第92話 悪人は、『エロ本魔王』と呼ばれたくない
宰相ローエンシュタイン公爵からの呼出し状が届いたのは、ラブレターを渡した次の日だった。文面の節々に、公爵の激しい怒りが読み取れる。
「至急、宰相府へ出頭せよとはな……。授業に出なくてもいいのかよ」
呼出し状を折りたたみながら、ヒースは呟いた。今は午前10時半。2限目の授業がもうすぐ始まろうとしている時刻であるが、書状には宰相の命令として「届けた者と共に参上せよ」と書かれていた。
つまり、授業を欠席してでも宰相府へ出頭せよということだ。学院側も拒むことができない。
「そうは言っても、その方が都合はよろしいのでしょ?」
「まあな」
エリザの言葉にヒースはそう返して席を立つ。狙い通りに事が動いたのだから、何も問題はないのだ。ゆえに、授業をサボれて羨まし気なルドルフの視線に気にすることなく、ヒースは教室を出て、玄関へと向かった。そこには公爵家の馬車が止まっていた。
「さあ、乗り給え」
不意に馬車の中から声が聞こえた。どうやら、呼出し状にあった『届けた者』ということだろう。ヒースは、言われるがままに馬車に乗り込んだ。すると、同乗の男は自らをクライスラー侯爵だと名乗った。つまり、クラウディアの父親である。
「どうも、いつもうちの娘がお世話になっているようで」
「は、はぁ……どうも」
侯爵は穏やかな物言いでヒースに話しかけてきたが、その娘を利用して宰相との面会にこぎつけただけに、どうしても気まずさを感じずにはいられなかった。しかし、侯爵はそんなヒースの都合などお構いなしに話を続けた。
「実はね、君には一度会ってみたいと思っていたんだよ。ディアが凄く慕っているし、何しろ、色々と物知りのようだからね……」
「はぁ……恐縮です」
そうやって、当たり障りのない返答をしていたヒースであったが、侯爵が取り出したモノを見るなり、顔をひきつらせた。それは、クラウディアに貸し与えた『黄素妙論』だった。
「おや、やはり知っているようだね」
そんなヒースの様子を見て、侯爵は笑いながら「いくらなんでも10歳の娘には早すぎるのではないのかね」と言った。全くもって本来であればその通りなので、ヒースは言い返すことができない。
ただ、心の内では……
(おまえらがきちんとあの娘に教えておけば、ワシはそんな苦労をせずに済んだんじゃが……)
と、思わずにはいられない。もちろん、口にするわけにはいかなかったが。
だが、そうしていると、侯爵はヒースに思いがけぬことを告げてきた。
「いや、決して叱ろうと思っているわけではないのだ。実は、おかげさまで妻が妊娠したんだ」
「えっ!?」
「ホント、凄いよね。娘が君のことを『導師』と呼ぶ気持ちがわかったよ」
「それは……おめでとうございます」
それらの遣り取りで、ヒースは理解した。『黄素妙論』のことは、この二人の所で留められていて、宰相には伝わっていなかったということを。
「それでだ。この本をわたしが懇意にしている商会で出版できないかと思ってね。よくできた本だから、売れると思うんだが……」
だから、作者であるヒースの了解を得たいと侯爵は言った。その言葉に、ヒースはどうするべきか考えた。
(この本が世に広まることは特に問題ないが、ワシの名で出版するのは嫌じゃな。『エロ本魔王』なんて呼ばれたくはないからのう……)
まだ13歳なのに、そのような二つ名を背負うわけにはいかない。ゆえに、時期早々として断ろうとしたが……
「売れたら、売り上げに応じて分配金も支払うから、了承してもらえないかな?」
具体的には『利益の1割』という数字を提示して、侯爵はヒースに迫った。それは、金が必要なヒースの心を動かした。
「……仕方ありませんな。ディアのお父上の頼みとあらば、無下にできませぬし。但し、一つだけ条件が……」
「条件?それは何でしょうか。もし、娘との交際ということなら……別に構いませんが?」
「いや、そのような話ではありません……って、構わないのですか!?」
「はい。娘があなたのことを好いているのは、親の目から見ても明らかですからな。義父は反対するでしょうが、わたしたちはそういうことになれば、反対する理由はありませんよ」
娘が幸せであれば、それが1番ですからと侯爵は言った。例え正妻ではなくても、本人がそれを望むのであれば、とやかく言うつもりはないとも。このとき、ヒースの心のうちに「それならば……」という気持ちが少しだけ芽生えた。
だが、話が脱線しそうになったところで、侯爵は再び聞いてきた。ヒースの言う条件に付いてだ。
「出版は構いません。但し、わたしの名で出すのは色々とまずいので、偽名を使いたいのです」
「なるほど。確かに本の内容がアレですからな。よく理解しました。それで、偽名はなんと?」
「ヨシテルでお願いします。架空の名ですから、誰にも迷惑はかけません」
ヒースはそう言って、前世において一番嫌いだった男の名を挙げた。力がないくせにいつまでも現実をみようともせず、散々振り回してくれたアホ公方。その名をこの世界で貶めるために。
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