幕間 婚約者は、説得される

「エリザ、安心しろ!ルクセンドルフ伯が何を言って来たって、俺たちが必ず守ってやるからな!」


まだ朝早いと言うのに、態々訪ねてきたウォルフがそう言い放つ。その姿は、姫を守ろうとする騎士のように見えなくもないが……エリザとしては些か心配にもなる。


「あの……ウォルフお兄様?お気持ちは嬉しいのですが……」


あまりそう息巻いて欲しくはないとエリザは思う。自分のせいで、このロシェル家にこれ以上の迷惑をかけたくないのだ。しかも、昨日は訪ねてきたヒースに殴りかかったと聞く。


(大丈夫だと思うけど……ヒース様を本気で怒らせたら……)


今まで傍に居て、その苛烈さを知るエリザからすれば、今、彼がやっていることはドラゴンに向かって石を投げているようなものだ。逆鱗に当たれば、ロシェル家丸ごと叩き潰されることだってあり得ない話ではない。


ただ……そうしていると、対称的に冷静にこの問題に対処しようとしている兄エドウィンがやってきて、ホッと胸をなでおろした。彼はヒートアップする弟の頭にゲンコツを一つ落とすと、エリザに来客を告げた。


「クリスティーナ様がお見えに?」


面識はないが、その名はベアトリスから幾度となく聞いている。ティルピッツ侯の娘でありながら、平民に混じって花屋を営んでいるという変人だと。


「どうする?会うのが嫌なら、帰ってもらうけど……」


「いえ、お会いするわ。お気遣いいただき、ありがとうございます」


恐らく用件は、仲裁なのだろうとエリザは感づいた。もっとも、喧嘩しているわけではないので奇妙な気がしたが、ヒースならともかく彼女に会わない理由はなかった。


そして、少し支度をしてから応接室へと向かう。すると、そこにはとても花屋の女将とは思えない貴婦人が優雅にティーカップを傾けながら待ち構えていた。


「お初にお目にかかります。エリザ・フォン・ロシェルにございます」


「ほう……あんたがベティの自慢する『うちの娘』か。いやはや……あの坊主が全てを捨ててでも守りたいのもわかるわ。ホント、美人ね」


上から下までジロジロと見つめながら、クリスティーナは挨拶代わりにそう言った。その上で話をしたいからと席を勧める。


「あの……最初に申し上げますが、わたしは別にヒース様と喧嘩をしたわけではなく……」


このロシェル家……特にウォルフなどはその勘違いの度合いは強いようだが、ここに来たのはあくまで少し気持ちを整理したいからというのが理由だ。ヒースがどうこうではなく、自分の未熟さと向き合い、乗り越えるために。


「でも、周りはそう思っていないわよね?あの坊主なんか、この世が終わるような顔をして泣きついてきたし。どうしても浮気が許せないのなら、王女や宰相の孫娘との婚約話を全て破談にして、この国の外に駆け落ちしようとまで言っているわ」


「え……?」


どうしてそんな話になるのかとエリザは理解に苦しんだ。そして、その愛の重さを改めて知り、より心が重くなる。自分はそのような凄い人だとは到底思えないからだ。


ただ……その気持ちが顔に出たのだろう。クリスティーナが呆れるように言った。「その想いがプレッシャーなのかい?」と。


「はい……」


エリザは俯きながら蚊の鳴くような声で力なくそう答えた。すると、同時に左の頬に痛みを感じた。顔を上げると、右手を振りぬいたままのクリスティーナがそこにいた。


「エリザ!大丈夫か!?」


「クリスティーナ様!いくらなんでも、暴力は許されませんぞ!」


頬を叩いた音が大きく外にまで聞こえたのだろう。バンと扉が開かれて、ウォルフとエドウィンが部屋に駆け込んできては、エリザを庇い立てした。しかし、クリスティーナはそんな二人を一喝した。


「黙れ!童貞共が!女同士の会話に口を挟むんじゃない!!」


迫力がまず違った。ウォルフのみならず、いつもは冷静沈着なエドウィンまでもがその圧に屈して閉口して固まる。そして、邪魔者を沈黙させたのを見た上で、クリスティーナは改めて話を切り出した。


「エリザさん。あなたは今、岐路に立っている。目の前には二つの道があるわ。あの坊主の正妻としてこれからも頑張るか、それとも別れて他の道を選ぶのか……」


「え……?」


「どちらを選んでもいいのよ?但し、選んだ以上は戻ることはできないわ」


だから、この場で慎重に選ぶようにとクリスティーナは迫った。


「あの……それは今、この場で決めなければならないのでしょうか?」


「そうよ。でも、簡単でしょ?あなたの心は既に決まっている……」


違うのかしらと言われて、エリザは反論できなかった。そう……ヒースと別れて他の道を選ぶという選択は元々存在しないのだ。


「でも……わたしは……」


「未熟だって言いたいの?確かに坊主の愛は重いわね。あんたが逃げたくなるのはわからないでもない。……だけど、それを言うならば、それをあんたに感じさせるあいつも、未熟なんじゃないかしら?」


「あ……」


確かにそうなのかもしれないとエリザは素直に思った。心が少しだけ軽くなる。


「要は、どっちも未熟なのだから、これから一緒に成長していけばいいのよ。あなただけが思い詰める必要なんてどこにもないじゃない?」


そして、わかったのなら……ヒースが心配しているから、そろそろ家に帰ってやってくれとクリスティーナは告げた。その説得にエリザは頷かざるを得なかった……。

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