第195話 悪人は、浮気がバレて空気と化す(前編)

「おめでとうございます。ご懐妊なされておられます」


「うっしゃー!」


無事に王都に戻ってきた翌日、早速成果を確認することにしたルキナは、王宮から呼び寄せた宮廷魔術師にそう言われて、喜びのあまり思わず大声でそう叫んでしまった。そして、何度も何度も念を押すように間違いないかと確認する。


すると、その魔術師は眼鏡をくいッと上げて、状況を説明した。


「ご心配には及びませぬ。まだ妊娠初期ゆえ、こうして魔法を使わねば判別できませぬが……現在、妊娠3週間目といった所ですので、早ければあと2週間もすれば、つわりなどといった初期症状が現れることでしょう」


具体的にそう言われて、ルキナは少しずつ実感がわいてくる。だから、早くこのことをヒースに伝えようと思い、彼のいるルクセンドルフ侯爵邸に向かうこととなった。しかし……


「あれ?みんなどうしたの?」


侯爵邸に足を踏み入れたルキナは、その異様な雰囲気に気づき、近くにいたカリンをつかまえて事情を訊ねた。すると、彼女は伝える。「また浮気がバレて、兄が折檻されている」と。


「う、浮気!?」


「なんか、バタンテールに滞在していたときにやらかしたそうよ。殿下はご存じでした?」


「い、いや……まさか、本当にあの蜘蛛娘と……?でも、いくら何でも蜘蛛よね……?」


「ルキナ殿下?」


ブツブツ独り言のように呟くその態度から、何か知っているとみて、カリンは訝し気に視線を送った。すると、それに気づいたのか、ルキナは平蜘蛛のことを話した。


「余計な手が4本、あとやっぱり蜘蛛らしく大きなお腹がお尻に付いてはいたけど……間違いなく顔は美人。あと、胸もそこそこあり、スタイルが良かったわね」


「そ、それがお兄様の今回の浮気相手だと?……でも、蜘蛛なんですよね?」


「だから、お宅のアーくんもあり得ないと言っていたわ。……だけど、よく考えれば、アイツは不可能だと思ったことをこれまで何度も可能にしてきたでしょ?だったら……」


「あり得ない話ではない……と?」


「断言できないけど、可能性はあるかな。……それで、ヒースは今どこに?」


「お義姉様のお部屋に。ただ……内側から鍵がかけられているんですけど、さっきから物凄い破壊音が連続で聞こえて……」


「破壊音?」


その言葉を聞いて、ルキナは珍しいなと思った。エリザは怒らない女というわけではないが、どちらかと言えば、静かに怒るタイプなのだ。例えば、サラダの中にバッタをちぎったモノを混ぜるとか、ベッドの中に蜂の巣を仕込むとか……まあ、そんなところである。


だから、破壊音が聞こえたと言われて、腑に落ちなかった。ただ、それは他の者も同じようで、「それでみんなこうして集まっているのよ」とカリンは告げた。


だが、そうしていると……部屋の扉は開かれて、目の周りに青あざを作ったヒースがエリザに連行されて2階の吹き抜け廊下に姿を現した。但し、多くの者の視線は、その後ろで苦笑いを浮かべる美しい妙齢の女性に自然と集まった。


ただ……それはルキナが思っていた蜘蛛娘とは全く別の女だった……。


「みなさん、お騒がせしてすみません。話はつきましたから、仕事に戻ってください」


しかし、エリザはそんな連中にただ一言命令を下した。何がどう話がついたのかは一切触れずに、従うようにという……まるで、ベアトリスのような威圧的な態度で。


「こ、これは、奥様。失礼しました」


「みんな、仕事に戻るわよ!」


すると、ベアトリス時代を知る古参の使用人たちが中心となって、皆をそれぞれの持ち場に戻し始め、やがてこの1階ホールには、ルキナしか残らなかった。カリンも、厄介ごとに巻き込まれたくないとばかりに、いつの間にかいなくなっていた。


「ルキナさん?」


「い、いや……今日の所は出直すことにするわ。どうやら、御日柄が悪そうだからね……」


その女は一体誰なのか。聞いてみたい気がしたが、それよりも今は早く逃げなければならないと思い、踵を返して玄関に向かう。しかし、エリザはそれを許さなかった。


「ねえ、ルキナさん。あなた、何しにバタンテールまでついて行ったの?変な虫がこれ以上つかないように監視するのがあなたの役目だったはずよね?」


「え……?」


「それなのに、どうしてこんなことになったのかしら。ホント、使えない第二夫人よね……」


いっそのこと、クラウディアと入れ替えようかしらと冷たく笑いながら……恐怖のあまり固まってしまったルキナの襟首を掴んだ。


「さて……詳しくは、お部屋でじっくり伺うことにしましょうね……」


「ひ、ひぃ!」


ルキナは恐怖のあまり、思わず悲鳴を上げた。しかし……誰も助けに入ってはくれない。今日のエリザは、一味も二味も違うことを皆悟っていたのだ。

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