第147話 悪人は、婚約者に前世のことをあっさり告げる

「くそ……どうやら、謀られたようだ」


夜。王都にあるルクセンドルフ伯爵邸で、ヒースは資料に目を通しながら、昼間に宰相から告げられた『アルデンホフ公爵家の継承』の話を思い出して、苦虫を潰したように呟いた。


「一体、どうすればいいというんだ!?前に押し付けられたシェーネベック領もひどかったが、これは輪をかけて酷いぞ!」


目の前の机には、【揚羽蝶】や【歩き巫女】から上がってきた他領の情報の内、アルデンホフ領に関する物だけ集めて積み上げているが、どれもこれもが悲惨な状況にあることを示す内容となっていた。立て直すためには、莫大な資金と人員が必要なのは確実だろう。


「しかも、アドマイヤー教って何だよ!一向宗みたいなものか!?」


さらにいえば、いくつかの報告書に、領都アルデバランを中心に、その宗教団体はアルデンホフ領のすでに三分の二を支配下に治めて、自治が行われているとも書かれてある。それではまるで、加賀の一向一揆のようだった。


「……一向宗?」


だが、それが何なのかわからずに、不思議そうな声を上げたエリザに、ヒースは自らの失言に気がついた。そういえば、今は彼女が傍に居たことを思い出して。


「なんでもない。忘れてくれ」


ヒースはそう言って誤魔化そうとしたが、その瞬間エリザの表情が曇る。どうやら、秘密にされたような印象を与えてしまったらしい。


(いかんな……このままでは)


エリザは王都に戻ってからも、相変わらず塞ぎ込んでいた。マリカを彼女の目の届くところから除けば……時間はかかるかもしれないが、元気になるのではないかというヒースの思惑は完全に崩れていた。


「一向宗というのはな、昔読んだ物語にそのような悪の組織があってだな……」


ただ、今すぐいい解決策が見つかるわけではないので、ヒースは一先ず嘘をついて乗り切ろうとした。だが、残念なことにそれはすぐにエリザに看破される。いつもの襟を触る悪い癖が出てしまったからだ。


「ヒース様……どうしても…教えたくないのであれば、無理には……」


情緒不安定なこともあり、嘘をつかれたショックで今すぐにでも泣き出しそうなエリザの顔を見て、ヒースは慌てた。


「ま、待て!今のは緊張をほぐすための冗談だ!」


だからさっきにも増して、何とか機嫌を取ろうとした。しかし、そうなると本当のことを言わないとことは収まらないわけで……


「実は、ワシはな……」


ヒースは包み隠さずに、前世の記憶がある転生者であることを白状した。


「それでな、その一向宗というのはだ。その世界でワシらが手を焼いた悪の組織なのだ。なんでも、経を唱えれば極楽に行くと民衆共を洗脳してな……」


「経?それはどのようなものなのですか?」


「ああ、そうだな。こっちでいうところの……『アーメン』と言うのと同じだな。それを唱えておけば、天国で幸せに暮らせるというようなものだ」


それゆえに、ヒースは厄介な存在だったと言う。何しろ、その極楽とやらに行くために、自爆テロすら厭わなかったのだから。


「しかし、ヒース様……」


「なんだ?エリザ」


「そのような重要なことを……こんなに容易く話してよろしかったのでしょうか?」


何しろ、このような話が外部に漏れてしまえば、例えヒースのような身分の高い者であっても、異端審問を受けることは確実なのだ。それなのに、自分のような者に教えてもいいのかと、エリザは言う。


しかし、ヒースの答えは決まっていた。


「ワシはな、エリザ。お主の笑顔が見たいのだ。そのためだったら、ワシの正体のことなんぞどうでもよい話だ」


(まあ……バレたら、教皇庁を灰にすればよいだけのことよ)


口にした言葉の裏に、まさかそのような恐ろしいことを考えているとは気づかずに、エリザはヒースの言葉に胸を熱くしていた。だが……同時に思う。今の自分が果たしてその想いに応えるに足る存在なのかと。


(ダメだ……わたしはやっぱり……)


すっかり自信を無くしてしまった今のエリザには、ヒースの想いは逆効果となる。ただ、そのことをおくびにも出さずに、むしろせめて心配をかけまいと心の内を隠して微笑んだため、この日のヒースがそのことに気づくことはなかった。

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