第110話 悪人は、予想外の展開に……
3つの領地の境界が重なるのは、厳密に言えばセノール山の山頂である。そこから三方に伸びる尾根がそれぞれの領地の境界線となっていた。
そして、ルクセンドルフ領とブレンツ領の境界線において、行き来が可能であるとするならば、この峠であろうと確信して、ヒースはそこから少し下った平坦な場所に陣を張った。草木に覆われて埋もれているが、関所らしき廃屋の存在が、ここに道があったことを示していたのだ。
ただ……到着してからしばらくして、なにやら様子がおかしいことに気づく。金属が交わる打撃音、それ自体は山賊と戦うという話なのだからおかしくはないのだが……よく耳を澄ませていると、たかが山賊と戦っている割には、音が大きい。
「テオ、なにやら様子がおかしいようだ。見に行くぞ」
今回、エリザはこの地に連れてきていない。【揚羽蝶】の忍びたちも、彼女の指示の下でエーリッヒの探索に力を注いでいて、この場にはいない。
ゆえに、こういう状況では自身が動くしかないと判断して、ヒースはテオとわずかな騎士を伴い、国境である峠の頂上まで駆け上がった。すると、眼下に見えてきたのは、ブレンツ男爵家の旗とヴォルフェン子爵家の旗を持った軍勢同士が切り結んでいる光景だった。
(これは一体……どういうことだ?)
山賊討伐を三家合同で行う。……そう聞いていたヒースは、首をかしげた。なぜ、味方同士で戦っているのかと。だが、ヒースらが峠に現れたことに気づいたのだろう。一人の騎士が飛んでくる矢をかいくぐりながら、ヒースの前にたどり着くなり跪いた。
「某は、ブレンツ男爵家に仕える騎士、リュッカーと申します。恐れながら、我が方は越境したヴォルフェン子爵軍の攻撃を受けております。どうか……援護をしていただくわけには……」
騎士リュッカーは、「何卒」と顔を上げてヒースを見た。どうして戦いになっているかはわからないが、男爵軍の方が劣勢なのだろう。その目からは、必死さが伝わってきた。
「閣下……これは、明らかなヴォルフェン子爵の侵略行為です。躊躇う必要はありません。全軍で坂を下って加勢しましょう」
そして、その姿は正しく騎士をしているテオの心を打ったのだろう。分を弁えずに、ヒースに対して決断を迫った。当然だが、ヒースはムッとして、主君の決断に口を挟むとは何事だと怒鳴りつけようかと思ったが……
「テオ様!ダメでしょ!いくらヒース様と兄弟同然に育ったのだとしても、この場で公私を弁えずに出しゃばっちゃ!」
彼の側にて控えていた子供の形をした従者が……テオを𠮟りつけた。
(いやいや、おまえも従者なら、仕えている騎士にそんなことを言っちゃダメだと思うが……)
その言葉の内容は確かに正しいが、ヒースは呆れるようにその子を見た。すると、その視線に気づいたのだろう。男の子は、「ご無礼いたしました」とヒースに頭を下げた。だから、ヒースは思わず訊ねてみた。「なにを無礼したのか」と。
「構わぬから、申して見よ」
通常ならば、騎士の従者が伯爵家の当主に直に話すことなどやってはならないことだ。ここに来るまでの道中に一度短い会話を交わしたのだって、下手をすれば主である騎士ごと処罰されても不思議ではない。
しかし、この男の子は答えた。
「ボク……いえ、わたしは、閣下がテオ様にお叱りの言葉を与えようとされているのを妨げてしまいました。つまり、閣下の思惑を阻害したことになります。これは、無礼以外の何物でもございません」
ゆえに、自分の首で足りるかはわからないが、そのことを謝罪させていただいたという。あとは好きなようにご処分くださいと付け足して。ただ……その言葉を聞いたテオは青ざめた。
「閣下!悪いのはこのわたしです!どうか、エーリッヒをお許しください!どのような処罰でも甘んじてお受けいたしますので!!」
そう言って土下座をして許しを請うテオを見つめて、いくらなんでもこんな小さな子を感情に任せて斬首にするわけないだろと、ため息をつきかけるが……
(ん?)
今、テオが言った言葉にヒースは引っ掛かりを覚えた。そういえば、エリザが言っていた死んだ父親の愛人の名は何であったか……その辺りを含めてようやく思い出した時、自然と口から問いかける言葉が出た。
「なあ……おまえ、名をエーリッヒというのか?」
「はい、そうですが。それが何か?」
やはり、この子は面白いとヒースは思う。今さっき謝ったばかりだというのに、伯爵たる自分に「それが何か?」ってどういうことだと、つい本題から逸れて追及したくなる。だが、今はそんなことよりも確認すべきことがある。
「なあ、エーリッヒよ。おまえ、このような絵柄が入った短剣を持っていないか?」
ヒースはそう言って、自身の下げている剣の鞘を見せる。そこには、ルクセンドルフ伯爵家の紋章が入っていた。
「はい、持っていますが」
エーリッヒはヒースと同じように、腰に下げている短剣を見せた。なるほど、そこには確実に同じルクセンドルフ伯爵家の紋章が刻まれていた。
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