第115話 悪人は、分家を乗っ取る(後編)
「あ、あはははは……」
沈黙が支配したこの部屋の空気を打ち破ったのは、エーリッヒの笑い声だった。
「なんだ?エーリッヒ。突然笑い出したりして」
「だって、閣下がいきなりおかしなことを言われるから。ボクが閣下の弟君?あり得ないでしょ。やだな……この場を和ませようと冗談を言われたのですよね?」
そんな必要など全くないのだが、エーリッヒは先程のヒースの言葉を一笑に付して、それから用が済んだとばかりに、再び従者として後ろに控えようとした。しかし、そんな彼の手首をヒースは掴み、この場に留めた。
「エーリッヒ。信じられないのは無理がないと思うが、本当におまえはワシの弟だ。何より、その腰に佩びている短剣の鞘に刻まれている紋章が証拠である」
ヒースはそう言って、エーリッヒに短剣を手渡すように命じた。
「これですか?」
「そうだ。その短剣だ」
腰から外した短剣をエーリッヒから受け取り、ヒースはハンナにも見せる。
「これは……間違いなく、ルクセンドルフ伯爵家の紋章ですね。しかし、閣下。恐れながら、盗品という可能性は?」
可能性としてはゼロではない。あるいは、そういった品物が流れて偶々手にしているだけということも。だが、その可能性はエーリッヒが否定する。
「これは、死んだ母ちゃんが父ちゃんから貰ったものだ!盗んだものなんかじゃない!」
母親の名誉を傷つけられたことに我を失って、エーリッヒは声を荒げてハンナに抗議した。そして、そんな彼を弁護するように、ヒースも彼女に断言する。「それはない」と。
「ワシが父から聞いていた愛妾の名はイリーナで、子の名はエーリッヒだ。どちらも名前が一致しているうえに、父が渡した短剣を所持しているのだ。疑う余地はあるまいよ」
さらに言うと、イリーナとはテオが関係を持ち、その縁で彼女の死後、自らの従者として引き取ったという経緯がある。ゆえに、ヒースは改めてエーリッヒが弟であると宣言した。
「まあ……エーリッヒが驚くのは無理からぬ話ではある。そのあたりは、あとでじっくりと説明するとして……ハンナ殿。先程申し上げた御令嬢との婚約の件だが、返答は如何に?」
懸念していたような側室にして弄ぶと言った話ではないのだ。年齢も同じ歳で釣り合っているし、父オットーの子ではあるが、ベアトリスの子ではないので許可は不要。これなら、受け入れてくれるよなとヒースは決断を迫った。
「……はい。その条件であれば、このお話を受け入れさせていただきます」
決して悪い条件ではない。ベアトリスの子でないということであれば、ルクセンドルフ伯爵家の正統な血縁者ではないということなのだ。ヒースは弟として遇すると言っているが、それだけではどう考えたところで立場が強いわけがない。
(それなら、きっと娘を大事にしてくれるはず……)
本当の意味で伯爵家の一門として認められるためには、娘との間に子を儲けるのが一番の解決策だ。そのことを思い、ハンナはホッと肩の荷を下ろした。そして、後ろに控えていた家臣にこの場に娘を連れてくるように命じた。
「折角の機会ですので、この場で顔合わせを」
この秋からは、共に初等学院に通うことになるため、必然と顔を合わすことになるだろうが、少しでも仲良くなってもらえればというのが親心だ。それについては、ヒースも異存はない。
「あの……母上?お呼びでしょうか」
そして、暫くしてから現れたのは、ふっくらとした女の子だった。しかも、左右の頬にはそばかすもある。間違いなく美人ではない。
(しまった。家を乗っ取ることばかり考えて、その容姿まで調べておらなんだわ……)
これでは、エーリッヒが嫌がるかもしれない。そう思っていると、ハンナが彼女に説明する。そこにいる男の子があなたと婚約することになったと。
「え……?わ、わたしの婚約者ですか?」
「そうよ。まずは挨拶をしなさい」
驚いている娘にハンナは優しく促した。すると、従者の形をしているにもかかわらず、彼女は礼儀正しくスカートの端をチョコンと摘まんで、エーリッヒに挨拶を行った。
「リーゼロッテと申します。初めまして、えぇ…と?」
「あ……エーリッヒといいます。こちらこそ初めまして」
リーゼロッテがその従者の恰好をしているエーリッヒを見下さなければ、エーリッヒもリーゼロッテの容姿に嫌悪感を示すことなく、親しみを込めて両者は初対面を終わらせた。そんな微笑ましい二人の姿に、ヒースとハンナは胸をなでおろしたのだった。
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