第16話 悪人は、密かに暗殺を企てる
「父上、お願いがあるのです!」
屋敷に戻ったヒースは、そのまま父がいる執務室へ入るなり、そう言った。執務中で、書類に目を通していたオットーは、何事かと思って顔を上げる。そこには、いつもの天使のような息子が立っていた。
「どうしたんだ?ヒース。何か欲しい物でもあるのかい?」
まだ7歳になったばかりの息子。お願いと言っても高々知れているだろう。そう安易に考えていたオットーであったが、その息子の口から思わぬ言葉が飛び出してきたことに唖然として二の句が継げなかった。
なぜなら、その願い事とは、「孤児院へこれから毎年200万Gを寄付して欲しい」ということだったからだ。
「父上?」
いつまでも返事がないことを見かねて、ヒースはわざとらしく無邪気な笑みを浮かべて首をかしげて訊ね直してみた。聞いているのかと。
「ああ……大丈夫だ。もちろん、聞いているよ。他ならぬヒースのお願い事だからね。でも……いきなりどうしたんだい?誰かにお願いでもされたのかな?」
大方、教会関係者にいらぬことを吹き込まれたのだろうと思い、オットーは幼い息子を傷つけないように配慮しながらも訊ねた。そうであるならば、抗議の使者を送らねばならないと考えて。しかし……
「違うのです。ボク自身が思ったのです。何とかしてあげれないのかなと……。聞いたらみんな、朝と夜の2回しかご飯を食べていないそうなのです。それは可哀想じゃないかと……」
ヒースは悲しそうな顔をして父からの質問に答えた。その優しさに、オットーもほろりと心を絆されそうになる。が……
「それにしても、どうして200万Gもいるんだ?」
具体的な金額を挙げている以上、やはり誰かの入れ知恵ではないかとオットーは疑った。それに対して、ヒースは答える。
「お金のことは、司教様に相談しました。どれくらいあれば、みんなをお腹いっぱいにしてあげられるかと。それだけなら、年に10万Gほどあれば十分だと。ですが、それは今の人数で、ということなので、人数が増えれば足りなくなります」
現在の教皇の方針では、孤児院はこれから減らされていくのだ。存続するならば、それらの土地から流れてくる者もいて、人はこれから増えると考えるべきだろう。ただ援助をするだけでは、砂浜に水を撒くように、吸い上げられるだけで何も残らない。
「ですので、援助をするのなら、この領地にとって利益を生むようにしなければ意味がないでしょうと。そのためには、200万Gあれば……」
ヒースは、全て司教から言われた言葉としてオットーに伝えた。もちろん、本人の了解などは得ていない。だが、きっと話を合わせてくれると信じて何も躊躇わなかった。
すると、オットーは考え込んだ。息子を利用したことについては腹ただしく感じながらも、一方でその有益さを認めた。有能な人材は、喉から手が出るほど欲しいとは思っている。しかも、伯爵家に恩を感じる者であれば、尚更である。
もちろん、伯爵領の財政にとって、年200万Gの出費は痛くないわけではないが、将来への投資と割り切って支出することは可能だ。オットーはヒースの父親としての親子の情ではなく、この領地の統治者として決断を下した。
「わかった。ヒースのお願いを叶えることにしよう」
オットーは頬を緩めてそう言った。ヒースは可能な限り嬉しそうに笑顔を見せて、「ありがとう、父上!」と感謝の言葉を述べる。
……だが、その心の内では別のことを考えていた。
(よかったわい。今日は毒を盛らずにすんで……)
今回の一件は、ヒースの今後を占う重大な選択だった。だから、もし、オットーが拒めば、殺して当主の座を奪ってでも……と、天使のような笑顔の裏で、ヒースは決意していた。そして、今、オットーが飲んだコーヒーに毒を仕込むための魔法は、いつでも発射可能だったのだ。
もちろん、ヒースの中にも父親に対する情がないわけではない。だから、こうして話し合いで決着が済むのが一番望ましいとは思っている。だが、自分の進む道に障害になるのであれば、一切躊躇うつもりはなかった。誰であろうと例外はない。それは、今後もだ。
「どうしたんだ?ヒース?」
まさか目の前の幼い息子がそんな悪魔のようなことを考えているとは、露ほども知らずに、オットーは他にも用事があるのかと呑気に訊ねた。
「ううん、なんてもありません。……これで失礼します」
ヒースは最後ににこりと笑って、部屋を退出する。目的を達成した以上、最早ここに居る理由はない。
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