幕間 逃亡侯爵は、裏で糸を引く

王都リンデンドルフのほぼ真ん中にあるセイラム大聖堂——。


その1階の礼拝堂には、勇者召喚のための魔法陣が設置されていて、魔族の侵略に怯える者たちが貴賤を問わず、今日も列を作って順番を待っていた。皆、勇者召喚のためにわずかであっても、魔力を魔法陣に注ぐために。


「勇者様……どうか我らをお救い下さい」


それは、誰が言い始めたことかはわからない。だが、いつしか魔力を注ぐ際の呪文となり、今では誰もが当たり前のように口にしていた。つまり、それほどに皆、真剣に救いを求めていたのだ。しかし……


「全くもって、愚かなことだな。我らに利用されていることに気づかぬとは」


そんな希望にすがる人々の列を窓越しで見下ろして、嘲り笑う者がこの大聖堂には存在している。旧バルムーア王国の宰相であり、目下全国指名手配中のバランド侯爵だ。彼は、シューネルト伯爵領から脱出後にルイ王とはぐれてしまったがゆえに、幸運にも命を繋いでいた。


但し……国に残していた家族は皆殺されたと聞いていて、復讐の炎をその目には宿していたが。


「侯爵……前も申し上げたが、あまり窓際に立たれるべきではないと思うが……」


そして、そんな彼を匿い、さらに苦言を呈するのは、この勇者召喚という話を王宮で提案したベッケンバウアー枢機卿だ。変装しているとはいえ、その場所では下から丸見えなのだ。バレたらどうするのかと心配する。そのときは、自分もただでは済まないからと。


だが、バランド侯爵は笑う。そんな度胸では、教皇の椅子を手にすることはできないぞと取り合わずに。


「大体、そのようなことを気にするのであれば、俺を初めから受け入れるべきではなかったのでは?」


「そ、それは……」


ベッケンバウアー枢機卿は、苦虫を潰したようにして言葉を詰まらせた。確かにバランド侯爵の言葉は間違ってはいない。バレるのが怖いのならば、例え遠縁にあたり、知己があるといっても、初めから犯罪者を匿うというようなことはしなければよかったのだ。


しかし、匿わなければ、勇者召喚用の改良魔法陣は手に入っていない。これは、バランド侯爵が持ち込んだ旧バルムーア王国で極秘に開発された代物だったからだ。そのうえ、使い方も侯爵とその部下しか知らないとあっては、無下にするわけにはいかない。例え、腹が立ったとしても。


「それで、侯爵の見立てでは、あとどれくらいで召喚魔法は発動できますかな?」


今日も眼下に見えるこの大聖堂へ続く道には多くの者が並んでいる。すでに国内に話は広まっているのだろう。中には明らかに農民のような恰好をしている者もいて、王都のみならず、地方からも駆けつける者がいることを窺い知ることができた。


それゆえに、ベッケンバウアー枢機卿は左程時を置かずに、勇者召喚を実現できると考えていた。しかし……


「今のペースで行けば、大体3か月から4か月といったところだな」


「3か月から4か月……」


「なんだ?不服か?」


「いえ、そのようなことは決して……」


そうは言いつつも、ベッケンバウアー枢機卿は本心ではショックを隠しきることができなかった。そんなに時間がかかれば、勇者召喚より先に世界は魔族に蹂躙されるのではないかと心配もする。


すると、そんな彼の思考を見透かしたかのように、またバランド侯爵は笑う。むしろ好都合ではないかと言って。


「好都合?それは一体……」


「考えてみろよ。そんな危機的な状況だからこそ、勇者の価値というものは上がるというものじゃないか」


そして、そうなれば召喚に尽力したベッケンバウアー枢機卿の功績はより一層輝くことになるとバランド侯爵は続けた。


「教皇にどうしてもなりたいんだろ?」


「それは……確かにその通りですが……」


だからといって、そのために犠牲者を増やしていいとまでは、ベッケンバウアー枢機卿はどうしても割り切ることはできない。野心家ではあるが宗教家であり、侯爵と異なり良心を全て捨てたわけではないのだ。


「何とかもう少し早くすることはできませんか?摂政殿下にお願いして、魔法使いの方に少し無理をして頂ければ……」


そうすれば、召喚魔法の発動は早くなるのではと、ベッケンバウアー枢機卿は確認するように訊ねた。しかし、この提案は受け入れられなかった。


「悪いが、こちらにも準備があってな。それくらいの時間は必要なのだよ」


バランド侯爵は、含みを持たせてそう答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る