第5話 オルセナ王子の死
サンファネスを出発したコレイド部隊は、無言のまま粛々と進軍していた。
その二日前、出発の直前。
参謀役として帯同しているツィア・フェレナーデが全軍に指針を伝える。
「今回、オルセナ軍はサンファネス内部で混乱が起こると想定している」
エディス・ミアーノが捕らえた魔道士達が何かを起こす予定であった。
全員が斬首された今、それが何であるかは分からないが。
「だから、ある程度の距離までは無警戒に近づいてくるはずだ。そこで先手を打つ。先手を打って奇襲を仕掛けて混乱に陥れる。あわよくばその混乱を突いて、相手総大将ブレイアンを仕留める」
敵の総大将を仕留める、という言葉に全軍が沸き上がる。
ここにいる軍の多くはアロエタで虐殺された者の縁故者である。
彼らが望むことは、1人でも多くのオルセナ人を殺すこと、特にその総大将を殺すこと、だ。
もっとも、そんな彼らにも疑問はある。
「あのツィアという男は何者だ?」
ということである。
ツィアがフラーナス兄妹と共にアロエタにやってきたのはほんの二か月弱ほど前の話だ。
そこから、何故かコレイドの重鎮であるかのように振る舞っている。
アロエタを襲撃した魔道士達をエディスとともに捕まえるという殊勲を挙げたとはいえ、彼が全軍を仕切ることに疑問の声がないではない。
しかし、そうした声が大きくなることはない。
コレイド王を名乗るサンファネス領主ペドロ・アンジェルスが全面的に支援しているからだ。
では、ツィアはどうやって、コレイド王ペドロの信頼を受けたのか。
これは単純な話で、自分がビアニーの第四王子ソアリス・フェルナータであると彼だけに明かし、納得させたからだ。
オルセナ王家を憎むことにかけて、ビアニー王家の上を行くものはいない。
度重なる蛮行や虐殺被害を受けているコレイドでも、それは疑うことのない事実だ。更にソアリス・フェルナータといえば優秀をもって知られている。
故に、コレイド王ペドロは一連の復讐活動をツィア・フェレナーデに任せ、彼はコレイド地方各地から頼れる兵士を募るための手紙を書き続けていたのである。
この役割分担が実る時が近づいてきている。
出発した翌日、シルフィが合流した。
「エディス姫は帰ったよ」
「よくやってくれた……」
ツィアは無表情にシルフィを労う。
シルフィは目を丸くした。そんな反応は予想していなかったようだ。すぐに「協力してもらった方が確実にオルセナ軍をたたきのめせるんじゃないの?」と確認してきた。
彼女の言う通りだということは理解している。
しかし、ツィアは「とんでもない」と微笑した。
「俺達は血で汚れているし、これから更に汚れすぎる。そんなところに、あんな美姫がいて良いものでもないさ」
「えー、それって、あたしはいても良いってこと? 無茶殺伐なのはご勘弁なんですけどー」
シルフィが口を尖らせたので、ツィアは笑う。
「もちろん、君も居合わせなくて良いさ。ただ、オルセナ軍が通過したら教えてほしい。そのままそこで待機してもらって構わない」
シルフィの隠密能力は高く評価している。彼女がオルセナ軍の通過を見極め、合図を送れば、準備万端で奇襲攻撃を仕掛けられる。
予定通りの行程で、ツィア達は森林地帯に潜み、敵を待つ。
これまた予想通り、二日後の夜間にシルフィからの合図が見えた。高台からの特徴のある狼煙である。
英気を養い、およそ一日。
森林の外に見える街道をオルセナ軍がだらけた様子で歩いていた。
オルセナ軍の意識はサンファネスに向いている。街で混乱が起きれば叩くだけという認識だ。今、ここで襲われるなど夢にも思っていない。
「かかれ!」
号令一家、街道の両側からコレイド兵が襲い掛かった。
「な、何だ!?」
大混乱のオルセナ軍を、復讐に燃えるコレイド兵が縦横無尽に切り裂いて回る。
その間、ツィアはブレイアンの姿を探す。
敵の総大将なら、おそらく隊列の中ほどにいるだろう。
予想が的中した。白い馬、ボロボロのオルセナ軍には不釣り合いな白馬に乗るきらびやかな男が見えた。
「いたぞ! あの白馬だ!」
ツィアが声を出すと、命知らずの者達……どうやらアロエタのごくわずかの生き残りらしい……が、ものすごい勢いで走り出す。
オルセナ側も危機感を抱いたようだ。
「殿下、危なくございます!」
近侍の者がブレイアンに下がるよう促す。
どうやら、ブレイアンもそうするしかないと理解したようだ。
「くそっ! 撤退だ!」
叫んで、白馬を翻らせた。そのまま、味方を跳ね飛ばしながら後退していく。
オルセナ軍に、「殿下を命懸けで守ろう」という発想はない。
しかし、無気力ゆえに逃げまどうことはない。進路を塞ぐのでブレイアンを追いかけるには邪魔だ。
距離が開いた。
このままでは逃げられる。
ツィアは魔力を集中した。それほど大きな魔力を使うことはできない。エディス・ミアーノのような真似はとてもできない。
それでも、それなりの魔力はあるし、サルキアに次ぐ成績を残した知識はある。
魔力の矢を作り、ブレイアンがまたがる馬を仕留めることくらいはできる。
「行け!」
ツィアが魔力の矢を飛ばした。それが正確に馬の尻に突き刺さり、馬はたまらず飛び上がってブレイアンを振り落とす。
「おのれぇぇぇ!」
憎悪に満ちた叫び声があがり、3人のコレイド兵がとびかかる。
激しく紅い花が舞い散った。更にオルセナ兵がコレイド兵に切りかかり、血しぶきが舞い散る。
1人の敵に対して3人の勇士が死んだ。
しかし、大きな目標は果たされた。
2時間が経過した。
オルセナ軍は大混乱の中逃げていった。
ブレイアンであったもの、そして命を捨てて仕留めたコレイド兵達は、逃げ惑うオルセナ兵に踏みにじられた状態で発見される。
ツィアは静かに見つめていた。
予想していたような高揚はない。「終わった」という思いだけが灰色の雲のように心の中を覆う。
「母上、エウリス兄上、やりましたよ……。セシル、ジオリス、俺は勝ったぞ」
この場にいない親族と許婚に心の中で告げると、ふと空を見上げた。風で雲が流れている。
長い憎悪の歴史を、自分の手で終結させた。
しかし、それも結局はこの空を流れる雲のようにすぐにどこかに消えてしまうのだろう。
ボロボロのブレイアンの開かれた目を、ツィアは無言で閉じた。
囁くように言う。
「俺もいずれは、あんたと似たような死に方をするだろう。待っていれば良いさ」
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