第185話 悪人は、妻の友人に手を出すことを諦める

「それで……ハインツ様を連れて、バタンテールに乗り込むことになったと?」


「そうなのだよ、エリザ。何しろ、跡取り息子にしか過ぎないヤツに差し出せるものがあるとすれば、その身体だけだからな。まあ……槍の腕前は、騎士団でもかなりのモノらしいから、足手まといにはなるまいよ」


夕方。嫡子誕生を祝う来客の対応を終えたヒースは、エリザの寝室を見舞って、ハインツとのやり取りの顛末を説明した。つまり、これからバタンテールに乗り込むヒースの一行に加わり、自分の力で岳父の消息を掴むようにと言ったことを。


「バタンテールですか……」


「ん?どうかしたのか?」


「いえ……わたし、何も知らなかったもので……」


「知らなかった?……あっ!」


少し寂しそうに言葉を零したエリザに、ヒースは自分の迂闊さを呪った。もちろん、この話はいずれするつもりではあった。……が、何も出産したばかりで、気力と体力を消耗している今に告げる話ではなかった。


「す、すまない……だが、そのな……」


「いいんですよ、ヒース様。マリカとその子らのこともありますし、わたしもブレンツ子爵の消息は心配していますから。それで……いつ発たれるのですか?」


「……もし、おまえが許してくれるのなら、1週間ほどして出発したいとは思っている。だが……」


もし、もう少し居て欲しいというのであれば、ヒースは予定を伸ばすつもりではいた。しかし、エリザはそれを望まない。


「ヒース様。わたしのことは構いませんので、どうか1日でも早く出発してください」


「え……?」


「レオンの将来のためですよ。ブレンツ子爵はきっとこの子の援けになってくれるはずです。何としても、救わなければなりません」


負担を軽減するために、レオンは乳母に預けられてこの場にいないが、エリザは愛しそうにさっきまで眠っていたベビーベッドを見つめて、ヒースに「そういう夢を見た」と静かに告げた。必ず生きているから、早く救助してあげて欲しいと。


それがどういう理由があっての話かはわからない。今のところ、ブレンツ子爵の消息に関する情報は一切入っていないのだから。だが……人は時に人知を越えた現象を体験することがあることをヒースは知っている。


「わかった。1週間と言わずに、準備ができ次第発てばよいのだな?」


「はい。そうして下されば」


エリザはニッコリ笑って、ヒースの背中を押した。寂しくないわけではないが、これが正妻としての務めだと彼女は理解しているのだ。そして、そんな彼女にヒースは心の底から感謝した。だから、せめてもの償いとばかりに喜びそうなことを告げた。


それはすなわち、不在の間はエリザの相談相手とするために、マチルダがこの屋敷に逗留することになったことを。しかし……


「マチルダが?」


どういうわけか、少し眉を吊り上げてエリザはブツブツ独り言をつぶやき始めた。曰く、「本気で第4夫人を狙いに来たのか」と。


「エリザ?」


「ヒース様。流石に、マチルダは抱きませんよね?そうですわよね?わたしの友達だから、例え言い寄られても……そうですわよね?」


「え、ええと……あ、当たり前じゃないか。マチルダはワシにとっても友達の一人だ。決して愛人になどはせぬ」


本心では、ちょっとだけありなのではないかと思っていたのだが、そんなことをすれば、目の前のエリザが怒るであろうことは、この態度からも明らかだ。ヒースはここでマチルダをハーレムに加えることをついに諦めた。


そのうえで、エリザに告げる。留守中に何か異変があった場合は、何でもマチルダに相談すれば良いと。そして……


「とにかく、産後の肥立ちを甘く見るなよ。ここで無理をすれば、下手をすれば命を落とすことになりかねないのだ。気を付けるべきことは、ここに書いておいたから、必ず守るのだぞ」


ヒースは、前世の知識や様々な経験者から集めた声を元にまとめた『産褥期養生指南書』なる書物をエリザに渡した。中には、精神的に不安定となることもあるとあって、マチルダを屋敷に逗留させる根拠もそこには書き記されていた。


「ヒース様……」


まさか自分のためにそこまでしてもらえるとは思っておらず、エリザは感極まって目を潤ませ、そんな彼女をヒースは優しく抱きしめた。なお、この時期の性交渉は禁止されているため、今日の所は口づけを交わすに留めたのだった。

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