第80話 悪人は、殺生簿に一つ一つ名を記す

「さて……歯が2、3本無くなってしまったが、話せないはずはないよな。それで、訊くんだが……今回の一件、誰の入れ知恵だ?」


「…………」


「おやおや?許してほしかったんじゃないのか。だったら、質問に素直に答えないとどうなるのかはわかるよな?」


ヒースはハインリッヒの胸ぐらを掴み、もう一度殴ろうとする。


「先に言っておくが、この場所はおまえに怒りを覚えている皆さんの協力を得て、誰も近づけないようにしてあるから、いくら待っても援けは来ないぞ。特に、そこにいるルドルフなどは、おまえを殺せとしつこく言うくらいでなぁ」


「え……?」


さっき止めてくれたので、味方だと思っていたのだろう。ハインリッヒはルドルフを見て言葉を詰まらせた。そして、ルドルフもその言葉に意図を感じて何も言わないから、それが本当だと信じる。


「次は、永遠に動かなくなるまで殴り倒すのみ。それで、どうする?ワシとしては、そこのルドルフの勧めに応じて、このままおまえを殺したいんじゃが?」


「ハ、ハーマンだ。今回のことを提案してくれたのは……」


このままでは本当に殺されると感じて、ハインリッヒは怯えながらヒースの質問に答えた。


それは、王太子付きの侍従官の一人。囮の暗殺計画であげたハインリッヒを支える者のうちの一人でもあるが、その父親はルクセンドルフ伯爵家の領地と境を接する中立派の貴族でもあった。


(確か……昨年、領民がうちに移住する者が多いからと文句を言ってきた子爵家の者か……)


王都での猟官活動に勤しむあまり、その資金を集めるために領民に重い税を課していたのだから、逃げられて当たり前なのだ。それなのに、そっちの税が安すぎるから悪いとか、自分勝手なことばかりを言っていた阿呆の家だとヒースは記憶していた。


但し、余りにも腹が立ったから、子爵領のため池の堤防を半分ほど爆破してやったらもう来なくなったので、この問題は解決済みのはずだったが。


「それで、そのハーマンはおまえに何と言ったのだ?」


「……ルクセンドルフ伯爵の増長は目に余るものがあるから、嫌がらせをしろと。ただ……そのためには情報がいるから、姉上を洗脳してスパイに仕立てればと……」


「いつ洗脳したのだ?」


「初めは夏休みだ。学院に入学するにあたって色々教えてもらいたいと言って、王宮に呼び寄せてそこで……。ただ、一気にやると精神に異常をきたしかねないと先生が言うから、会う機会があるたびに少しずつ……」


その言葉で、ヒースは家庭教師のアグネス女史が共犯だと断定して、殺生簿に名を記した。ハインリッヒが「先生」と呼ぶのは、その者しかいない。


「卑劣な奴だな。ハーマンの目的は、このワシへの嫌がらせだろうが、おまえは一体何がしたかったんだ?実の姉を洗脳して……おまえは一体何を求めていたのだ?」


その時点でヒースとハインリッヒとの間には接点はない。ゆえに、ハーマンやアグネスがいくら何を言ったとしても、誘いに乗る理由が乏しいようにヒースは感じていた。だが……ハインリッヒは憎しみを込めて言った。


「それは、おまえが姉上を妾に囲ったからだ!姉上が身分を偽らざるを得ないことに付け込んだこの卑劣漢が……おまえにだけは卑劣だのとは言われたくはないわ!」


第2夫人云々や婚礼後にアルデンホフ公爵家の継承とか言った話は、まだ公にはなっていない。後者のことなどは、ヒースも知らない話である。


しかし、ハインリッヒは全てを知っているのだ。ゆえに、ヒースが自身の栄達のために無理やりルキナを毒牙にかけようとしていると思い込んでいた。本当は婚約者がいるところに無理やり割り込もうとしたというのに。


「おまえになんぞに、姉上は絶対に渡さないんだ!例え洗脳してでも、それが姉上のためなんだ!」


ハインリッヒは全く悪びれずにそうヒースに主張した。そして、行く行くは完全にヒースのことなど忘れさせて、王国の然るべき貴族に嫁がせて幸せになってもらう手筈になっていたと。


「なるほどな。おまえの気持ちはよぉーくわかった。それで、おまえがルキナの相手に選んだのは誰だ?」


そこまで手筈を整えているのなら、その辺も決まっていたのだろうと訊ねると、ホルメス伯爵の世子だと告げたハインリッヒ。殺生簿にまた新たなる名が追加された。


「まあ……大体事情はわかった。だが、事がここまで大きくなったからには、『ごめんなさい』で済むとは思っていないよな?」


「……何を言っている。俺は王太子だ。何の問題があるのだ?」


どうやら、この王子は自分の行いが王国を二分する内乱の火種になっていることに気づいていないらしい。だから、まずはそのことを理解させるために、ルドルフに状況を話してもらうことにした。


「ば、馬鹿な……。なんで、子供の喧嘩なのにそんな話になってるんだ?」


ヒースが言えば、やはり信じなかったかもしれない。しかし、この国の重鎮であるティルピッツ侯爵の嫡孫の言葉は重く、そしてその内容が内容だけに戯言と笑い飛ばすわけにはいかなかった。


そして、ヒースの言うように、最早、謝って済むような話ではなくなっていることをハインリッヒは理解した。


「ど、どうすればいい……」


ついさっきまで、卑劣漢だのと言っていた相手だが、そんなことを言っている場合ではないことに気づいて、ハインリッヒはヒースに解決策を請うた。すると、彼は言う。


「これからおまえには予定通りに病気になってもらう。そうだな、半年ほど眠ってもらおうか。そうなれば、おまえの代わりの者に責めを負わせることができるからな」


「え……?」


ハインリッヒは何を言われているのかわからずに、戸惑った仕草を見せた。ヒースはさらに説明した。


「つまりだ。今回の一件は、バルムーアの手先となったハーマンが宮内大臣のホルメス伯爵とおまえの家庭教師であるアグネス女史と謀ってたくらんだことにするのよ。あいつが【洗脳】スキルをおまえやルキナに使ったことにしてな」


そうなれば、ハインリッヒは被害者ということになる。しかも、真偽を確かめようとしても、そのスキルの負荷によって昏睡状態になっていればどうすることもできない。そして、半年後に目覚めたときには全て解決しているというわけだ。


「しかし……【洗脳】のスキルはハーマンではなく、俺に……」


「ああ、それならさっき首がチクリとしただろう。封印させてもらったから、ステータスを調べられても最早誰にもわからんさ」


だから、「安心して眠ってくれ給え」とヒースは言った。すると、急に瞼が重たくなるのをハインリッヒは感じる。だが、彼にはまだ聞きたいことが残っていた。


「ま、待て……姉上はどうなる?」


洗脳されたとはいえ、ヒースを裏切ったのだ。この残忍な男がこのまま許すとは思えず、ハインリッヒは迫りくる睡魔に必死に抗いながら、答えを聞き出そうとした。


ヒースはにたりと笑みを浮かべてこう言い放った。


「もちろん、お仕置きは必要だな。だから、目が覚めた時、お腹が大きくなった姉に訊ねてみるといい。このあと、どうなったのかとな」


その言葉に「ふざけるな」と思いながらも最早口にすることも敵わない。無念の気持ちを抱えたまま、ハインリッヒは意識を手放したのだった。

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