第197話 悪人は、謀反を警戒される
「……俄かには信じられない話だが、確かに魔族が撤収を開始したという知らせは各方面から届いている。なるほど……それで、その青あざなんだね……」
凄いのだか、間抜けなのだか。そのように呆れかえるリヒャルトは、ヒースからの「妻に浮気がバレて折檻された」という事柄も含めた事態報告にため息をついた。
なお、ティルピッツ侯などは、「浮気はバレぬようにするものだぞ」とマウントを取るよう肩を何度もたたきながら言い放ち、そういう問題ではないだろうと今度はローエンシュタイン公が突っ込みを入れて、笑い声が上がった。
「しかし、ヒース君が生きている間は、魔族が攻めて来ないという話は大歓迎だな。そう思わないか?二人とも」
「殿下のおっしゃる通りですな。うちの孫娘が置いてけぼりになっていることは気がかりではありますが……」
「まあ、そこは女の扱いに長けているアルデンホフ公のことだ。もう片方の目に青あざを追加してでも、卿の孫娘は貰ってくれるだろうよ。……そういえば、うちの方の孫娘は、いつ寝取ってくれるのかのう?」
三者三様。しかも、ティルピッツ侯にいたっては、どさくさ紛れにハインリッヒ王の婚約者として、今も健気に寄り添っているオリヴィアを第五夫人にしようと画策してきた。これには流石にヒースも苦笑いを浮かべた。
「しかし、何はともあれ、和平は成りました。そうなると、最早勇者の召喚は不要なのでは?」
話がこうしてひと段落ついたところで、ヒースはこれが本題だといわんばかりにそう切り出した。
「ん?いきなり何を言い出すのかね、アルデンホフ公。さっきの話と何の関係が?」
「大有りでしょ。魔族は既に矛を収めたのですよ。それなら、勇者は必要ないでしょう。違いますか?ティルピッツ侯」
「だが、別にいてもいいのではないか?勇者がいれば、我が国はそれだけ他国に優位に立てるのだぞ。そう思われませんか?ローエンシュタイン公」
「そうだな。確かに勇者というカードは、あれば我が国にとって利となるだろう。……だが、その様子だと、アルデンホフ公は反対なのだな?」
「はい。このまま勇者を召喚した場合、果たして制御できるのかという不安が残ります」
ヒースはそう言って、かねてから懸念していた勇者によるクーデターの可能性について言及した。
「つまり、ヒース君は、勇者が国を奪おうとしても、その強大な力を誰も止めることができないから、召喚そのものを取りやめた方がいいというのだね?」
「そのとおりです、殿下。ここに来るまでに聞いた話では、まだ術の発動までは1か月以上はかかる見通しとのこと。それならば、この和平をもって、中止とするのが最善ではないでしょうか」
「最善か……」
リヒャルトはどうしたものかと思い、視線をローエンシュタイン公とティルピッツ侯の二人に向けた。ただ……その表情は、ヒースの予想とは異なり、半ば憐れみの感情を含んでいた。
「アルデンホフ公……。貴殿は気づいておらぬようだが、その理屈ではむしろ我らは勇者召喚を進めねばならぬ……」
「……それは、一体どういうことなのでしょうか?」
ローエンシュタイン公の言葉からも、思惑通りに話が進んでいないことをヒースは理解はしている。但し、誰にでもあることだが、自分のことは意外とよくわからないもので……言われるまで気づかないことは多い。そして、この話はそのたぐいであった。
「ヒース君……こういうことは、誠に言い辛いが、もし君が謀反を起したならば、この国にそれを防ぐことができると思うかい?」
「あ……」
言われてみて、ヒースは今の自分の立場の危うさを理解した。何しろ、魔王の配偶者となったからには、場合によっては魔族全体を自分の意向に従わせることだって、可能性としてはありなのだ。
もちろん、こうして正直に打ち明けてくれたのだから、リヒャルトらこの場に居る者たちは、ヒースのことを信頼している。しかし、本心としては万一に備えて、保険が欲しいという気持ちもまた間違っていない。
「もちろん、ヒース君の懸念した通り、勇者が思惑通りに動いてくれるとは限らない。だが、その場合は君がいる。そうだろう?」
「ワシも舐められたものだな。もし、その勇者とワシが手を組んだらどうするつもりだ?そのときこそ、この国は終わると思うが?」
「そもそも、君にその気があるのであれば、この国は今日にでもお終いだろうさ。だから、どのみち勇者召喚にデメリットはないということだよ。我が国としてはね」
それゆえに、ヒースの提案は数の論理に敗れて否決された。もちろん、ヒースとしては言いたいことがないわけではなかったが……流石にここまで言われてしまえば、今日の所は引き下がらざるを得なかったのだった。
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