第111話 悪人は、弟にいい所を見せようとヒャッハーする

(つまり、この子がワシの弟か……)


短剣に刻印されたルクセンドルフ伯爵家の紋章を見つめて、ヒースは中々に面白い弟ができたことに口角を上げた。


「あ、あの……閣下?いかがなさいましたか?」


だが、ここは戦場。そのことは、帰ってから改めてすることにして、ヒースはテオの言葉に「なんでもない」と返した。その上で……


「なあ、エーリッヒ。テオはどうやらそこの騎士に同情して、ブレンツ男爵に加勢したいらしい。おまえはどう思う?」


ヒースは、エーリッヒに訊ねてみた。どういう答えを返してくるのかと楽しみにしながら。


「わたしなら……速やかにこの地を引き払うことを進言します」


「ほう……それはなぜかな?」


「眼下で戦っているヴォルフェン子爵軍は、4、5千はいるでしょう。事前に知らされていた男爵家側の軍勢が1千から2千ということでしたので、今の苦戦している状況からそれくらいかと。しかし、この地にいる我が軍は50名余り……」


「つまり、焼け石に水ということだな?」


「はい。テオ様の申すように、突っ込んだところで共に討ち取られるだけかと思います。ましてや、閣下は伯爵家のご当主。巻き込まれて死ぬようなことになれば、大変なことになります」


ゆえに、エーリッヒはこうなった以上、ここに留まるべきではないと改めて進言した。無論、ヴォルフェン子爵の非道は許されることではないが……それを裁くのは後日でもできるのだ。事の次第を訴えれば、王都は決して子爵を許さないだろうと。


「なるほどなぁ。普通に考えれば、確かにおまえの言うとおりだ。ワシが死ねば、伯爵家の当主の座を巡り、お家騒動が起こるだろうからな」


ヒース亡き後、ルクセンドルフ伯爵家を継ぐとするならば、リートミュラー侯爵領に居る弟トーマスということになるが……幼いこともあり、またリートミュラー家の色が強すぎるため、ルクセンドルフ伯爵家に仕える家臣たちは良しとはしないだろう。


だが、それはあくまでもヒースがここで死ねばということだ。普通であれば勝ち目は全くないが、ヒースは普通ではない。信貴山城で織田軍10万に囲まれたことに比べれば、屁でもないのだ。


「騎士リュッカーよ。ワシはお主らに加勢しよう」


「えっ!?よろしいので?」


今までの話の流れからダメだと諦めかけていたところに下された決断。リュッカーは無作法にもつい訊き返してしまった。しかし、ヒースは咎め立てしない。時間が惜しいので、早速案内を頼むと言った。


「閣下……あの……」


自分の意見が聞き入れられずに、心配そうにヒースをエーリッヒは見つめて言葉を詰まらせた。すると、ヒースは優しく彼の頭を撫でて言葉を掛けた。


「大丈夫だ。ワシはおまえが心配するような普通の男ではないのだ。何も心配せず、テオと共についてこい」


弟だからといって、安全な場所で帰りを待っていろというような甘い言葉をヒースは吐いたりはしない。むしろ、いずれ頼りになる男とするためには、今からこういう場面を経験させておくことはきっとプラスになるだろうと。


「閣下。全軍、準備が整いました」


「それでは、参るとするかのう。……全軍、突撃」


眼下の戦場は木々が多い茂る森の中。そんな場所では馬に乗るわけにはいかない。ヒースも自らの足で坂道を駆け下りて行き、戦場に乱入する。そして……


「うぐっ!」


「がはっ!」


いきなり挨拶代わりにと、ヴォルフェン子爵軍所属の騎士、兵士たちに毒魔法をお見舞いした。たちまちのうちに、口から泡を吹き出して100人規模の人間が絶命した。


「こ、これは一体……」


目の前で突然起こった出来事に呆然とするブレンツ男爵。そんな彼に近づき、ヒースは囁く。「世の中、知らない方がいいこともある」と。


「まあ、あとはワシに任せて、男爵は自軍の立て直しを。奴らを殲滅したら、そのまま子爵領に攻め込みますので」


「えっ!?」


ヒースがかけた思わぬ発言に、ブレンツ男爵は驚き声を上げた。……が、そう驚いている間にも、ヒースは男爵を置き去りにして先に進んでは、次々と100人規模で騎士、兵士を問わずに毒殺していく。


「なるほど……確かにこれなら、4、5千どころか万でも敵ではないということか……」


まさに戦場を駆ける死神。敵対することになったヴォルフェン子爵が哀れとさえ、ブレンツ男爵は思う。そして、一方では絶対敵に回してはならないとも。


(それならば……)


自分がとるべき道はただ一つだ。ブレンツ男爵は決意を固めて、まずは与えられた役割を果たすべく、周囲に指示を下したのだった。

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