第247話 悪人は、交渉結果を報告する
「……それでは、余は退位せずともよいのだな?」
交渉の大枠が纏まり、報告に上がったヒースらにハインリッヒは確認するように訊ねた。
「はい。ロマリアは、此度のことを『不幸な事故』という形で処理をすると約束してくれました。エトワール公爵に対する慰謝料という形で賠償金を支払えば、この問題は一先ず解決となります」
「よかったぁ……」
玉座に座るハインリッヒは、ホッとしたような表情を浮かべて、この結末を素直に喜んだ。だが、ヒースは思う。彼の人生の選択においては、寧ろここでリタイヤしておいた方が幸せではないかと。
何しろ、近頃は心を入れ替えて良き王になろうとしているが、だからといって調子に乗って身の程知らずなことをしようとすれば、そのときは消される運命が彼には待っているのだ。
(ヘレン……わかっていような?)
それゆえに、ヒースは王の隣に立つ彼女を見た。愛妾として、しっかり手綱を握っておくようにと念を込めて。しかし……その願いも虚しく、ハインリッヒは早速余計なことを口走った。
「なあ、アルデンホフ公。マリア殿との間に生まれた子のことだが……余の子として、この王宮に迎えることはできないか?」
「は?」
「いやな、亡くなってしまったマリア殿に申し訳ないと思ってな。せめて、我が子として余が自ら立派に育てたいのだ。そうすることが彼女への一番の償いになるのではないかと……」
言っていることは、これまでのハインリッヒとは想像もつかない立派なことではあるが、ヒースは頭が痛くなる思いがした。少し資産のある平民や領地を持たない貴族ならば兎も角、彼はこの国の王なのだ。この決断が十数年後の流血沙汰だって招くこともある。
そして、それはこの場に同席した他の者たちも同意見のようだった。
「陛下……それだけは絶対になりません。将来の禍根になります」
「なぜだ?クライスラー侯。余は何も王太子にするとは言っておらんのだぞ。庶子として十分な処遇を与えたいと申しているだけではないか」
「庶子といっても、陛下には現時点でお子がおられません。もし、この先お生まれになれば、そのお子にとって兄になるわけで……」
「何が言いたい?はっきり申せ!」
「……ですから、兄が弟に仕えるという事態が発生するわけですよ。当人が屈辱を感じてよからぬことを考えるかもしれませぬし、まして、これで王太子となられた弟の出来の方が悪かったら……」
間違いなく、宮廷内で後継者を巡る争いが起こると、クライスラー侯爵は少し言い辛そうにしながらも続けた。そして、ストロー伯爵もその意見に賛同した。
「だが……卿らはそういうが、それならマリア殿の子はどうなるのだ?」
今までは、エトワール公爵の庇護下にあった。何しろ、疑いは持っていただろうが、それでも公爵家の嫡子として大切にされてきたとは聞いている。
しかし、これからは違う。こうしてここで話をしている間にも『不義の子』として、酷い仕打ちを受けていても何ら不思議ではない。ハインリッヒは気が気でならなかった。
「ご子息については……ロマリア政府が保護して、こちらに引き渡すことで合意しておりますから、ご安心を。但し、陛下のご子息として、王宮に迎えるわけにはいかぬというのが、我々臣下の総意にございます」
「アルデンホフ公、卿らの意見はよくわかったが……それなら、どうするのだ?」
「地方のしかるべき貴族の養子とします。終生親子の名乗りは認められませんが……それなりに身が立つようには配慮しましょう」
但し、恭しくそう回答する裏側で、口にはしない絵図がヒースにはある。それは、暗殺だ。
(元々、体が弱いと聞いているからな。毒を盛っても、流行り病で死んだと言えば、疑われることはあるまい)
一旦受け入れてから、2年から3年をめどに、ヒースは手を下すつもりでいる。それは、ロマリアのコルネリアスも、この場にいるクライスラー侯爵やストロー伯爵にも打ち明けていた。つまり、知らぬはハインリッヒのみだ。
「そうか……。それが『最善』ということなのだな?」
「はい、そのとおりにございます」
「ならば、わかった。だが……くれぐれも粗略に扱ってくれるなよ。頼んだぞ」
「お任せを」
そして、知らぬがゆえに、ハインリッヒはこの上辺だけの応答をもって、この一件は幕を下ろした。のちに後悔することになるとは思わずに……。
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