第116話 悪人は、自分の死を望む者の存在を知る

話し合いは終わり、ヒースら一行はルクセンドルフ領への帰路についた。


「あの……ボクなんかが馬車に乗って、本当にいいのでしょうか?」


「何を言うか。おまえはワシの弟だといっただろ?しかも、来月には子爵になるのだ。むしろ、馬車に乗らずに歩く気か?」


ヴォルフェン子爵家で借りた馬車に乗り込み、出発してから間もなく弟から発せられた言葉に、ヒースは呆れるようにそう返した。但し、その境遇に少し同情しないわけでもない。


何しろ、たった1日で騎士の従者の立場から伯爵家当主の弟、さらに婚約者ができて子爵家を継承することも決まったのだ。今朝の朝食を食べていた時には、まさかそんなことになるとは思ってもみなかっただろう。


(人生とは……思いがけないことの連続だな……)


目の前で居心地が悪そうにしている弟を見て、ヒースは思う。ただ……今、頭に浮かんだのは別の話であったが。


(それにしても……リートミュラー家の中に、ワシの死を望んでいる者がいるとはな……)


ヴォルフェン子爵家の屋敷を出立しようとしたとき、ハンナから告げられたのは、今回の暗殺未遂事件にリートミュラー家の者が関わっている可能性が高いということだった。


「どうもね、ある人が閣下の動静を知らせてきたみたいなのよ。夫の机の引き出しにこんな手紙が入ってあったわ」


そう言って渡された手紙には、『伯爵はいつものように護衛も少なめだ。しかも、今回は足手まといとなる幼子を連れている』と記されていた。差出人は不明だが、今回の旅程でローゼマリーとアルフォンスを連れていることを知る者は、リートミュラー家の一部しかいない。


(どうやら……あちらは、思った以上にきな臭いことになっているようだな)


近頃、侯爵家の跡取りにトーマスを立てようとする動きが家中にあることは、ヒースも耳にしていた。だが、弟はまだ6歳であり、この問題が顕在化するまでにはもう少し時間がかかると見ていたのだ。だが、それはどうやら間違っていたようだ。


(確かに、ワシが今死ねば、揉めなくても跡取りはトーマスで一本化できるからのう。目先の事しか考えられぬ阿呆どもが考えたとしても、無理からぬことか……)


何しろ、リートミュラー侯爵家では、ヒースの祖父である先代侯爵が薨去した後に、お家騒動が起こったのだ。家臣たちが繰り返したくない気持ちはヒースもわからないわけではない。


「はあ……」


そのため、これから面倒なことが始まると予感して、ヒースは思わずため息をついた。誰も好んで粛清などしたくないのだ。しかし、そうしていると、エーリッヒが突然「すみません」と謝ってきた。


「いや……どうして謝る?」


「え……?だって、面白いことを言わないから、呆れたのではないのですか?」


「なんだそれは?」とヒースが言うと、エーリッヒは答える。「閣下が機嫌を悪そうにしているのは、自分が面白い話をしないからではないのですか」と。


「そうですよね?だって、閣下はボクの言動を面白がっておられましたから。だから、お役に立てずにごめんなさい。すぐに馬車から降りるので許してください」


エーリッヒはそう言って立ち上がると、ヒースの返事を待たずに走行中にもかかわらずドアを開けようとした。


「おい、待て!今出ると危ないからやめろ!」


「ご心配には及びません!魔法を使いますので」


「魔法?」


一体何を言っているのだろうと思いきや、その一瞬の隙にドアを開けて、エーリッヒは外へ飛び降りた。


「エーリッヒ!?」


慌ててヒースが声を上げて開口部分から身を乗り出して、落ちたと思われる後方を確認するが、そこには何もいなかった。ただ……護衛の兵士たちが空に向かって指をさしているので、居場所はすぐに見つかった。


「な……!お、おまえ、空を飛べるのか?」


空中に浮かんでいるエーリッヒを見て、ヒースは驚いたものの、その正体が風魔法であると気がついた。


(そういえば……初めて会った時も、あっという間にいなくなっていたな……)


そのことを含めて考えたとき、エーリッヒの実力はかなりなモノだということに気づく。そして、幼いながらここまでのレベルに昇華させるために、並々ならぬ努力を積んだであろうことを。ただ……無事だと分かったら次第に怒りが沸々と湧いてくる。


「おまえ!今すぐここに降りて来い!命令だぁ!!」


ヒースの怒号が響き渡り、エーリッヒは固まってしまった。だが……伯爵である兄の命令を無視するわけにはいかず、怯えながらもその御前に舞い降りると、ヒースは彼の頭にゲンコツを一つ落としたのだった。

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