第177話 悪人は、破格の縁談を纏める

結局、その日は予定通りにルクセンドルフ侯爵邸に泊まることになったヒースだが、それは決してエリザに押し切られたわけではない。もちろん、浮気については両手をついて誠心誠意謝りはしたが……


「今日は、お忙しい所すみませんな」


「いやいや、こちらこそ出立間近というこのタイミングになってすまない。ブレンツ子爵」


夕方になって姿を見せたブレンツ子爵と話をするというのが、この屋敷に留まった大きな理由であった。なぜなら、できたばかりのアルデンホフ公爵邸は、間諜対策が不十分であり、内密の話をすることには不向きであったからだ。


「それで……その様子からすると、例の件が纏まったと考えても?」


そして、そう話を切り出したブレンツ子爵が求めている話題は、彼の家で預かっているマリカとその子供たちのことではなかった。行き遅れとなっている娘、フローラの縁談についてだった。


「ヒルデブラント伯爵家が……世子、ハインツ殿との縁談を受け入れてくれた。歳は、フローラ殿よりも6歳年下だが……」


「当方にとっては何も問題ございません。態々のお骨折り、誠にありがとうございます」


満面の笑みを浮かべて、心の底から感謝の気持ちを伝えるブレンツ子爵。ハインツは伯爵家の御曹司であるだけでなく、近衛騎士団に所属するエリートで、しかも爽やかな笑顔で多くの女性を魅了すると評判の美青年だ。文句の付け所など全くなかった。


「それにしても……本当にまとめて頂けるとは。いえ、閣下のお力を疑ったわけではありませんが……」


それでもブレンツ子爵は思う。文句の付け所はないが、自分の娘は年増で傷物なのだ。きっと裏には何かがあったと。


すると、ヒースは裏事情を説明する。


「実はな、あまり大きな声では言えないが……少し前にヒルデブラント伯爵家の次男坊がエリザを拉致して、いかがわしいことをしようと企みおってな……」


ヒースは、ハインリッヒ王の関与を伏せたままで説明を続けた。結論としては、拉致したエリザは影武者で、その次男坊は返り討ちに遭ったということにして。


「無論、そのようなことをされて黙っているワシではない。そのような舐めたことをされた以上、例えそれが友人の弟であっても、その次男坊を殺すつもりでいたのだ。はじめはな……」


だが、ヒースがバルムーアから戻り、この屋敷に足を踏み入れた時……ゲレオンの姉であるマチルダがホールのど真ん中で、他の使用人たちが周りにいるというのにためらいもなく、一糸も纏わぬ姿で土下座して出迎えたのだ。


「自分の身をこのとおり捧げるので、どうか怒りを収めて欲しい」と。


「それで、抱いたので?そのマチルダ嬢を……?」


「馬鹿を言うな。マチルダはエリザの親友だ。流石にそのような真似はできるわけがなかろう」


最終的にエリザの口添えもあり、ゲレオンを勘当の上、アドマイヤー教の僧侶とすることを条件に矛を収めたとヒースは言った。ただ……話はそれで終わらなかったとも付け足した。


「まあ、矛を収めたとはいえ、ワシに喧嘩を売ったことに変わりがないのだからな。ヒルデブラント伯は考えたのだろう。この先、宮廷で生きていくためには、何か形に残る和解の象徴となるものがないかとな」


「つまり、今回の縁談はそれであると?」


ブレンツ子爵はヒースが頷くのを見て、その恩義の重さに背筋に嫌な汗が湧いていることに気づいた。そして、ヒルデブラント伯と同様に、もうこの流れから逃れることはできないことを知った。


だから、ソファーから降りて、その場に膝をついて臣従を表明した。「終生忠誠を誓います」と言って。だが、そんなブレンツ子爵をヒースは鼻で笑う。


「何を仰々しいことをいっているのだ。子爵のことはずっと以前より我が身内だと考えておる。さもなければ、我が子を預けたりはせぬだろ?」


それゆえに、一つ借りを返したと思ってくれと、その両手を取りながらブレンツ子爵を立たせた。「これからも、何かと頼りにさせてもらうから、よろしく頼む」と言って。


「閣下……」


その対応にブレンツ子爵は感極まり、その目には涙も薄っすらと浮かんでいたりしている。ただ……そんな善人ぶるヒースの心の内をエリザは静かに見抜いていた。この後に本題が控えていることを。


「ところでだ、ブレンツ子爵。実は、卿に折り入って頼みがあるのだが……」


そう切り出したヒースの顔があくどくニヤリと歪む。だが、それを拒むことは当然、ブレンツ子爵にできるはずはなかったのだった。


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