第109話 悪人は、青臭い正義を否定する

「いやあ、アーベル君はホントいい子ですね。何も言うことはありませんよ。すべては閣下のおかげですな。ありがとうございます」


「…………」


「ん?どうしました、閣下」


「……つくづく、思い通りに行かぬものだよとなぁと」


「はい?」


「……いや、何でもない」


翌日。領都を出立して、指定された北西部の山岳地帯に向かう道中で、ヒースは馬上でいささか拗ねたように言った。本当であれば、妹・カリンの恋人を認めることができずに醜態を晒した挙句、「お兄ちゃんなんて大っ嫌い」と言われて落ち込むテオを見るはずだったのに……と。


無論、そのことは意地にかけても口にするわけにはいかないが、ヒースは思い通りに行かない人生を心の底から呪った。そして、王都に帰ったら、転生条件の詰めを誤った駄女神にたっぷりとお仕置きをしなければと誓う。八つ当たりだ。


「ところで……今回の作戦ですが……」


だが、そのような主の心の内を知る由もなく、テオが「全く違う話題」でヒースに声を掛けてきた。その表情に真剣みを感じたこともあり、ヒースは意識を切り替えた。


「どうした?何か心配事でもあるのか?」


「……もし、山賊たちが『ヴォルフェン子爵領』に逃げ込んだ場合ですが、いかがなさいますか?」


ブレンツ男爵から聞いていた事前の段取りでは、原則それぞれの領内において殺すなり捕えるなりすることになっていた。


しかし、テオが言っているのはそのようなことではなく、一旦ルクセンドルフ伯爵領に逃げ込んだのちにヴォルフェン子爵領へ逃走したら、どうするのかということだった。追うのか、それとも追わないのか……。


「その場合は、追うのはあくまでも領境までだ。その向こう側に逃げたら、子爵や男爵に任せる。それでよい」


ヒースは明確に指示を下した。これも、ブレンツ男爵と取り決めていたので、迷うことはない。だが、この言葉に対して、テオは明らかに不満げな顔をした。


「なんだ?何が気に食わない」


「……本当にそれで山賊共を討滅できるとは思えないのです」


つまり、テオが言うには、ヴォルフェン子爵もブレンツ男爵もそんなに多くの兵力を保持しておらず、果たして自力で討伐できるのか怪しいと。


「そうなれば、苦しむのは領民です。それならば、例え領境を越えようと我らの手で最後の一人まで追いかけるべきではないかと」


ゆえに、テオは進言した。約束を破ってでも正義のために決断するべきだはないかと。しかし、ヒースはこれを良しとはしなかった。


「テオ、その方の言うことは一理ある。確かにそうした方が確実に山賊を退治することができるだろうな」


「でしたら……」


「だが……我らがそこまでする義理がどこにある?」


ヒースは穏やかではあるが、はっきりと言い切った。その目に込められた意志の強さを感じて、テオはたじろいでしまう。


「えぇ……と、それは……ち、治安がよくなるので良いのでは?」


「我が領では、山賊のような類のならず者は既に駆逐済みだ。今回の一件で、我が領内に入り込み、住み着きさえしなければそれでよいのだ。子爵や男爵とは事情が違う」


ゆえに、ヒースは当初の方針通り、騎士団の治安維持活動はあくまでも領内に留めることを宣言した。そして、くれぐれも領境は越えないようにと厳命を下した。こうなると、テオも引き下がらざるを得ない。ただ……


「すみません。少しの間、馬を走らせてきます」


どうやら、気持ちの整理がつかなかったのだろう。ヒースにそう詫びてから、馬に鞭を入れて前へと駆けていった。その背中は次第に遠ざかっていく。


(青いな……)


そんなテオの姿を見て、ヒースはため息を吐きつつそう思った。ただ、だからと言ってテオの姿勢を否定しようとは思わない。自分とは異なる考え方を持つ家臣は、組織を健全に維持していく上では欠かすことができないピースとなる。そういう役割をヒースは彼に期待しているのだ。


「あの……」


「ん?」


「テオさまは、どちらに?」


不意に足元から聞こえた声にヒースが下を向くと、そこには年端の行かない男の子がぶかぶかの防具を身に着けて立っていた。どうして、こんな子供がいるのかと思っていると、自らをテオの従者だと名乗った。


ゆえに、ヒースは今さっきの事情を説明した。すると、なぜか彼もヒースのように大きなため息を吐いて呟いた。


「まったく、あれほど申し上げたのに、まだ正義などと戯言を……」


「ん?」


「あ……失礼しました。では、ボクは追いかけることにします」


「お、おい……」


テオは馬で駆けて行ったのだ。容易く追いつくはずはないと思い、ヒースは一先ず自分の側に居るように告げようとしたが、およそ人の足とは思えないスピードで過ぎ去っていった。


「一体あの子は何者だ……?」


ヒースは遠ざかっていく小さな後ろ姿を見つめながら、思わずそう呟くしかなかった。

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