第136話 悪人は、王都の異変を知る
「……ヒース様、申し訳ありません。わたしが弱いばかりに……」
遠ざかる馬車を見送りながら、エリザの口から言葉が零れた。自分が未熟だから、マリカはヒースの側にいることが許されなかったのだ。その表情は暗く、今にも泣きそうだった。
しかし、そんな彼女をヒースは慰める。
「気にするな。元を正せば、ワシがしくじったことが原因だ。本当にすまないことをしてしまった」
こう言って、全ての責任は自分にあるのだから気にするなと励ます。ただ……その気遣いがなおのことエリザを苦しめている。これだけ他の誰よりも寵愛を受けているにもかかわらず、一向に懐妊しない自身の不甲斐なさに……ひとり苦悩を深めていくのだ。
(まずいな……この様子だと……)
もちろん、相変わらず暗いままのエリザの様子を見て、ヒースも深刻さを理解していた。それゆえに、今年の冬休みはルクセンドルフ領には行かずに、このリートミュラー領で過ごすことを決めたのだ。ここならば、母ベアトリスが何かと相談に乗ってくれるだろうと期待して。
「さて、エリザ。そろそろ、中に入ろうか」
馬車はもう見えなくなっていた。だからヒースは、風邪をひかせないようにと声を掛けた。だが……そのとき、去った馬車と入れ違うような形で、馬に乗った誰かが近づいてくるのが見えた。
(なんだろう……?)
ヒースがそう思って、取りあえず到着するのを待っていると、その者は館の門を通過するなり馬上から大きな声で叫んできた。「そちらにおられるのは、ルクセンドルフ伯爵閣下でございましょうか?」と。
「そうだ。そういうお主は何者か!」
「わたしは、王宮からの使者でございます!至急、参内せよとの命を預かり、参上しました!」
「なに!?」
思いがけぬ言葉を耳にして、ヒースはその使者の下に駆け寄った。すると、彼は馬から降り、使者の証である王家の紋章が刻まれた褐色のメダルを見せて、偽物ではないことを証明すると……
「国王陛下がお倒れになられました。至急、王宮へ参内されるよう……宰相閣下よりのお言葉にございます」
ヒースにだけ聞こえるような小声で、用向きを伝えた。事が事だけに、手紙ではなで伝えるようにと指示を受けたことも含めてだ。ヒースの顔色が変わる。
「それは……そんなに不味いことになっているのか?」
同じく使者にだけ聞こえるような小声で語り掛けるヒース。しかし、使者は答えを持ち合わせていないとだけ告げて、とにかく早く王都へ戻ることを勧めた。こうなると、戻らないわけにはいかない。
「エリザ……。すまないが、王都に帰らなければならなくなった。だが、おまえはこのまま……」
このリートミュラー領に留まり、冬休みの間は予定通り母と共に過ごしてくれとヒースは言おうとした。しかし、彼女は拒むように「自分もお供する」と先に告げてきた。離ればなれになってしまえば、懐妊の機会を逃してしまうからと。
「しかし……」
「お願いです、ヒース様!どうか、わたしを置いて行かないでください!」
それでも渋るヒースに、エリザが必死で頼み込んできた。マリカの妊娠発覚までであれば、このような態度を取ることはなかったというのにと、ヒースはいよいよ頭を抱える。
(さて……どうしたものかのう……)
使者の様子から、王都にはできるだけ早く行かなければならない。そのため、馬車で悠長に向かうわけにはいかず、移動手段は馬だ。
もちろん、エリザも乗馬ができないわけではない。だが、前世も含めて長年当たり前のように馬に乗って戦場を縦横無尽に駆け巡っていたヒースと比べれば、どうしても劣るのは仕方がないことだった。
そう考えれば……やはり一緒に連れて行くという選択はなかった。
「エリザ。王都に来ることは構わぬ。但し、此度は急いでいかなければならぬのだ。悪いが、あとから王都に来てくれ」
彼女の焦る気持ちは痛い程わかるが、ヒースは私情を挟まなかった。そして、まずは母ベアトリスの元に向かい、事情を説明してエリザのことを委ねると、次にジェームスを呼んで事後のことをいくつか指示をする。それはすなわち、国王が死んだ場合に備えよということだった。
「それほど危ういので?」
「わからん。だが……もし、死ぬようなことになれば、バルムーアがこの機会を逃すとは思えないのだ」
そして、もし戦争になった場合、このリートミュラー領はバルムーアとの国境を接しておらず、どちらかいえば後背に当たる場所だけに真っ先に狙われてもおかしくはないというヒース。工作員による破壊工作や家臣たちの謀反も懸念するようにと言い残して、そのまま用意された馬に跨って王都へ旅立つのだった。
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