幕間 国境領主は、寝返りを決断する

「お屋形様……本当に先程の話をお受けになられるのですか?」


ここは、バルムーアと国境を接するシューネルト伯爵領。その領主館で、心配そうに主君を諫めるのは、伯爵家の家令であるアヒムだった。話の内容が……累代に渡って仕えてきたロンバルド王国を裏切るという話なのだから、穏やかではなかった。


だが、当主であるハルトムートは意に返さない。すでに決めたことだと言って、話を打ち切ろうとした。しかし、アヒムは従わなかった。


「恐れながら申し上げますが……いくらルクセンドルフ伯が大臣になったからと言って、そうやけを起こさなくても……」


四代百年にも及ぶ両家の因縁はアヒムも知らないわけではないが、だからといってここで王国を裏切って本当にいいのか。もう一度冷静になって考え直してもらいたいと思った。


ただ……その両家の因縁というものは、アヒムが思っているよりもハルトムートにとっては深刻なものだった。


「そなたは知らぬからそのことを言えるのだ」


その一言から続けて出た言葉は、ハルトムートが今感じている『恐怖』そのものだった。何しろ、百年前にルクセンドルフ伯爵家から不倫の濡れ衣を着せられて大叔母がつき返されて以来、このシューネルト伯爵家は何かと不利益をこうむり続けているのだ。


加えて言うならば、ハルトムートの縁談はこれまで五度に渡って破談となっている。


「すべては……あの悪魔のせいなのだ。あのベアトリスという悪魔があることないことを周りに吹き込むからワシは……」


彼女が流した噂とは、ハルトムートが男色で、しかも変声期を迎える前の年頃が好みだというものだった。それはハルトムートの父が当時、王都のとある少年合唱団の後援を行っていたことに端を発したものだったが……周りはいくら否定してもベアトリスの言葉を信じたのだ。


そして、今現在、そのベアトリスの息子が大臣に就任したのだから、この先の未来は真っ暗というものだった。


「ですが……本当に勝算はあるのですか?」


このままロンバルドに留まっても先がないことはわからないわけではないが、だからといってバルムーアが負けてしまえば、シューネルト伯爵家は完全にお終いである。今度の話に乗るとしても、そこはきちんと押さえておく必要はあるだろう。


そう思って、アヒムが確認すると、「きっと大丈夫だろう」と頼りない答えが返ってきた。


「バルムーアの計画では、この東部に王国軍を引き付けておいて、アルデンホフ領で一揆を起こすことになってようだ」


「一揆を?……なるほど。確かアルデンホフ領は、先に公爵様が亡くなってからというもの混乱が続き、今では妙な宗教団体が事実上支配しているという噂がありましたな……」


もし、それがバルムーアの思惑通りに蜂起することになれば、補給路は断たれて東部に集まった王国軍は混乱するだろう。そのときに寝返りを起せば、他の貴族たちもそれに続き……確かにそれならば、勝算はなくもなかった。


但し、それは本当にその宗教団体が本当に一揆を起せば……の話だ。


「その一揆の話ですが……確実に起こるのですか?」


「それはわからん。使者の話だと、今、交渉している最中だそうだ」


アヒムはその言葉を聞いて、この計画は『絵に描いた餅』に過ぎないことを理解した。だが一方で、そのようなことはハルトムートも気づいていないわけではないことにも気づく。


「つまり……信じたいのですね?」


「ああ、そうだ。もちろん、本音を言えば、この計画の成否は五分五分だろう。だが、ワシはもう王国から離れたいのだ」


百年前の因縁は兎も角としても、ハルトムート自身が疲弊していたのだ。バルムーアとの関係悪化は、常に侵略に備えなければならないという緊張感を持ち続けなければならず、また財政への負担も大きい。それが無くなるのであれば、という思いが勝ったということだ。


「……わかりました。そこまで仰せられるのであれば、もう何も言いますまい」


アヒムはついに説得を断念して、ハルトムートの前を辞去した。但し、彼はその足で職務を放棄して自分の家に戻ると急いで荷造りを行った。


『勝者はまず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗者はまず戦いてしかる後に勝ちを求める』


昔、このシューネルト伯爵領に仕えていた軍師がそのようなことを言っていたなと思い出して、アヒムはこの戦いに勝機はないと悟ったのだ。それならば、沈む船に留まるわけにはいかないと。

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