第153話 悪人は、現地領主に無断で川をせき止める
シューネルト伯爵領に入り、シシリー川を上流に向かって遡ることおよそ1時間半。周囲には人家はなく、左右が切り立った崖に挟まれた谷間を前にして、ヒースは馬を止めた。
「丁度、このあたりがよさそうだ」
そう言って馬を下りて、まずは長旅で固まった手足の筋肉をほぐした。すると、アーベルが訊ねる。これから一体何をするのかと。
「川をせき止めるのだ」
ヒースは簡潔にそう告げるが、その一言でアーベルはこれから何が起こるのかを理解した。
「水攻めですか?」
おそらく、この地で川の水をせき止めて、下流域をバルムーア軍が渡ろうとしたところで堰を切るつもりなのだろう。そう推測して確認するように訊き返すと、ヒースは静かに頷いた。
「しかし……それでは、例え勝ったとしてもシューネルト伯爵領には多大な被害が……」
ここに来るまでに通った道すがら、広大な麦畑が広がっていたのだ。もし、堰を切れば、バルムーア軍のみならず、それらの畑も濁流は飲み込んでしまうとアーベルは心配した。
だが、ヒースは意に返さない。
「アーベルよ。国が滅びてしまっては、何もならないのだ。それはわかるよな?」
「はい……それはそうですが……」
「だったら、それ以上のことは言うな。ワシだってな、本当はこのようなことはしたくはないのだ」
ヒースは言っていることとは対照的な清々しい表情で、アーベルとの会話を半ば強引に話を打ち切ると、右手を対岸の崖に向けてかざした。
「【爆弾正】を使う。それなら、大して時間はかかるまい」
そして、早速スキルを発動させると……
ドゴン!!ドゴン!!ガラガラガラ!!!!
確かに時間はかからずに、谷は埋まり川の水をせき止めることには成功した。だが、その大きな音は、別の厄介ごとを招き寄せた。
「貴様ら!そこで一体何をしているか!!」
撤収しようと馬に跨り来た道を戻ろうとしたところで、空に10騎余りの竜騎兵の姿が見えた。掲げている旗を見れば、それはシューネルト伯爵家の手の者であった。
「……まずいな」
ヒースの口から零れたその言葉を耳にして、「ほら見たことか」とアーベルは呆れる。こういうことがあるから、やはり先に話を通しておくべきだったのだと。だが、それも後の祭りだ。今はどう乗り越えるか考えるのが先決だった。
「お義兄さま……ここは」
「わかっておる」
ヒースがそのように言ってくれたので、アーベルはヒースの名を隠して、実家であるランブラン商会の名を使って誤魔化そうとした。ここに来たのは、政府の命令で金鉱脈を探しに来たというように。しかし……
「ぐふっ!?」
「がああああ……!!」
「だ、ぐるし……」
次の瞬間、空にいた竜騎兵たちは騎乗していた飛竜もろとも地上に向かって落下していった。唖然としてその光景を見送ったアーベルは、眉間に手を当てて一体何をしたのかとヒースに訊ねた。
「えっ?見られたから口を封じただけだけど」
それは罪悪感の欠片もなく、さも当たり前のようにヒースは質問に返答した。そして、致死量越えの【毒魔法】を使ったと。
「何もわかっていなかったのですね……」
その容赦ない手口に、アーベルはため息をついた。なにも殺さなくてもよいのではないかとも付け足して。
しかし、ヒースは悪びれずに言う。シューネルト伯爵家の連中に話し合いなど通じないと。
「大体、そもそもの話だ。シューネルト家から娶った嫁が、女装させて連れてきた侍女(?)と駆け落ちしようとしたことに端を発していてだな……」
結局、逃げきることはできなかったそうだが、その相手が嫁ぐ前に契りを交わした恋人だと自白されては、ルクセンドルフ家としても許すわけにはいかない。当然のごとく、離縁状を持たせて実家に帰したが、今度はシューネルト家が騒ぎ立てたのだ。「イチャモンをつけるんじゃねぇ」と。
「そんな愚かな奴らなのだよ。シューネルト家の連中はな。そんな相手に話し合い?……全くもって必要はないな」
ヒースは一切の揺らぎも見せることはなく、アーベルにそう言い切った。そして、せき止めた岩の上に乗り、またなにやらスキルを発動させて、細かい設定を行った。
「ふぅ、これで良し」
「今度は何をやったんですか?」
「堰を切るタイミングだが……ワシの思念を飛ばして、爆破できるようにしたのだ」
何しろ、予測される渡河地点とここまでは距離があるのだ。それくらいの工夫は必要だとヒースは言う。そして、今度こそ全ての用事が片付いたから、王都に帰ろうと。
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