第158話 悪人は、種が根付いたことに歓喜する
「……ちょっとは落ち着きなさいよ」
「だってな……」
「だってもへちまもないわよ!さっきから目の前を何度も往復して……鬱陶しいっていったらありゃしないわ!」
ここは、ヒースとエリザが共に寝起きしている寝室の前。この部屋の中で今、エリザは医師の診察を受けているのだ。もしかしたら、妊娠しているのではないかと。
だが、こうして外で待たされることになったヒースは、見てのとおり落ち着かない。何度かクリスティーナが注意したが、一向に改まる気配はなく、こうして怒鳴られるに至る。
「しかしだな!子ができるかもしれんのだぞ!普通、落ち着いてなんかいられないだろうが!!」
「だからと言って、アンタに何かできるのかい?今は黙って結果を待つしかないだろうが!!」
ヒートアップした二人の大きな声が廊下に響き渡って、遠巻きに関わらないように様子眺めをしている使用人たちは苦笑いを浮かべた。すると、そのとき扉が開かれた。
「先生!どうだったのですか!?」
今の今まで、クリスティーナに意識を向けていたというのに、ヒースはものの見事にターンを決めて医師に詰め寄った。しかし……
「期待を裏切って悪いけど……静かにしてくれませんか?こうもうるさかったら、正しい診断ができないでしょ?」
まだ若い女医だが、伯爵家の当主に対しても臆することなく、眼鏡をくいッと上げて𠮟りつけてきた。これには流石のヒースも「すみません」と謝るしかなかった。
「とにかく、もし妊娠していたとしても、まだ初期だと思いますので、これから判別するために魔法を使わせてもらいます。ですので、暫く騒がずにお願いしますね?」
「はい……」
ヒースが力なくそう返事をすると、女医は満足したのか再び扉の向こうに消えた。そこに、透かさずクリスティーナが忠告した。「今からそんなことだと、先が思いやられるわよ」と。
「わかっている。だが……こう落ち着かないのだ。そりゃ、いつかはできるとは思っていたけどな、今日のこのタイミングだとは思ってはいなかったわけで……」
何しろ、ついさっきまではどうやって仲直りをしようかということで頭がいっぱいだったのだ。もちろん、前世でもこういった経験は済ませているが、そう簡単に気持ちの切り替えができるわけではなかった。
「とにかく、まずは名を考えなければな。男の子なら……」
「いや……あんた、それはまだ早すぎるだろ……」
軽くパニックになりかけているのか。妙なことを口走ったヒースにクリスティーナは思わず突っ込みを入れた。そうこうしていると、再び扉が開かれて……女医が笑顔で姿を現した。
「おめでとうございます。奥方様は、無事ご懐妊なされておられます!」
開口一番、この場にいる全ての者が一番聞きたかった言葉を彼女は告げた。周囲から喜びの歓声が上がり、ヒースは部屋に入って横たわるエリザの下へ向かう。
「聞いたか、エリザ。よかったなあ!本当によかったなあ!」
誰よりもまずは最愛の彼女と喜びを分かち合いたく、ヒースはその手を取って祝福の言葉を口にした。そして、そのまま誰の目も憚ることなく、ぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、ヒース様……皆が……」
「構うもんか。よかったなあ!ついにワシたちの子ができた。本当によかった!!」
それはもうヒシヒシと、心の底から喜んでいるのがエリザにも伝わってくる。だから、照れながらも拒絶はしなかった。周囲もその光景を温かく見つめて……しばらく時が流れる。
ただ、子ができたとなると、早急に行わなければならないことがある。それは……正式な結婚手続きであった。
「……喜んでいるところに水を差すようだけど、あんたたち、わかっている?このまま結婚せずに子を産んだら、私生児扱いになるっていうことを」
「あ……」
「そういえば、まだ正式に結婚していなかったな……」
クリスティーナの言葉に、エリザもヒースも現実に引き戻された。そうなのだ。現段階において、二人は婚約状態にはあるし、事実上は一緒に暮らしていて結婚しているように見えるが、正式にはまだ結婚はしていないのだ。そして、私生児は家督継承ができないわけではないが、貴族社会では軽く見られるケースが多々存在する。
もちろん、それならば手続きをすぐに行えば済むように思えるが……ヒースはルキナ王女の婚約者でもあるのだ。いくら彼女が第2夫人扱いになるとはいえ、王家を無視して勝手にエリザとの結婚を強行すれば、何かと角が立つというものだ。
それゆえに、エリザは先に決意を固めてヒースに告げた。結婚式は不要であると。
「ですので、せめて、産まれるまでに籍だけでも……」
それくらいならば、認めてくれるのではないかと思い、エリザはそう言うが……ヒースが納得しない。
(一人の女を幸せにできずして、どうして他の女を幸せにすることができようか!)
昨夜見た前世の親友の姿を思い出して、ヒースは決意をエリザに告げる。何としても結婚式を挙げると。しかも、金に糸目をつけずに盛大に。
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