幕間 愚かな王は、心の隙間を宗教で埋める(後編)

ちなみにだが、ローザは別にハインリッヒのためにわざわざ王都に出向いているわけではない。


「なによ、一体。わたしは今、とぉっても忙しいのよ。レオンちゃんに説法をしていてね。ねぇ、レオンちゃん。お姉ちゃんと離れたくはないわよねぇー」


「あーうぅ?」


「ほら!この子だって、わたしと離れたくないって言っているわ!それなのに国王?うちのレオンちゃんに比べれば、あんなのカスよ!適当にあしらいなさい!」


彼女がこの王都に来た理由。それは、今世におけるレオンに会いたかっただけなのだ。だから、「国王に会ってくれ」と言われても、この至福のひと時を手放したくはないというのがまごうことなき本音であった。


「し、しかし……それでは、カスティーヨ上人の面目が……」


「ちっ!奴の案件か……」


だが、そうは言っても、部下がそのように告げてきたカスティーヨは、教団運営における有力な金づるの一人であった。そのため、教主であるローザといえども、完全に無視することは簡単ではなかった。


ゆえに、折衷案を取ることとした。すなわち、影武者だ。


「ねえ、お姉さま。誰か一人借りられないかしら?わたし、レオンちゃんから離れたくないわ」


「……仕方ないわね。ヒース様に頼んでくるわ」





そんなやり取りの後に、【陽炎衆】の中からローザと背格好がよく似た少女が影武者に選ばれて、カスティーヨが指定した宿に向かうこととなった。変身術のスキルレベルも高かったこともあり、何も知らないカスティーヨは、彼女がローザだと疑うことなく、ハインリッヒに紹介した。


「国王陛下。こちらにおられるのが、我が教団の教主様であらせられるローザ・アドマイヤー様でございます。……って、陛下?いかがなさいましたか?お顔が赤いようですが……」


「え……?あ、ああ……」


驚いたような顔をして固まるハインリッヒを見て、影武者の少女・ヘレンは警戒した。もしかしたら、正体がバレているのかと考えて。しかし……そうではなかった。


ヘレンがローザからあらかじめ指示を受けていた通りの『説法』を行っている最中のこと。いきなり手を握ってきて……耳元で囁かれたのだ。「隣の部屋に参ろう」と。


「は?」


意味が分からずに周囲を見渡すが、さっきまでいたカスティーヨの姿は消えていて、この部屋にはハインリッヒと二人きりになっていたのだ。


「い、いや……ちょっと待ってくださいよ?何でいきなりそんな話に……」


「すまない。無作法は詫びるが……一目惚れだ。しかも、その天使のような声。ぼかぁもう……!」


「意味わかんないわよ!って、OKもしていないのに、しれっとお尻に触ろうとするな!」


突然獣のように襲ってきたハインリッヒに、ヘレンは抵抗し……そのまま豪快に投げ飛ばした。一応、こういうこともあろうかと、ヒースより一通りの武芸は教わっていたのだ。素人には後れを取るはずもない。


但し、相手は国王ということもあり、かなり手加減はしているのだが。


「いたたた……」


激しく床に腰を打ちつけたハインリッヒは、情けない声をあげながら、ゆっくりと近づいてくる彼女を見上げた。すると、ローザの姿のままでヘレンは言う。「その汚らわしい性根を叩き直してあげるわ」と。


そして、ここからは地を出してヘレンはハインリッヒを説教した。まずは正座をさせて、王である以前に男としていかにダメなのかを悟らせた。


「いい?さっきみたいなことをして、誰があなたのことを好いてくれると思うのよ」


あのまま押し倒して事を為せば、ひと時は欲望を満たすことはできるかもしれない。しかし、そのあとは何も残らない。手のひらで救った水が漏れていくかのように、得たはずの幸福感は忽ちのうちに失われて、再び孤独を感じることになるだろう。


「それがあなたの望みなのかしら?それなら、もう何を言っても無駄だけど……」


ヘレンは、ハインリッヒに問い質した。それがお前の本心なのかと。


「そんなことはないよ。ボクだってみんなに好かれたいとは思っている。……だけど、嫌われ者なんだ。最近では、国王の地位があっても誰も相手にしてくれない……」


実の所、一人だけ例外はいるのだが、ハインリッヒは気づいていなかった。口うるさくされているため、嫌われていると誤解して、話を続ける。


「だから……こういう風に強引に攻めて逃げれないようにしないと、何も手に入らない。もちろん、これは悪いことだとは理解している。でも……他に方法がないんだ!」


涙を流しながら、ハインリッヒは心のうちにため込んだ悩みを吐き出した。しかし、ヘレンは慰めたりしない。


「悪いことだと理解しているのなら、止めればいいでしょ!大体、そんな難しそうなことを考えているくらいだからわかるわよね?そんなことをすれば、もっと嫌われて最後は哀れな末路を辿ることになると」


「そ、それは、そうだけど……」


「だったら、まずそういう考えや行動をやらないようにすること。まだ若いし、時間は十分あるわ。今日からどうやったら人に好かれるようになるのか。諦めずに少しずつ変えていきましょう」


そうすれば、「いつかはみんなあなたのことが好きになってくれるから」とローザの姿をしたヘレンはハインリッヒを励ました。すると……何を思ったのか、ハインリッヒは涙を流しながら、その場で土下座をした。


「教主様!これまでのご無礼、どうかお許しください!!」


そのうえで、彼は願う。「今後も導いて欲しい」と。


「え?えぇ…と?」


いきなりの弟子入り志願に、ヘレンは困惑した。何しろ、自分は影武者でローザ本人ではないのだから。しかし、いつの間にか現れたカスティーヨが待っていましたとばかりに全てをまとめる。


「これは素晴らしい!陛下、どうか一緒に教主様に導かれて幸せになりましょうぞ!」


「はい!」


目の前で教義を熱く語るカスティーヨとその話に目を輝かせて聴き入るハインリッヒ。ヘレンはついて行けずに、「用事があるからこれで……」と二人を残して退室した。


「もう疲れたわ。帰って寝よっと……」


そして、玄関前に【陽炎衆】が用意した馬車に乗り込んで、変身を解いて家路についた。一抹の不安を感じながらではあったが……そこまでの給料は貰っていないと、割り切ることにしたのだった。

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