第45話 悪人は、婚約者の見せたギャップに悶える
ルクセンドルフを出発してからおよそ6日後。
ヒースたちを乗せた馬車は、無事に王都にある『ロンバルド王立初等学院』に到着した。ここには、毎年10歳になった貴族の子弟が集められることになっていて、向こう5年間は寮に寄宿して、貴族として身に着けるべき基本的な学問を学ぶことになっている。
だが……もちろん、それは建前であるとヒースは見抜いていた。
(つまり、王家に従順な人材になるように子供の時から刷り込ませようということなのだろう……)
馬車が正門を通り過ぎたのを見ながら、ヒースは「残念だったな」と呟いた。そんな思惑に乗るほど自分は甘くないぞと……そう思いながら。
「どうかなさいましたか?ヒース様」
「いや、何でもない。ただの独り言だ」
しかし、どうやら零れた声がエリザの耳に届いていたようだ。怪訝そうに見つめる彼女に、ヒースは誤魔化してそう答えた。そして、そうこうしている間に、馬車は学院の玄関前に到着した。
「ここからは、別々だな」
玄関から入ってすぐの場所にある事務所に、入学に必要な書類をそれぞれ提出した後、ヒースはエリザに言った。男女の寮は別々に分かれていて、その分岐点はこの事務所の前だったのだ。
「あの……ヒース様」
「なんだ」
「忍び込んじゃダメですよね?」
「いや、ダメだろう……って、忍び込めるのか!?」
「はい。わたしには【忍び】のスキルがありますから」
エリザは、笑顔で自信満々に告げてヒースを驚かせた。確かにそのスキルがあることはヒースも知っていたが、いつの間に習得したのかと疑問を抱く。すると、エリザは躊躇いもなくその経緯を説明した。
「こう……自然にですわ。あとは、お義母様も喜んでくれたので、頑張りましたから」
(いや……全然理解できないのだが……)
エリザはようやく話せたことに嬉しそうにしているが、ヒースは心の内でそう思った。但し、そのことを言い出せずに、笑顔で頷きはする。
(まあ、経緯は兎も角、【忍び】の術は使えるということだけは理解しておけばいいことだな……)
どれほどの腕前なのかはわからないが、その力に頼るつもりはないので、一先ずそのことは置いておいて先に進むことにしたヒース。そして、改めて部屋に忍び込んではダメだと彼女に伝える。そもそも、同居人がいるはずだから、まずい話になりかねないと。
「そうですよね……すみません。わがままを言いました」
エリザはシュンとしてヒースに謝った。どうしてそんなことを急に言い出したのかと訊ねるヒースに、彼女は「寂しくて」と俯き加減で答えた。その姿にヒースの心は揺さぶられた。
「まあ、忍び込むのはダメだが……慣れるまではなるべく一緒にいるようにしようか」
寮の門限は午後7時だという。それまでなら、校舎の内外問わず共に過ごすことはできるのだ。それで手を打ってくれないかと。
「はい!是非そうさせてください!」
エリザは満面の笑みでヒースの提案を受け入れた。そして、この後荷物を部屋に置いたら早速付き合ってほしいと。ヒースも「わかった」と答えて、1時間後にこの場所で待ち合わせることにして、そのまま荷物を持って別れた。
「しかし……可愛い所もあるものだな……」
階段をのぼりながら、ヒースは先程のエリザの顔を思い出して呟いた。実家にいたときは、前世の記憶でもあるのかと疑うほど完璧令嬢として母の側に寄り添っていて、美少女だけどどこかとっつきにくいイメージがあったのだ。
だが、そのギャップを思い出した時、ヒースの脈は速くなり頬は赤くなった。
(おい、おい……初心な童じゃあるまいし……何なんだよ。この感情は……)
前世では二人の正室に、側室までもいたヒース。さらに言えば、転生神殿でルキナを弄んだように、女遊びにも精通していて、果てやその指南書まで書くというツワモノだった彼は、その感情の正体に気づかないわけではなかった。
ゆえに戸惑っている。今更、どうしてこのような気持ちになるのかと。
(まあ、考えても仕方ないか……)
そう思って、宛がわれた部屋のある3階に辿り着いたヒースは、その行く手に一人の男が立っているのが見えた。……とはいっても、ヒースより少しだけ年上という感じの子供ではあったが。
しかし、その横を通り抜けようとしたとき、その男は両手を広げて行く手を塞いだ。
「おい……そこを退いてもらいたいのだが……」
妨害されたことに苛立ち、それでも上級生だと思って低姿勢でお願いをするヒース。だが、そんな彼に男は掴みかかり、殴りかかってきたのだった。
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