第261話 悪人は、万一の避難計画を説明する
「それで、今のところは何も変わったことはないのだな?」
王都を出発してから4日目の夜。明日にはリートミュラー領に入るという情勢の下、ヒースは『転移の指輪』でルクセンドルフ侯爵邸の私室に帰って来ていた。なお、この場にはエリザやクリスティーナだけでなく、ルキナやクラウディア、それにカリンまで集まっていた。
そして、そんな中でエリザは答える。「今のところ、問題はない」と。もちろん、それは嘘ではない。王都の夜は、誰から見ても平穏そのものだ。
「ねえ、本当にガモット財閥がクーデター何て起こすのかしら?」
それゆえに、これまで蚊帳の外に置かれていたルキナからは、疑問を呈する声が上がった。ヒースの言うように確かにクーデターを起こすつもりなら、今の状況はチャンスであろうが、その兆候がないのだから理解が追い付かない。
しかし、ヒースは動きがあるとすれば、寧ろ2、3日位は後の話だろうと言った。
「敵はきっと、日数を計っているはずだ。距離を考えれば、戦闘が開始するのは明日か明後日といいようにな」
そのうえで、一度戦闘が開始されたら、容易に引き返すことはできなくなることから、連中にその気があるのならその辺りでクーデターは起こるだろうと。そして、そのときは誰が味方で誰が敵なのかわからないと告げた。
「ゆえに、今日皆を集めたのは他でもない。もちろん、ワシは敵をあぶり出した後、一網打尽にするつもりではいるが……万一のこともある。それぞれ明日、付けている影武者と入れ替わり、夜陰に乗じて全員この屋敷に避難しろ」
「避難?」
「避難してどうするのですか?」
「転移魔法で、アルデンホフ領に全員移動だ」
リートミュラー領にもルクセンドルフ領にも、おそらくだが監視の目はあると判断して、ヒースは家族の隠れ家にアルデンホフ領を選んだ。そこなら、アドマイヤー教による防諜体制は強力で、監視の目は強制的に排除されているだろう。情報が洩れる心配がない。
なお、この屋敷の地下には、現在進行形でアカネの指揮の下、バルムーアの技術者たちが突貫作業で転移魔法陣を準備している。
「あの……お義父さまやハインリッヒたちは……?」
「わたしも……お父様に……」
「伝える必要はない。こちらとしても実際は綱渡り状態だ。今のところは勝てる算段をしているが、もしかしたらちょっとした情報漏洩から盤面がひっくり返ることもある」
そして、ヒースは念を押した。この話は、今ここにいる者以外には決して漏らすなと。
「ですが、お兄様。ハインリッヒが敵の手に渡るのはよろしくないのでは?あんな奴でも、この国の王ですからね。残念な話ですが……」
クラウディアは引き下がったが、明らかに不服そうな顔をしているルキナに気づいたのだろう。カリンがそう言って、少なくともハインリッヒだけでも、避難を呼びかけるべきではないかと提言した。さもなくば、敵が勅命を発して、こちら側に反逆者の汚名を着せてくるのではないかと。
しかし、ヒースは首を縦には振らなかった。
「無論、その懸念があることは承知している。だが……それをすれば、きっとラクルテル侯爵の知るところになるだろう」
何しろ、彼は宮内大臣である。ハインリッヒたちが口を噤んだとしても、接触した時点で情報は筒抜けだ。その彼が敵方に付いた可能性がある以上、知らせるべきではないというのがヒースの見解だった。それは、例え『逆賊』の汚名を着せられようとだ。
「お兄さま……」
「そんな顔をするな、カリン。なぁに、何の心配もいらん。逆賊になったところで、勝てば官軍よ。少し脅せば、ハインリッヒも許してくれるはずだ」
許してくれなければ、王を別の者に挿げ替えるだけだと心の中で考えているヒースであったが、ルキナがいる手前、ここではその話はしない。
「だけど……万一の避難ということなら、今集まっているわけだし、なぜ今やらないんだい?」
「魔法陣の準備が明日の夕方までかかるそうなのだ。本当は、クリスティーナさんのいうようにこのまま出立できれば良かったのだがな……」
「少し予定が狂ったよ」と笑いながら語ったヒースに、クリスティーナは「それなら仕方ないね」と言って、それ以上の追及は行わなかった。
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