第263話 悪人は、久しぶりに幼馴染と雑談する

その小高い丘の上からは、領都リートの城壁を眺めることができた。そのため、討伐軍はこの頂を囲うようにして、陣を敷いている。


たが、大半の者は知らないことだが、その頂にある総司令官用のテントは今宵無人であった。灯だけは点いているが、本来居るはずのヒースは王都のルクセンドルフ侯爵邸で過ごすとテオは聞いていた。そのため、誰も通さないように彼は入口に陣取っていた。


「ふん!タァー!」


ただ……一晩中ずっと仁王立ちして正面を見ているだけでは退屈であり、彼は時折槍を振るって鍛錬を行っていた。その槍は、『勇者殺しの槍』と呼ばれるもので、ヒースから与えられたものだ。すでに十分使いこなせているのだが、余念はない。


しかし、そうしていると……不意にテントの中に気配を感じた。だから、テオは槍を持ったまま、いつでもそれを突き出せる構えでゆっくり近づくと……無言で入口の幕を開けた。すると……


「あれ?殿下……って、どうしたんですか!その怪我は!!」


そこには、頭から多量の血を流しているヒースの姿があった。見るからに重傷で……それゆえに、慌てて外に向かって医者を呼ぼうとした。


「待て、テオ。慌てるな」


「いや……しかし、その傷は……」


「大丈夫だ。致命的な場所は避けているから、流血は酷いがじきにこれも止まるだろう。だが、少し疲れた。濡れた布と……あと、茶を持ってきてはくれぬだろうか」


総大将が開戦前に大怪我だと分かれば、士気に関わるからとヒースは笑ってテオに頼んだ。


「かしこまりました。少々お待ちを」


そして、これを命令だと受け取ったテオは、拒むことなくすぐに遂行すべく動き出した。濡れた布も茶も、近くにある自分たちのテントまで行けば、用意は可能だ。


「しかし……一体何があったのですか?今宵はルクセンドルフ侯爵邸でお過ごしだと……」


しばらくして戻ったテオは、まず濡れた布を渡して、ヒースが顔を拭く間に茶をカップに入れてテーブルに置くと、事情を訊ねた。見ると、本当に流血は止まっていたようで、ホッと胸を撫で下ろしながらも。


すると、ヒースはバツの悪そうに何があったのかを話し始めた。つまり、平蜘蛛のアカネにちょっかいをかけてやられたと。


「あの……アカネ殿って、確か蜘蛛の魔族ですよね……?」


「ああ、そうだ。しかしなあ……変化が上達して、見た目は人間と変わらぬし、しかも顔も体つきも悪くはない」


だから、「もし混ざると言われたら、きっと受け入れただろう」と、ヒースは冗談とも本気とも取れるような具合で話した。その感性は、テオには到底理解できないが、怒って壺を投げつけてきたのであれば、アカネの方にはその気は全くなかったのだろう。そのことだけは理解できた。


「それで、本当に大丈夫なのですね?」


「今頃、エリザが宥めてくれているだろう。だから……」


「いえ、そうではなく……」


ヒースの痴情のもつれ話などはテオにとってはどうでもいい話で、彼は確認する。このまま医者を呼ばなくても本当に良いのかと。


「大丈夫だ。今宵はここで休むことになるが……未明の攻撃も予定通りに行う」


「予定通りに?いや、しかし……」


流血は確かに治まってはいるが、顔色は決して良いとは言えない。そのため、テオは本当に大丈夫何かと心配した。


だが、ヒースは言う。すでに、この話はベアトリスにも行っており、今更変更したいなどと言えば、ここが死地になるだろうとヒースは言った。そして、テオはそれを否定しない。


「ベアトリス様のお仕置きは苛烈ですからねぇ……」


「そうだろ?しかも、延期の理由が理由だからなぁ……」


ベアトリスとしては、一刻も早くトーマスを救い出してもらいたいのだ。それなのに、痴話げんかが理由で延期……それをもし口にしたらどうなるのか、ヒースもテオも当然理解していた。何しろ、幼き頃から共に恐怖を共感した仲間であった。


「そういえば、その槍。どうだ?うまく扱えるようになったか?」


それゆえに、場の雰囲気が重たくなったことに気づいたのか、今度はヒースがテオの手にある槍を見て話題を変えた。


「はい。これがあれば、もうエーリッヒになど負けませぬな」


「ほう……それは心強いな」


勇者義輝は遥か遠い異国の地にいるため、この槍がテオの手によって本当の強さを発揮することはないのかもしれない。それでも、こうして意気に感じてより一層の高みを目指すのであれば、与えた甲斐があるというものだ。


「なんでしたら、今から手合わせでも」


「馬鹿言え。流石にこの状態では敵わぬのは見てわかるだろ?」


呑気に昔のように誘ってきたテオに、ヒースは苦笑いを浮かべてそう答えた。もちろん、【毒魔法】とか【爆発魔法】、あるいは【蓑虫踊り】といった殺人技を使えば勝てるかもしれないが、テオは味方で殺すわけにはいかない。


「この戦いが終わったらな」


「承知しました。その時を楽しみにしております」


二人は共に笑って約束を交わし、茶の入ったカップを重ねた。

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