとはいえ、エディスを乱痴気騒ぎの中に連れていくのはまずいだろう。セシエルはエディスを待機させて、自身が目深に帽子をかぶって酒場の中へと入っていく。


 中は一部を除いてがらがらだ。その一角、一番良い席と思しき場所には十人ほどの、いかにも雰囲気の悪い男達がたむろしている。


 ただ、以前すれ違ったクビオルク・カラバルと比べると軽い雰囲気を感じる。良くも悪くも軽い人間のようだ。


 その中央に白皙の美貌を称えた青年がいる。頬は僅かに赤く染まり、酒を飲んで息を吐く度に、伸びた金髪が微かに揺れている。


(あれがロキアスか)


 確かに美男子である。美女という点ではエディスがいるが、美男子はさほど見ていない。ビアニー王家のジオリスやソアリスは中々の顔立ちだが、それでもロキアスと比較すれば外見だけなら劣るように感じた。


(とはいえ、こんな感じで酒に酔っているようなら相手しない方がいいだろうけど)


 セシエルはそう思って帰ることにした。


 容姿を確認したので目的達成、さっさと出ようとしたのだが、ここでは周囲に誰もいないことが災いとなった。見咎められてしまったらしい。


「おい、そこの坊主、せっかくだからこっちに来いよ」


 ロキアスの声が飛んできた。酒場の中には彼の一味以外には誰もいない。となれば、「そこの坊主」というのは自分以外にいないだろう。


(面倒だなぁ)


 と思ったが、無視して逃げるともっと面倒なことになるように思った。


 やむなく、「何か御用でしょうか?」とばかりに頭を下げる。



「おまえ、どこから来たんだ?」


「はい、スイールのエルリザからです」


 ハルメリカから来た、といえば面倒になるかもしれない。


 聞かれれば自分の素性である”ティシェッティ公子”であることを明かすつもりで正直に答えることにする。


「スイールからとは珍しいな。せっかくだから一杯つきあえよ」


 ロキアスは見た目も良いが、声も中々朗らかでよく伸びる。今現在、絡むように話しているのはいただけないが、そうでないならば、仮に酒に酔っていなければ男性として相当ポイントが高いように思った。


「すみません、あまり手持ちがないのですが」


「阿呆が。俺様が来いと呼びかけて、払わせるなんてあるかよ」


 ロキアスはそう言ってガハハと笑った。


「それでは、失礼します」


 早く終わってほしいなぁと思いつつ、セシエルは近づくことにした。何かあったら「エディス!」と大声で従姉の支援を仰ぐつもりである。もっとも、気ままなエディスのことだから、助けを求めた時には近くで別のことをしている可能性もあるのだが。



「おう、飲めよ」


 近づいたセシエルに渡すためのグラスを置いて、そばのワインボトルを逆さに傾ける。たっぷりと注がれた赤いワインを見て、憂鬱な気分になった。


 仮にロキアスが気持ちよく飲ませてくれるのなら、この酒場に自分以外の第三者がいないということはありえない。である以上、とことん酔うまで飲まさせるつもりなのだろう。


 げんなりとなった瞬間、閃くことがあった。


「セローフでは、エルリザから来た者をこのように酔わせるのでしょうか?」


「あぁ?」


 気分良くなっているようで、急に口を挟まれたことに不機嫌な顔になる。


「エルリザからは、ハルメリカに行く者は多々あれども、セローフに行く者はそれほどいないと聞いております。皆がこのような扱いを受けるのでしょうか?」


 スイールとレルーヴの交易は盛んであるが、その八割以上をハルメリカが扱っている。


 最たる理由はハフィール・ミアーノとネイサン・ルーティスの親友関係によるものだろう。スイールの重鎮とハルメリカ市長が親しい関係で、積極的に交易していたため、他家も「ハルメリカの方が楽だ」と乗ってきたのである。


 しかし、そうした個人的な理由の全てをセローフが把握しているわけではない。セシエルの言葉は、ロキアスの不遜な態度がエルリザとセローフの交易を現象させている、ということを示唆していた。


 それが事実であるとロキアスにはまずい。


 ムスッとした様子で、ワインを自分の手元に寄せた。


「何だ、おまえ。俺様のせいで、セローフとエルリザの関係が悪いとでも?」


「そんなことは言っていませんが、たまたまセローフに来て、いきなりこんな目に遭ったのでは、二度とセローフに来たいとは思わなくなります」


 ちょっと言い過ぎたかな、と思った。周りの連中が殺気立てば、攪乱の火花でも起こして逃げようという気になってくる。


 幸い、ロキアスはここでは紳士然と振る舞った。


「……飲めない奴に無理に勧めるつもりはねえよ」


 とワインを引っ込めて、セシエルの顔を伺う。


「随分とはっきりした物言いをする奴じゃないか。さぞかし名のある家の出なんだろうな?」


 家を確認するということは、根に持っているということである。


 家格が見合わないと考えれば、リンチにかけるつもりだろう。


 その点では、セシエルはあまり心配していない。



「ティシェッティ公ジャンルカの三男でセシエルと申します」


 答えると、ロキアスも含めた周囲が一瞬、沈黙した。


 威嚇するような視線を向けていた隣の大男が周りに怒鳴る。


「おい、おまえら、水でももってこないか」


 そう言って、ロキアスの隣のテーブルを布巾でふいて、媚びを売るように言う。


「そうとは知らず失礼しました。どうぞこちらへ」



 あまりの効果にセシエルが呆れてしまった。


 三男とはいえ、スイール第二の家格は大きいものらしい。

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