第40話 悪人は、天使の姿で暗殺を仕込む
「……なるほどな。これでは確かに葬儀に出席することは叶わないな……」
翌朝、医師から報告を受けたのだろう。お見舞いと称して自分のやったことの成果を確認するために訪れたゲオルグが呟いた。見下ろす先には、意識を失ってしまったオットーが横たわっていた。額からは止めどなく汗が流れ、顔色も悪い。
「伯父上……父上は大丈夫なのでしょうか……」
そんなゲオルグの上着の裾を掴むヒースは、瞳に涙を湛えながら訊ねた。その見た目が天使のように可愛いこともあってか、ゲオルグの中で多少の罪悪感が目覚める。だから、つい気休めの言葉を言うために、ヒースの目線に合わせるために膝を折った。
「大丈夫だ。きっと、じきに良くなるよ」
もちろん、これは嘘だ。明日にはあの世に旅立つようにと、好物だったビーフシチューに毒を入れたのだ。万に一つも助かる見込みはない。
「本当ですか……?」
だが、相手は子供とはいえ、ここで悟られるわけには行かない。とても不安そうに見つめるヒースに、「また来るよ」と言って立ち上がると、そのままこの部屋から立ち去ろうとした。
「伯父上……!」
そんなゲオルグの足にヒースが後ろからしがみついてきた。振り返って見下ろすと、「行かないで」と震えるような小さな声で訴えかけてきた。爪を立てているのか、少し痛みも走る。
しかし、力づくで振り切るわけにもいかない。不憫な思いもあるが、それ以上にこの子は伯爵家の世子でもあるのだ。無碍に扱うのは得策ではない。だから、どうしたものかと思っていると、外からゲオルグを呼ぶ声が聞こえた。その声はヒースにも聞こえたらしく、膝にまとわりついていた小さな手が離れた。
「また来るよ」
ゲオルグはもう一度、これから父を失う可哀そうな幼い甥に告げると、そのまま足早に部屋を去った。後ろでヒースがニヤリと悪魔のような笑みを浮かべたことに気づかずに。
夕方、葬儀が無事に終わり、パウルは父フリードリヒの部屋を訪れていた。今後の話をしたいからとゲオルグに呼び出されたためだ。だが、それは決着をつけるためだということは理解している。
ゆえに、腰に佩びている剣を抜いて待ち構えていた。
ここでゲオルグを問答無用で斬り捨てる。兄に毒を盛り、それを見抜いた父を逆上して斬り殺したゲオルグを成敗した——この筋書きで自分が侯爵になるために。だが……
「兄上、お話というのは……えっ!?これは一体どうして!」
それは全てを知るパウルから見ればワザとらしい、見るに堪えない演技だ。だが、パウルの後ろにはフリードリヒの斬殺死体があり、ゲオルグの後ろには侯爵家の重臣たちと護衛する兵士たちがいた。そして、自分の手には抜身の剣が握られている。
「お、おい、待て。これは違うんだ。そうだよな、ゲオルグ。何か言ってくれよ……」
この状況では、誰がどう見ても自分が父を殺したようにしかみえない。尤も、実際にはそうなのだが、それは目の前にいるゲオルグも承知しているはずだった。しかし、そのゲオルグは悲しそうに告げるのだった。
「兄上……そんなに父上のことが憎かったのですか!?」
以前、一方的に好意を寄せていた平民の娘を攫おうとして咎められたことを持ち出して、そう弾劾するゲオルグ。その話は皆も知ることだけに、居合わせた重臣たちも眉を顰めた。
「それで逆恨みをしてこのような凶行を……」
「ちがう!」
重臣の一人が呟いた言葉に反応して、パウルは声を荒げた。だが、同時に気づく。最早、何を言っても無駄だということを。つまり、ゲオルグの仕掛けた罠にはまったということを。
「こうなったら、仕方ない!」
パウルは開き直って剣を振るった。ここにいる全ての者斬り殺すしか自分が生き残る道はないと考えて。そして、それは決して的外れなことではなかった。もし、成し遂げることができれば、全ての罪をゲオルグに擦り付けて、何食わぬ顔で侯爵になることもあり得た未来だ。しかし……
「ぐふっ!」
無情にも幾多の槍が彼の体を貫いた。脳内に描いていた夢は次第に色を失い、やがて泡がはじけるように消えた。
「ああ……父上。おいたわしや……」
そして、床に崩れ落ちた兄の亡骸に見向きもせずに、ゲオルグは父の亡骸に駆け寄り縋りついた。
「父上……何も心配なさることはございませぬぞ。この侯爵家はこれよりこのゲオルグが受け継いでまいりますゆえ……」
だから安らかに眠りについてくださいと、ゲオルグはフリードリヒの冷たくなった左手をギュッと握りしめて誓った。その姿に重臣たちの中には不審な目を向ける者もいる。当然だ。世子ジークハルトの異変から今日のパウルの凶行に至るまで、あまりにもゲオルグに都合の良いように進んでいるのだ。
だが、そのことを指摘する者は誰もいない。対抗馬となり得るのは庶子のオットーだが、医師の見立てでは明日をも知れぬ身だと聞く。そして、その子ヒースはまだ7歳で、目の前のゲオルグに対抗するには幼過ぎるのだ。ゆえに、すでに決着がついたとして彼らは口を噤み、頭を垂れた。ゲオルグを新侯爵として受け入れるために。だが……
「あれ?」
突然、そのゲオルグの口から一筋の血が漏れた。しかも、それは止まることはなく、それどころか勢いを増していく。
「ゲオルグ様!?」
幾人かの重臣たちが異変に気付いて駆け寄るが、そのときにはすでに目の焦点はあっていなかった。
「おい、誰か医者を!」
廊下に駆け出した兵士か、あるいは重臣か。大きな叫び声が木霊した。
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