幕間 分家の子爵は、妻に殺される
「なに?今、何と申したか?」
昼食が終わり、午後からは愛人の所へ行こうとした刹那、玄関ホールに駆け込んできた家臣から尋常ならぬ事態が発生していることをゲルハルトは告げられた。
すなわち、本家の伯爵を暗殺しようとしたこと、それを隠ぺいしようと男爵領に攻め込んだことを……侵攻作戦に参加した騎士と兵士たちが声を上げながら、この領都に向かって行進しているというのだ。その後ろにルクセンドルフ伯爵とブレンツ男爵が率いる兵を連れて。
「それで……本当なのですか?ルクセンドルフ伯爵を暗殺しようとしたのは?」
「知らん!奴らが勝手に言っていることだ!」
その家臣が向けた疑惑を追及する言葉に、ゲルハルトは強気で否定する言葉で返したが……内心ではどうしようと頭を抱えた。ただ……ここでこうしていても何も解決しないので、一先ずは執務室に戻ることにした。
(つまり……作戦は失敗。しかも、全てが露見したわけだ)
椅子に座って天井を見上げながら、進退が極まったことをゲルハルトは理解した。そうなれば、やるべきことはただ一つだ。慌ただしく席を立つや、部屋の片隅に鎮座している金庫の扉を開けて、現金とめぼしい宝飾品をとにかくかき集めてはカバンに詰め込む。
そして、身支度を終えたゲルハルトは部屋を出た。このまま屋敷を出て、愛人のマーガレットを連れてバルムーア王国へ亡命する。それが彼の描いた逃走計画だった。しかし……
「あなた……?そんな荷物を持って、一体どちらへ?」
間が悪いことに、玄関ホールに戻ったところで、妻のハンナに見つかってしまった。しかも、その声に反応したのか、ヴォルフェン子爵家に仕える家臣たちも幾人か集まってきた。
「もしかして……また愛人の方と旅行ですか?」
「す、すまない。実は……そうなんだ。おまえには悪いと思っているが、そこをどいてくれないか?」
今回は違うのだが、今までにも幾度かあったことなのでどうやら誤解してくれたと思い、ゲルハルトは話を合わせてそういうことにした。だが……今までと違ったのは、それでも彼女たちは道をあけてはくれないということだ。
「おい……どけと言っているのが聞こえないのか!」
こうしている間にも敵が近づいてきているという焦りもあり、ゲルハルトを苛立たせた。すると、ハンナはクスクス笑った。
「な、何がおかしい……」
「だって、あなたが……ご自分の置かれているお立場を理解されていないようだから」
そう言ってハンナはサッと右手を上げると、居合わせた家臣たちは一斉に剣を抜いてゲルハルトに刃を向けた。
「な……!ハ、ハンナ、これはどういう……」
「ヴォルフェン子爵家が生き残るためなのよ。だから、今回の旅行は行き先を変更してもらいますわね」
それはすなわち『あの世』だ。ハンナの手が振り下ろされて、家臣たちは一斉にゲルハルトに向けて刃を突きつけた。
「ぐふっ!ハ、ハンナ……」
「あら?そんなに恨みがましく見ないでよ。寂しくないように、アンタの愛人も一緒に送ってあげたんだから」
その言葉で、すでにマーガレットは殺されたことをゲルハルトは知る。……が、最早どうすることもできない。最後は首が宙を舞い、完全に事切れた。
「さて……」
床に落ちた夫の首に興味を示すことなく、ハンナは子爵家を護るために次の手段に移る。
「手筈通りに、ルクセンドルフ伯爵閣下へ使者を。くれぐれも、言葉には気を付けて。さもなくば、わたしたちは謀反人にされてしまうからね」
子爵家を守るためだとか、自分たちは謀反に無関係だなどと言えば、きっとあのベアトリスの息子であるならば、これ幸いと『主を弑した大罪人』として自分たちを処断するだろう。そのうえで、娘を側室にして生まれた子に跡を継がせるとして、この家と領地を乗っ取る……。
(それは絶対にさせないわ!)
王都に居る友人からの話では、ルクセンドルフ伯爵は将来有望な若手貴族ではあるものの女癖は悪く、すでに正式な婚約者以外に結婚を約束した女が二人もいるという。そんな男に大事なひとり娘を渡すわけにはいかないと、ハンナは心に決めていた。
「いい?今回のことは、あくまでも前伯爵夫人の密命を受けてのモノ。そこを間違わないようにね。それと……これが証拠の書状よ」
それは、この家に嫁ぐときにベアトリスから本当に渡された物。中には、「本家に反逆の気配がある場合は、速やかに行動に移すべし」と書かれてあった。色あせて、あれから状況は変わってはいるが……ハンナは正しく、ベアトリスがこの家に忍び込ませたスパイであった。
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