第269話 悪人は、母に襲われる

王都に向かって義輝と戦うか、それとも、魔王城に逃げて引き籠るのか——。


いずれを選ぶにしても、まずは体力・魔力が回復しないと話にならないと、ヒースはリートミュラー領の領主館にてこの数日の間、静養に努めていた。しかし……その間にも、王都の状勢は色々と伝わってきた。


「ウィルバルトの爺さんに、ロシェル侯……なに!?エドウィンも死んだのか!」


そして、その日、王都より戻ってきた【揚羽蝶】の忍びから受け取った報告書には、王都が完全に制圧されて、彼らが犠牲者の列に加わったことが記されていた。すでに、ハインリッヒとヘレン、それに財務大臣のバーデン侯爵の死が伝えられているが、今日はそれを上書きしたということだ。ヒースは思わず天を見上げた。


「反乱軍は、義父のラクルテル侯爵を摂政として、フィリップ王子を即位させるようです。宰相にヘルモント子爵、モーラー男爵は伯爵に陞爵の上で、その令嬢を新たな王妃に立てるようです」


「おおよその予測通りだな。それでワシは……逆賊ということか?」


「はい。誠に申し上げにくい事ではありますが……殿下の首には、1億Gの懸賞金が……」


「ほう……それは、随分と高値がついたものだな。何なら、おまえが獲ってみるか?この首を」


今ならまだ体調は万全ではなく、容易に獲れるぞと笑うヒースに、その忍びは顔色一つ変えず「御冗談を」と取り合わなかった。だが、彼が去った後、入れ替わるように入ってきた母ベアトリスは違った。


「母上?」


「ねえ、ヒース。お家のためを思って……死んで頂戴」


「えっ!う、うわあ!!」


リンゴをもって側にきたので、剥いて食べさせてくれるのかと思いきや、握りしめていたナイフをいきなり胸に突き立てられそうになり、ヒースは辛うじて回避したものの青ざめた。


「な、なにをするんですか!?冗談でもそのようなことはやめてください!」


「冗談?あら……わたしは本気よ。あなたの首を差し出せば、レオンにルクセンドルフ家をトーマスにこのリートミュラー家を継がせる事を認めると、摂政になられたラクルテル侯爵殿下より手紙が届いたからね」


「えっ!?」


その言葉に再び驚くヒースであったが、ベアトリスは「わかったのなら、さっさと死んで頂戴」と容赦なく再びナイフを向けてくる。無論、だからといって殺されるわけにはいかないので、必死になって回避もするが……気が付けば壁際に追いやられて後がなくなってしまった。


(こ、これが本気の母上ということか……!)


かつて、同世代の者たちから『女傑』として恐れられたその実力を前にして、ヒースは命の危険をヒシヒシと感じていた。だが、そこに間一髪というタイミングで、父オットーとアーベルが止めに入ってくれた。


「待て!ベティ。早まるな!!」


「そうですよ。お義兄さまの首を差し出したところで、本当に約束が守られると思っているのですか!?」


二人は必死になって、ベアトリスを説得しようと言葉をかけた。すると……彼女は笑って、ナイフをヒースに向けて投擲した。


「うわあ!」


それは、ホント数センチというところだった。少しずれていればきっと、ヒースの頸動脈を切り裂き、命を奪っていただろう。しかし、ベアトリスは全く悪びれずに言う。これでアリバイ作りはできたと。


「アリバイ作り?」


「わたしたちは、政府の求めに応じて、ヒースを殺したことにするの。あとは、偽首でも送っておけば、もう命は狙われることはないでしょ?」


だから、ヒースは一人で魔王城でもどこにでも行けとベアトリスは言った。生きてさえいればきっと、いつかは花を咲かせる日もあるからと。だが……


「母上……ご配慮いただき、誠にありがたく存じますが……ワシは逃げるつもりはありませんぞ」


「あら?そうなの。そちらのアーベルと逃げる算段をしていると聞いていたのだけど、それは勘違いと言うことなの?」


「……ええ、勘違いですよ」


本当は、ベアトリスの言うとおり、7対3の割合で魔王城に逃れる算段をしていたのだが、ここまで臆病者のような扱いをされては、ヒースも引けなくなった。だから、全てを察して苦笑いを浮かべているアーベルの前で力強く宣言する。


「ワシは王都に上り、必ず義輝を討つ!」

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