幕間 隣国の哀れなスパイは、ブラック上司から無茶振りされる

「ほう……ユリウス王が死んだとな?」


「はい、先程知らせが届きました。出処が政府発行の官報である以上、間違いはないでしょう」


ここは隣国、バルムーア王国の首都テルシフの王宮。大好きなゆで卵を食べる国王ルイ11世にそう告げたのは、先頃宰相に就任したバランド侯爵だ。


「跡を継いだのは、どっちだ?息子か、それとも弟か?」


「息子ということです。弟は摂政に回ったそうで……」


「つまり、外戚派のティルピッツ侯に押し切られたのだな。しかし、それでは面白くはないよな?」


リヒャルトにしても、そして、ライバルであるローエンシュタイン公爵にしても、きっとそう思って巻き返しを狙っているだろうとルイは予測した。それならば、侵攻作戦が始まる3月まで時間があるので、少しばかり揺さぶりをかけようと考えた。


「バランド侯よ。その方の義兄は、以前ロンバルドで宮内大臣の任にあったはずだったな?」


「はい、その通りでございますが……」


「その縁を使って、リヒャルト王子に我が手の者を接触させることはできるか?」


ルイ王はそう言って、今思いついた作戦をバランド侯爵に説明した。すなわち、今回の即位で不満に感じているであろうリヒャルトを『王位に就かせる』という餌で寝返らせるということだ。


「しかし……リヒャルト王子は聡明だという評判でございます。流石にそれは上手く行かないのでは?」


「それでも構わないのだ。断られたら、その密書を今度はハインリッヒ王に渡るようにすればよい」


そうすれば、芳しくない評判が事実であるならば、きっとリヒャルトは王の手によって粛清されるだろう。バルムーアとしては、勝利のために邪魔な石ころを労せずに取り除くことができるのだ。


「まあ……これは別に上手く行かなくても問題はない。それよりも……だ。アルデンホフ領の連中のことだが……」


ルイ王は訊ねる。侵攻作戦の開始と共に大規模な反乱を起こす工作は上手く行っているのかと。


「そちらの方は抜かりなく進めておりますのでご安心を」


「そうか。それならば、それでよい。アルデンホフ領は、王都リンデンバークからそれほど離れていないからな」


つまり、成功すれば、ロンバルドの国防体制に致命的な打撃を与えることは必至だ。勝利をより確実にするためには、是が非でも成功させておきたいというのがルイ王の想いだった。


そして、そのことはもちろんバランド侯爵も承知している。ただ……口では上手く行っているように報告したものの、実情は異なっていた。


「陛下はこの作戦の成功を心より期待されている。今更上手く行きませんでした、では済まされんぞ!」


執務室に戻ってすぐに情報部よりこの作戦の責任者であるジャン・オラール少佐を呼び出して、バランド侯爵は苛立ちをぶつけた。本当のことを言えば、例の宗教家に協力の約束を取り付けるどころか、会うことすらできていない状態なのだ。


「しかし……そう言われましても……」


何しろ、交渉のために派遣した密使は誰一人帰ってきていないのだ。もっとも、その全てがルクセンドルフ領を通過するときに【揚羽蝶】によって狩られているのだが、いずれにしても、全然上手く行っていないという事実は揺るぎないものだった。


「とにかく、何とかせよ!」


「何とかせよと言われましても……」


すでに、今回の作戦にあたって付けられた人員に余剰はなかった。そのことはバランド侯爵もすでに知っているはずで……それゆえに、そこまで言うのであれば、人員の追加をしてくれるのかと、オラールは期待して言葉を待つ。しかし……


「最後のひとりがおるではないか。つまり……おまえが行け」


「えっ!?」


その無情な一言に、オラールは言葉を失った。なんでそうなるのかと。


「お、お待ちください。わたしには、年老いた母が……」


「ならば、その母親も連れていけ。そうすれば、道中疑われずに済むであろうよ」


バランド侯爵はそれでも容赦することなく、オラールに命じた。そして、何としても必ず成功させるようにと。こうなると、もう何も言えなくなる。


「……わかりました。それではそのようにいたします」


オラールは肩を落として、その命令を受諾した。「このブラック上司め!」と心の中で罵りながら。

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