第129話 悪人は、母の病を知る
「父上……。もしかして、母上はあまり長くはないのではありませんか?」
ベアトリスの部屋の前で、医師の診察が終わるのを待っているヒースは、以前から感じていた疑念をオットーにぶつけた。何しろ、クーデターで領都を占領して以来、居るはずの彼女直属の諜報員の姿が領主館も含めて、町のどこにも見当たらなかったのだ。
(もし、母上の病が重く、その情報漏洩を防ぐために総力を挙げていたとしたならば……)
それらの諜報員は、ベアトリスと共に王都へ向かっていただろうし、それより前にあったベッカーの暗殺計画を察知することができなかったのも無理からぬ話なのかもしれない。それまで疑問に思っていた点と点が……ようやく繋がるのだ。
「ヒース……」
「隠さないでいただきたい。それとも、ワシには知る権利がないといわれるのか?」
クーデターも起こしたし、先程あれだけのことを言ったのだ。もしかして、親子の縁を切るつもりかと勘繰って、ヒースはオットーに訊ねるが、彼は首を左右に振る。
「いや……そんなことはない。ベティからは心配させるからと口止めされていたが……こうなってしまったからには伝えなければならないだろうな……」
そして、オットーは言い辛そうに告げた。ベアトリスを蝕んでいる病が『癌』であるということを。
「癌……ですか」
それはこの世界でも治すことができないとされている病気の名前である。いや……高度な治癒魔法を使える、言わば『聖女』と呼ばれる者ならば、もしかしたら可能性はゼロではないかもしれないが、そんなに都合よくいるわけではない。
流石のヒースも動揺を見せずにはいられなかった。だが……知ってしまった以上、確認しなければならないことがある。
「それで……あとどれくらい生きることができるのだ?」
「医者からは、長くても1年と言われている……」
「い、1年……」
今日の立ち回りをみれば、そんなはずはないと否定したくなるヒースであったが、父親の情けない顔を見れば、冗談とかの話ではないとわかる。
(……何とかならないのか!)
ベアトリスはまだ37歳と若いのだ。まだまだ死ぬには早すぎるとヒースは、助かる手段がないかを記憶の中から探した。今世の事のみならず、前世で……南蛮人どもが言っていた話をも手繰り寄せて。しかし……そんな都合の良い手段は見つからない。
「なあ……ヒース。さっきの話だが……」
すると、オットーが突然話しかけてきた。それは、少しでもベアトリスの心労を減らすための提案。すなわち、トーマスの件はベアトリスが生存中に限って棚上げして欲しいということだった。
「本当にかわいがっているんだ。おまえの言うことは理解したが……せめて、生きている間は酷いことを言わないでやって欲しいんだ」
それが最後の親孝行だというオットーに、ヒースは同意する。
「わかったよ。母上にはさっきの話を撤回すると伝えることにする。こうなった以上、ワシも心労をかけたくないという気持ちは一緒だからな」
但し、あくまでもそれは嘘だとヒースは念を押す。
「トーマスを殺したくないのは本音だ。だから、くれぐれもそこのところは誤解しないでくれよ?」
「わかっている。おまえのいうとおりにしよう。それがあの子のことを考えれば一番良いだろうしな。ただ……」
「ああ、養子に送り出す家については、父上にも相談して決めることにする。ワシの利益よりも、あやつの幸せを優先して考えよう」
それでいいかと訊ねるヒースに、オットーも頷いた。
「あと……」
ヒースは少し表情を歪めながら、魔法を発動させて一本の小瓶を掌に出した。中には禍々しい色をした液体が入っていた。
「これは……」
「……もし、母上が苦しむようなら、これを飲ませろ。楽に……なるから……」
「ヒース……!」
渡された小瓶の正体に気づいて、オットーは思わず声を荒げた。妻はまだ必死に生きようとし続けているのに、「毒を盛れ」とは何と酷い息子なのだろうとも思う。しかし……今までに見たことがない悲しそうな表情をしているのを見て、続けようとした言葉を飲み込んだ。
そして……そのまま受け取る。
「頼んだよ……父上」
ヒースはその一言だけ告げて、この場から去って行く。その後ろ姿は、いつもの彼とは違うことは一目瞭然だった。
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