第99話 悪人は、王位を目指さない(後編)
「え……?」
アーベルが思案した後に出した提案に、ルキナの顔から血の気が引いて、思わず声が零れた。何しろ、その内容というのが『ハインリッヒの記憶を操作する』ということなのだ。いくら洗脳が解けたとはいっても、弟には違いないのだ。当然、躊躇いも生まれた。
しかし、アーベルはルキナに言う。「姉どころか婚約者まで奪われて、ハインリッヒ殿下が大人しくすると思われるのか?」と。ヒースが望むように彼を王に立てるというのであれば、まずそこはクリアーしなければいけない課題なのだ。
「操作する記憶は2点。ひとつは、ルキナ殿下が姉ではなく従姉であると認識させること。そして、もう一つは、婚約者がクラウディア嬢ではなくて別の方だとすり替える事……」
そこで、アーベルはちらりとルドルフを見た。初めからルドルフの妹が婚約者であると刷り込ませることもできるが如何するかと。だが、彼は首を左右に振った。冗談ではないと。
「で、でも……そうしたところで、ハインリッヒは大人しくなるのかしら?ほら、地下室の一件でヒースはあの子を殴ったでしょ。これは消さないの?」
「ルキナ殿下。あれもこれもと記憶を操作していては、矛盾が生じかねません。その件については、ハーマンが操ったということになっているので、お義兄さまは止めるために仕方なく殴ったと周りから説明させればよろしいかと」
そして、姉に対する異常なまでの執着心がなくなれば、違和感を覚えるかもしれないが、最終的に受け入れるだろうとアーベルは予測を示した。そうなれば、ヒースとの間のしこりも完全とは行かないかもしれないが、大幅に減じることになるだろうと。
「ただ……そうなると、残るは貴族との対立をどう解消するかだな?」
「はい。ですので、お義兄さまとルドルフ様、そしてクラウディア嬢がハインリッヒ殿下を支えることを明確に形に示すのです。例えば、目覚めた直後の寝室で忠誠を誓うようにして跪くなどして……」
「な……!?」
アーベルの言葉に真っ先にルドルフが反応を示し、嫌そうに顔をしかめた。あんな阿呆になんて頭を下げたくはないとブツクサ呟いているが……一方でヒースはその効果を認めた。
「なるほどな。確かにワシらがそういう態度でハインリッヒに接するようになれば、皆も考え方を改めざるを得ないか……」
「はい。特にこの学院に居るものならば、お義兄さま方を敵に回したいと思う者など余程の阿呆でない限りおりませんから、ハインリッヒ殿下が即位するとなっても、今のように反発は出ることはなくなるでしょう」
「但し……傀儡の王か」
それはそれで、哀れなことだなとヒースは思った。そして、今の性格ならば、耐えられないだろうとも。下手をすれば、屈辱のあまり自害することだってあり得ない話ではない。
「だからこそ、話は戻りますが、記憶操作をしてお義兄さまへの敵愾心を薄める必要があるのです」
アーベルはそう言って、もう一度ルキナに協力をお願いした。しかし、そのときルドルフが異を唱えた。
「……なあ、ヒース。もういいんじゃないか?あれはどうしようもない阿呆だぞ。傀儡にしたとて、本当に安心できるのか?記憶操作をやったところで、またやらかすんじゃないのか?」
「おい……何が言いたい……」
「俺が言いたいのは、こんなまどろっこしいことをしなくても、おまえが立ってくれれば、全て解決するということだ。宰相もうちの爺さんだって、すでにそうなる未来を予測して動き出しているんだ。何もその流れに逆らわなくても……」
ルドルフはそう言って、ヒースに決断を促した。アーベルも「提案しておいてなんですが」と前置きした上で、そうするのであれば、それが一番ベストであろうとも言う。しかし、ヒースはそのつもりはないとはっきり告げた。
「どうして!?王になれるチャンスなど、そう易々とあることじゃないんだぞ、ヒース!なっちゃえよ!いや、成るべきだ!!」
それでもなお、ルドルフはヒースに翻意するように詰め寄ったが……
「ルドルフよ。その場合は……ハインリッヒをワシは殺さねばならなくなる。さもなくば、のちの禍根になるからのう。だが……ワシは、ルキナの悲しむ顔を見たくはないのだ」
だからわかってくれと、ヒースは悲しげな表情で友人にそう告げた。その上で、アーベルの提案を受け入れてくれとも。そこまで言われてしまえば、ルドルフは何も言えなくなってしまった。そして、ルキナも……。
「わかったわ。ハインリッヒの記憶操作をわたしはやるわ」
ヒースの思いやりの言葉に迷いを捨てて、ルキナは決意を込めた瞳でヒースに告げた。将来、ハインリッヒが傀儡の王で満足するかはわからないが、少なくとも一度はこうしてチャンスを貰えたのだ。今は、感謝の気持ちしかなかった……。
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