第72話 悪人は、「お兄ちゃん」と呼ばれたい
「うう……頭が痛い……」
「愚か者。だから、飲み過ぎだから止めておけと言っただろうが」
翌朝、いよいよ出立だというのに、見送りの場で醜態をさらすテオに苦言を呈したヒース。ちなみにだが、彼の方は元々魔法でアルコールの毒を相殺しながら飲んでいたため、二日酔いにはなっていない。そんな二人の兄を見比べて、カリンのテオに対する評価は大きく下落した。
「お兄ちゃん……はあ……」
出発すれば、年の瀬まで会えないのだから何かお別れの言葉でも言おうとしたのだろう。だが、あまりにも情けない姿にカリンは言葉を飲み込み、代わりにため息だけを残して馬車に乗り込んだ。それをただ見送るしかできなかったテオは、青い顔をさらに青くさせた。
「まあ……カリンには後でフォローはしておく」
「す、すみません……うぷっ!」
今にも吐きそうにしているテオを気の毒に思い、ヒースはそれだけ言い残すと、エリザと共に馬車に乗り込んだ。そして、やがてルクセンドルフ伯爵邸を去っていく。行く先は王都の学院だ。
「……お兄様」
伯爵邸を出発し、領都の街並みも大分小さくなったところで、おもむろにカリンは口を開いた。どこか遠慮がちにしながら。
「なんだい?」
「あの……お兄ちゃんは大丈夫なんでしょうか?」
出発時には冷たくしていたが、やはり気にはなっていたようだ。何しろ、伯爵家の当主の前での失態だ。処罰されたとしても仕方がない行為ともいえる。だが、そんな妹にヒースは優しく「大丈夫だ」と話す。
「テオ兄ぃは、さっきはあんなだったが……この領都ではあの年で騎士団長と互角に戦えるほどの剣の達人だ。あの程度の醜態ぐらいでその評価が揺らぐことはないよ」
だから、自分が学院を卒業し、この領地に戻ってきたら必ず重用すると。その言葉に「よかった」とカリンは安堵の表情を浮かべた。だが……その一方で、ヒースは感じていた。妹が自分に対して一歩も二歩も遠慮していることに。
(くそ……やはり、一緒に居た時間の差は大きいか。ワシも「お兄ちゃん」と呼ばれたいのに!)
至極どうでもよい話なのだが、ヒースはとてもテオを妬んでいた。振られて自棄になって飲み過ぎた後、娼館で大人の階段を上ったという話を妹に吹き込んでやろうかと思うほどに。そうすれば、確実に「お兄ちゃん、最低!」の感動的なセリフが聞けるはずだと。しかし……
「そういえば、ヒース様。昨晩はどこでお楽しみに?」
ヒースが話を切り出す前に、隣に座るエリザからそう問いかけられて、背筋に寒気が走った。
「え……それは、さっき説明したじゃろうが。テオと一緒にエトムントの店で……」
「わたしが訊ねているのはその後のお話です。エトムントさんのお店は、23時閉店ですよね?お帰りになられた2時半までの間、どこで何をなされてましたか?」
「え……?」
何で帰ってきた時間まで知っているのかとヒースは思ったが、すぐに『配下の忍びを使った』という答えが見つかり、心の中で大粒の汗を流した。
(まずい……バレている……)
実の所、酔っ払って手に負えなくなったテオを娼館の女に金貨を握らせて後の世話を丸投げした後、自分は……ソフィアの家に行っていたのだ。そして、そんな時間に訪問してやる事といえば、アレしかない。
「ま、まずい事にはなっていないぞ!」
それはきちんと避妊したという意味で、そのことを暗にヒースは伝えた。ここで子などできようものなら、ベアトリスという悪魔が侯爵領からやってくるのだ。その辺は弁えていると。
だが、エリザの冷たい笑みは溶ける気配を見せない。もし、ここで全てを妹にバラされようものなら、「お兄様、最低!触らないで、汚らわしい」と死んでも聞きたくない言葉を聞く羽目になりかねない。だから、ここは下手に出てご機嫌を窺うことにした。
「え、エリザ……どうしたら許してもらえるかな?」
「もう少ししたら、クライスラー通りにカフェができるんです。そこにルキナさんより先に一緒に行っていただければ」
つまりデートだが、それで手を打つというエリザ。正面に座るカリンは何でいきなりそんな話になっているのか、可愛らしく首をかしげていたが、ヒースはそれで済むのならと、一も二もなく承諾した。
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