第113話 悪人は、分家を乗っ取る(前編)
ここは、ヴォルフェン子爵領の領主館。門を通り抜けたその先にある正面玄関前の広場に、一同が勢ぞろいして頭を下げているのが見えた。その先頭に立つ女性が書状を送ってきた子爵夫人たるハンナであろうとヒースは推測した。何しろ、彼女はその胸に首桶を抱きかかえている。
(それにしても、流石は母上のスパイか。手際がいいことだな……)
ここに来る途中で届けられた書状の内容を思い出して、ヒースは心の中で苦笑いを浮かべた。確かに本家に反抗的な分家であるのだから、反逆を警戒して人を入れることは有りえなくはないが、ここまで鮮やかに立ち回られると、いささか空恐ろしくも感じる。
(なるべくなら、敵に回したくはないものだな……)
そう思いながら、ついに彼女の前に立ち、馬から降りて名乗りを上げる。
「ワシがルクセンドルフ伯爵である。皆の者、面を上げよ」
その瞬間、頭を下げていた子爵家の面々が顔を上げた。そして、先頭に立つハンナが代表して一歩前に出て、口上を述べる。
「この度は、夫ゲルハルトが皆々様に多大なるご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません。この通り、本人はその責任を取ると申して自害しましたので、遺言により、その首をせめてものお詫びの印として閣下に献上します」
そう言って差し出された首桶を確認してみると、どうみても納得して死んだとは思えないような顔をしていた。だが、これは出来レースなのだ。真相などどうでもよい。
「つまり、ワシを暗殺しようとしたこともブレンツ男爵領への侵略行為も、全部ゲルハルトと一部の取り巻きたちの独断であったということなのだな?」
「はい。それはもう間違いございません」
「わかった。男爵もそれでよろしいかな?無論、相応の賠償は求められるとよろしいが」
「異存はございません」
ヒースもブレンツ男爵も、形の上でハンナの申し出を受け入れて、この問題を王都に報告して判定を仰ぐ話にはしないことで合意した。だが、もちろん本当の事後処理についてはこれからである。
「それでは、ささやかではございますが、中でおもてなしの用意をしておりますので」
ハンナはそう言って、ヒースとブレンツ男爵を中へと誘う。ただ、額面通りには受け止めていない。ブレンツ男爵も側近であるギュンターを伴い屋敷の中へ足を向けたのを見て、ヒースはテオを呼ぶ。ただ……供を命じるのは彼ではない。彼の従者たるエーリッヒに対してだ。
「テオ……実はな……」
信頼されていないのかと、流石にショックを受けるテオに、ヒースは真相を打ち明けた。
「え……?エーリッヒが……閣下の弟君?」
「ワシも知ったのは最近だ。あれの母親の名を聞いたときに思い出していれば、なおよかったのだが……短剣の鞘に刻まれていた紋章を見ただろ?あれは、父上が後日の証としてイリーナに渡した物だそうだ」
ヒースの言葉に、そういえばと思い出したテオ。本人が大事なものだからというので、じっくりとは見たことはなかったが、言われてみれば、伯爵家の紋章に似ていたような気がしてきた。
「しかし……エーリッヒ…様が閣下の弟君であることはわかりましたが、一体何をなさる気で?」
「今回の後始末のことを話し合う中で、この子爵家の婿に押し込めるつもりだ」
「む、婿にですか!?」
今まで弟分として、また従者としてこれまで親しく接してきたテオにとっては、まさに青天の
だが……よくよく落ち着いて考えれば、別段不思議な話ではない。このヴォルフェン子爵家は、ルクセンドルフ伯爵家の分家なのだ。その当主が死んだ今となっては、本家から婿養子を迎えるのはあり得ない話ではない。
「ですが、エーリッヒ様は、ベアトリス様のお子ではないでしょう。本来の伯爵家の血縁者では……」
「それがどうした。このワシが弟だと言っておるのだ。何の問題がある?」
まして、今の子爵家はヒースの情けを受けなければならない身の上だ。強く出れば、否とは言えないだろうとヒースは言う。
(つまり……エーリッヒは、子爵様になるのか……)
何も心配する必要はないと胸を張るヒースを横目に、テオは少し寂しく思う。だが、それがエーリッヒの幸せに繋がるのであれば……黙って送り出すのも兄貴分としての最後の務めだと理解するのだった。
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