第184話 悪人は、「忠誠を誓う」という言葉を鼻で笑う

10月8日——。


この日の昼過ぎ、エリザは無事に男の子を出産した。名は相談したうえで「レオン」と名付けられた。


そして、それから程なくして、このルクセンドルフ侯爵邸には、訪問客が次から次へとやってきて、大混乱となる。


「えぇ…と、クラネルト子爵家の方は……」


「ブレーデン伯爵家のお使者の方。どうぞこちら3番窓口へ」


「お待たせしました。それではこれで受付が完了しましたので、ご当主様にはよろしくお伝えくださいませ。本日はありがとうございました」


傍から見ていれば、まるで役所の様ではあるが……王都の主だった貴族家や商家からこうして祝いの品が寄せられるのは、ヒースの権勢が最早無視することができない程に大きなものとなっている証拠ともいうべきものだった。


「いやぁ……ホント凄いわね。これなら、あのとき抱いてもらった方が良かったかしらね?」


「おいおい、そんな危ない話はするなよ?今日はお願いに上がっているんだからな」


「わかっているわよ。ホント、兄さんって冗談が通じないわね」


「そんなことじゃ、先が思いやられるわよ」と、小悪魔のようにからかうのは、エリザの親友であるマチルダだ。兄ハインツと……昨日、その妻となったフローラと共に応接室に通されて、今はヒースが来るのを待っていた。そうしていると……


「すまない。どうやら待たせてしまったようだな」


扉が開かれて、ヒースがその姿を見せた。三人はソファーから立ち上がり、その中でもハインツが代表して、祝いの言葉をまずは述べた。「ご嫡子の誕生、心よりお喜び申し上げます」と。


「ありがとう。ハインツ殿もフローラ殿も、仲がよさそうで何よりだ。あと、マチルダ。エリザが会いたがっていたから、後で顔を見せてやってくれたら助かる」


「いいわよ。ついでに、第4夫人になりたいから、許してっていえばいいのね?」


「お、おい……マチルダ」


「冗談よ、兄さん。ヒース君も、そんなに驚かないでよ。それともなぁに?こないだ素っ裸になったのに抱かなかったこと、後悔しているのかしら?」


「え……?い、いや……ソンナコトハナイヨ?」


実際には、ちょっぴり勿体なかったかな……と思わないでもないヒースであったが、それをこれ以上つつけば、深みにはまるのは目に見えているため、この話はここでいったん打ち切った。そして……本題に入る。


「さて、ハインツ殿。今日貴殿がお見えになられたのは、ブレンツ子爵のことかな?」


「はい、仰せのとおりです。縁あって義息となった以上は、せめてその消息だけでも知ることはできないかと思いまして……こうして、閣下のご協力をお願いしに参った次第です」


ハインツは真っ直ぐにヒースの目を見て、自らの要望を伝えた。抱えている諜報員を派遣して、調べて欲しいと。その姿は正に好青年というもので、ヒースとしても好ましく感じてはいる。だが……


「ハインツ殿。貴殿も由緒ある伯爵家の世子であるならば……頼みごとをするときは何をすればよいのか、ご存じですよね?」


誠意がありさえすれば、願いが叶うということは、この貴族社会ではまずあり得ない話だ。それゆえに、ヒースは試す。彼の想いの深さ、覚悟のほどを。


すると、ハインツはソファーから立ち上がると膝を折る。


「このハインツ、この先は閣下に忠誠を誓い、必ずお役に立って見せます。それゆえに……どうか我が願いを聞き遂げていただけないでしょうか」


それは、彼の義父であるブレンツ子爵が取った行動と全く一緒で……ヒースは鼻で笑う。ただ、違うのは子爵の時とは違って、冷たい言葉を浴びせたことだ。


「伯爵家もまだ相続していない若造が何の役に立つのか!思い上がるな、小僧!!」


いうまでもなく、年齢はヒースの方が年下である。しかし、それを忘れさせるくらいの迫力がその言葉に籠っていた。そのため、ハインツは言い返すことができず、屈辱を感じて表情を歪めた。


すると、ヒースはふぅと一つ息を吐いて、静かに諭すようにハインツに告げる。


「……なあ、ハインツ殿。今、ワシに忠誠を誓うと言うたが……もし、フローラ殿をこの場で抱かせろと言ったら、貴殿はどうする?差し出すのかな」


「……いえ、差し出しません。例えこの命を失うことになったとしても、そのような命令に従うわけにはいきません」


「まあ、そうだろうな。つまり、ワシが言いたいことは……忠誠など誓われたところで、何の保障にもならないということだ。それでも、そんなものを貰って喜ぶとすれば、何か他の思惑があると思った方がよいだろうな……」


そう言いながら、つい先日踊らされて、まんまと死地に赴くことになったブレンツ子爵のことをヒースは思い出して、少しバツの悪い顔をした。ゆえに、半ば思い付きであるが……助け舟を出してやることにするのだった。

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