幕間 姑王女は、噂話の裏側を知る
最近、この王宮の内外で変な噂が流れている。今日もその話を耳にして、ジャンヌはため息をついた。だが、誓って言うが、それは事実無根の噂だ。
(この子は、リヒャルト様との子。それなのに、どうしてそんな噂が流れるのよ!)
全く心当たりがないわけではない。ちょうど子供を妊娠した時期に、ヒースに関係を求められたことはあったのだ。ただ、ジャンヌ自身にその気はなくて、むしろやめてもらうために正妻であるエリザに通報もしたのだ。世間で囁かれているような不貞行為は決して行っていない。
それなのに、今や真実とは真逆の情報が世間に溢れていた。ブルボン辺境伯ら、旧バルムーア王国に仕えていた貴族たちまでも信じてしまっていて、この数日で何度も入れ代わり立ち代わりで諫めてくる。「加齢臭がお辛くても、どうか慎まれますように」などと。
冗談じゃないとジャンヌは思う。慎むも何もやましいことは何一つないのだ。しかも、腹が立つのは一番味方になってもらいたい夫……リヒャルトさえも疑っている様子で、さっきからこの部屋の前をウロウロしているのが窺える。
(そんなに気になるのなら、直接聞きなさいよ!この意気地なし!)
そして、そんな夫の姿にジャンヌはさらに苛立ちを募らせていた。もういっそのこと、このまま離婚しようかとも考えるが……そんな時に侍女の声が聞こえて我に返る。
「どうしたの?」
「実は……」
それは、ヒースの正妻であり、この件について相談したはずのエリザが面会を求めているという話だった。だから、ジャンヌは迷わずに許可を出してこの部屋に通すように告げた。この事態をどうしてくれるのかと追及するために。しかし……
「あら?おかげでヒース様に言い寄られなくなったでしょ?」
開口一番、エリザが発した言葉は、ジャンヌが予想していないものだった。ゆえに、意味が分からずにもう一度問い直した。「あの時一体何をしたのか」と……。
「影武者ですわ」
「影武者?」
「ええ、あなたにそっくりな影武者を用意して、その人にヒース様のお相手をして頂いたの。そうすれば、満足するでしょうから」
そして、事実満足したからこそ、以後のジャンヌの安全は保障されたのだとエリザは悪びれずに言った。そこまでは全て計画通りに進んだと。
「それならなぜ、今このようなことに?」
「実は、そのことで今日は参ったのですが……」
その前にとエリザは不意に手を叩いた。すると……部屋の外、扉の向こう側で何かが破壊される音と複数の人間の怒鳴り声や叫び声が聞こえてきた。
「一体何事なのよ!」
只ならぬ予感を覚えて、ジャンヌがその扉を開けると、そこにはこの屋敷における古参の侍女が見知らぬ男たちに取り押さえられていた。
「カサンドラ……」
「ジャンヌ様。その者が今回の一件をたくらんだ首謀者ですわ。理由はそう……リヒャルト殿下への横恋慕といったところでしょう。違いますか?」
唖然としてただその名を呟くしかできなかったジャンヌの隣で、エリザは冷静にその罪を訊ねた。そして、カサンドラは……悔しそうに睨みつけて叫んだ。最早これまでと開き直ったように。
「おまえがいなければ!そうすれば!旦那様はわたしの想いに……!」
このカサンドラは、亡くなったリヒャルトの想い人であったエマに仕えていた女であった。主の死後、その思い出を共有したいという彼の願いによってこの屋敷に招かれて、以来20年余に渡って、公私両面で支えてきたという自負があった。
それゆえに、突然降ってわいたかのように現れた新妻の存在が気に食わなかった……というのが騒動の原因になったのだろうとエリザは言った。
「それじゃあ……わたしがアルデンホフ公と浮気したというデマは……」
「この女が考えた根も葉もない流言ね。本当なら、何も証拠の無い話として、ここまで騒ぎにならないうちに風のように消えるはずの。でも……」
それがなぜ真実味を帯びてしまったのか。それは、片方の当事者であるヒースにやましい気持ちがあったからに他ならない。ゆえに、そんな彼の態度から、多くの者がこのデマ話を信じてしまったと……エリザは申し訳なさそうに詫びた。
「そんな、謝らなくても。わたしのことを守るためにやってくれたのでしょ?」
「それでも、ケジメは付けなければなりません。今回のことはわたしの落ち度ですので」
そして、エリザは今後の対応を説明した。すなわち、あの日ジャンヌに変装した影武者の男より、本当のことを公の場で説明してもらうと。
「え……?その影武者って……男だったのですか?」
ジャンヌの発した当然の質問に、エリザは悪戯っぽく笑う。その男とは、かつてハインリッヒに重い心の傷を残した者と同一人物であった。
もちろん、あの時とは違って最後まで変身を解除しなかったことから、その事実をヒースが知る由もないが……
「少しは痛い目にあった方がいいのよ。これに懲りて、もう浮気はしたくないと思わせないと」
つまり、これもお仕置きなのだ。
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