第82話 悪人は、後始末をする(後編)

「待たせて悪かったな」


ヒースはそう言って、クラウディアに近づいた。だが、彼女の方は怯えて……後ずさりした。


(ど、どうしよう……こんな人気のないところに呼び出してすることって言ったら……アレよね?わたしには、ハインリッヒ様がいるのに……)


ヒースの『魔王』という二つ名をこの学院で知らない者はいない。尤も、入学式の日は流石に知らなかったから、エリザの方が恐ろしいと感じていたが、今では気に食わない教師を闇討ちしたとか、ルキナ王女を性奴隷にしたとか……そんな噂を信じて、正しく恐怖を感じていた。


だからきっと、このまま手籠めにされるのだろうと……自らの運命を疑わなかった。


「おい、そんなに離れていたら話ができないだろうが。こっちにきて座れよ」


しかし、まさかこの『胸が真っ平な少女』が、そんなませたことを考えているとは露とも思わず、ヒースは普通に話をするつもりでベンチに座るように言った。ところがなぜか、クラウディアは先に座っていたヒースの膝の上に背を向ける形で座った。最早逃げられないと、観念したような表情で……涙ぐんで。


「……何をしている?」


ほのかに香る香水の匂いがヒースの鼻をつき、そのぬくもりも柔らかさも確実に伝わってくるが……流石のヒースも妹と同じ歳の子供には欲情しない。だが、彼女の方は追い詰められているように告げる。「体は汚されても、心までは奪われないから」と。


「あのな……前から思っていたんだが、おまえ、年の割にませすぎだ」


だから、ちゃんとまずは人の話をきちんと聞けと、彼女の肩を掴んで前に優しく押し出した。


「大体、妹の友達に手を出したら、あいつに嫌われるだろうが。『お兄様、不潔!近寄らないで』……なんて言われたら、流石のワシでも死ぬぞ?」


だから、エッチなことはしないから安心しろとヒースは笑った。そして、これ以上変な誤解を抱かさないために、用件を簡潔に伝えた。


「つまり、ハインリッヒ様は、その……ハーマンっていう侍従官に洗脳されて、今回の馬鹿げた騒動を引き起こした。そう、祖父に伝えろと?」


「そうだ。そうすれば、今回の一件で王太子は被害者ということになり、その立場を守ってやれることができるわけだ。それは、おまえや宰相閣下にとっても望ましい事ではないのかな?」


クラウディアは、ハインリッヒのことが好きなのだ。そして、彼女の祖父である宰相ローエンシュタイン公爵は、外戚派に対抗するため、次の王妃にどうしてもクラウディアを立てなければならないという事情がある。どちらにも利のある話だった。


「ですが……ここまで騒動が大きくなった以上、それを裏付ける証拠が必要かと……」


何しろ、地下室の封鎖の日、ハインリッヒは陣頭に立って職員たちに指示を出していたのだ。それが洗脳されたからと言っても、目撃していた生徒たちは中々信じてくれないだろう。だから、その証の用意はできているのかとクラウディアは訊ねた。


「それについては、抜かりなく準備は進めている。同時並行になるが……時間がないからな」


実際に、地下室ではルキナが眠っている宮内省職員の記憶を操作しているし、決定的な証拠となるバルムーアからの密書は、今晩にでも【揚羽蝶】によってハーマンの持ち物の中に潜ませる手筈となっている。もちろん、そんな細かい所までは言わないが、ヒースはクラウディアにその辺りのことは気にしなくていいと告げる。ただ、協力してもらいたいと。


「わかりましたわ。ハインリッヒ様のおためになるのであれば、こちらこそ喜んで。ご指示通りに、祖父に伝えますわ」


いずれにしても、ここでハインリッヒが立場を失い、廃嫡されることは断じて望んでいないのだ。それゆえに、クラウディアはヒースの提案を迷うことなく受けた。


「ですが……一つだけ教えて頂けますか?」


「なにかな?」


「どうしてそこまで、ハインリッヒ様の御立場をお守りになろうとなさるので?」


外戚派は、ハインリッヒに代わる王太子に、ルキナの夫になる予定であるヒースを推し立てようとしているとクラウディアも聞いていた。つまり、助け舟など出さなければ、王冠が自分の所に転がってくるのだ。それなのに、なぜこんなことをするのかと……。


クラウディアはとても不思議だった。つい、訊いてしまうくらいに。すると、ヒースは一瞬答えようかどうか迷いを見せたものの、「絶対、誰にも言うなよ」と念押ししたうえで、最終的には答えた。


「ルキナのためだ。ワシは……これ以上あいつが悲しむ顔を見たくはないのだ。だから、王太子を助ける。あんなのでも、彼女にとってはただ一人の弟のようだからな……」


そして、今聞いたことは忘れろとヒースは言った。自分の沽券にかかわるから絶対にとルキナを含めて誰にも言うなよと念を押して。


しかし、クラウディアはその優しさに触れて、心が温かくなるのを感じた。だからこれ以後は親愛の情を込めて、ヒースのことを「お義兄さま」と呼んで、親しく関わり合いを持つことになっていくのだった。

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