幕間 愚かな王は、陰謀の存在に気づき……
夜——。
オリヴィアが読んでいた本を閉じて、そろそろ眠ろうとしていた時、不意に窓に何かが当たる音がした。そして、「なんだろう?」と思い、外を見ると……階下にはハインリッヒの姿があった。
「陛下?」
「このような夜分遅くに済まぬ。だが、少し話があるのだ」
ハインリッヒはそう言って、オリヴィアにこちらへ来てもらいたいと手招きした。そのため、断るという選択肢を持たない彼女は、近くにかけていたガウンを羽織って、こっそりと屋敷を抜け出し、彼の下へと駆け寄った。
「それで……一体どうしたのですか?」
「実はな、そなたの意見を聞きたいのだ」
「意見?」
周囲には誰もいない離れの東屋で、ハインリッヒは昼間にあったことを全部打ち明けた。自らの不始末で子ができて、外交上の問題になってしまったこと、そして……その子の処遇に関することも。
「か、隠し子ですか!?」
「どう思う?アルデンホフ公は、地方のしかるべき貴族の養子にして身が立つように計らうというが……」
「いや……どうって……」
未来の妻に平然と悪びれることもなく隠し子の処遇を相談するこの男に、オリヴィアは唖然とした。
(まずは、わたしに頭を下げて浮気を詫びる場面でしょ!それなのに、この男は……!)
逢瀬を期待して、ウキウキした気分でここまで来たというのにと、これでは間抜けではないかとオリヴィアは腹を立てた。だが、今、そのことを言い立てたところで、何も変わらないことはわかってもいた。
「つまり、アルデンホフ公を信じられるかということですね?」
「そうだ」
だから、今日の所は、そのような大切な話を相談してくれたことに価値を見出すことにして、ハインリッヒとの関係を深めることを優先させて、真摯に質問に答えることにした。
すなわち……「アルデンホフ公を信じてはいけない」という答えを告げて。
「やはり……ヴィアもそう思うか」
「はい。彼の御仁がこれまで行ってきたやり口を考えれば、その子はきっと天寿を全うすることはあり得ないでしょう。ほとぼりが冷めた頃を狙うことを考えれば、おそらくは……あと2、3年の命かと」
「あと2、3年……」
その具体的な数字に打ちのめされて、ハインリッヒは頭を抱えた。そのうえで、何か良き方法はないかとオリヴィアに訊ねる。何とかして助けたいという思いを込めて。
「そう言われましても……」
「子供に何の罪があるというのだ!罰なら俺が受けるから、何とか……何とかならないだろうか!」
涙を流しながら、必死に縋る様にしてハインリッヒは繰り返しオリヴィアに救いを求めた。こうなると、惚れた弱みもあって、何とかしたいという気持ちが湧いてくる。
(ただ……政治的判断で言えば、アルデンホフ公の判断は間違っているわけではない)
オリヴィアとしても情に流された挙句、将来この王国で血を血で洗う凄惨なお家騒動が起こるのは避けたいところだ。何しろ、そのときに当事者となるのが自分やまだ見ぬ我が子となる可能性が高いのだから。
(ホント……どうしたらいいのでしょう?)
目の前で相変わらず泣きじゃくっているハインリッヒを他所に、オリヴィアは空を見上げてため息をついた。自分こそ誰かに相談したいと思いながら。ただ……脳裏にいくつかの顔が浮かんでは消えていく。
(兄はアルデンホフ公のポチだし、父や祖父も頼りなし。ハインリッヒ様のお友達は無能ぞろいで論外よね。クラウディアは何かと親身になってくれるけど……そもそも、公の側室だし……)
あまりに自分の周りに人がいないことに気づいて、オリヴィアは自虐的に笑った。だったらと、その範囲を知り合いレベルに広げて考えてみる。すると……ひとりの顔が脳裏に浮かんだ。
「それならば……」
そして、彼女は切り出した。すなわち、その子を頃合いを見計らって攫い、遠い異国の地にいる勇者義輝に託してはどうかと。
「勇者義輝……?その者は、信用できるのか?」
「わかりません。ですが……少なくとも、お子をアルデンホフ公に差し出す男ではないかと思います」
義輝が別れ際に言っていた『怨敵・松永久秀』の特徴は、ヒースと酷似していた。そのことを思い出して、オリヴィアはこの二人が敵対していると推測していた。加えて言うならば、最近届いた手紙には、遥か遠いレムシアにいるとあり、容易に戻って来ることはできないということも好ましい条件だ。
「ただ……命は全うできるかもしれませぬが……」
「わかっている。どのみち、俺が会うことはかなわないのだな」
寂しそうに呟くハインリッヒであるが、それでも殺されるよりかはマシだとして、提案を受け入れた。そんな彼の背にオリヴィアは何も言わずに手を回して、優しく包み込むように抱きしめるのだった。
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