第134話 悪人は、浮気がバレて妻の恐ろしさを知る

「……それで、マリカはヒース様のご寵愛を受けたというのですね?」


「は、はい……大変申し訳なく……」


「あなたは謝罪する必要はありませんわ、マリカ。そうですわよね?ヒース様」


「あ、ああ……全てはワシが悪い。許してくれ、エリザ」


カリンがベアトリスへの延命治療を施されたその夜、ヒースはエリザにいきなり呼びつけられて、浮気に関する事情聴取を受けていた。マリカと共に正座をさせられて。


(くそ……エーリッヒめ。空気読めよ!)


風魔法で空を飛び、いち早くルクセンドルフ伯爵家に話を伝えたまでは良かった。しかし、そこで調子に乗ってエーリッヒは……テオから聞いた『本来であれば墓場まで持って行かなければならない話』をそのままエリザに伝えたのだ。ヒースらがリートミュラー領に乗り込んでからの話と共に。


もちろん、そんな彼は今、別室でテオとアーベルに叱られているが……今のヒースにとっては何の慰めにはならない。


「ヒース様。もし、子供が生まれた場合ですが……」


「わかっておる!父子の名乗りはしない。きちんと、テオが他所で作った子として処理するつもりだから、安心してくれ!」


これは、マリカとテオ、そして、テオの義父となるライナハルトを交えて事前に話し合って決めたことだった。もちろん、それなりの見返りもあるが、もし子が産まれても、その子はあくまでもルクセンドルフ伯爵家の家臣として生涯を終えることとなるだろう。


しかし……それをエリザは認めなかった。


「ヒース様、ダメですよ?まいた種は自分で刈り取らないと」


そう言って、二人の前に1本の小瓶を置いた。禍々しい色をした液体が入っており、碌なものではないことを否が応でも理解させられる。


「……これを飲めと言われるのですか?」


「そうよ。あなたも望まない妊娠なんかしたくないでしょ?もし、ヒース様のお種が宿っていても……それを飲めば、明日の朝までにはすっきり流れ出るから……」


「ひぃ!」


つまり、この禍々しい液体は『堕胎薬』だ。いつもと違う昏い目つきをして告げるエリザの姿と相まって、マリカは怖くなり小さな悲鳴を上げた。


「エ、エリザ……何もそこまでしなくても。それにまだ妊娠していると決まったわけでは……」


「ヒース様は、口を挟まないで。これは……わたしたちの問題なの」


まるで、ここにベアトリスがいると錯覚するような圧力を放ち、エリザはヒースを黙らせると、マリカにもう一度決断を促した。


「当然、飲むわよね?マリカ。わたしはあなたのことを信じているわ。今も前と少しも変わらずにね。だから、このわたしが言っているんだから、黙って従いなさい。そうすれば、今回のことはなかったことにしてあげるわ」


そして、中々手に取らないのを見かねて、その小瓶を掴んでマリカの手に握らせた。だが……その手は震えるだけで、動こうとはしなかった。


(どうしよう……飲まなければいけないと思っているのに……)


忍びにとって、主の命令は絶対である。ヒースに体を差し出したのと同じように、この薬を飲めと言われれば飲まなければならないのだ。


しかし、その一方でマリカの中に『負けたくない』という気持ちが芽生えていた。それは、ヒースの愛情を奪われたくないという……対抗心だ。それゆえに、お腹の中に種が宿っていようといまいと関係はなかった。


「……申し訳ありません。それは……できません」


マリカはエリザの申し出を拒絶した。その瞳には先程までと違って、明確な強い意志が宿っていた。すると、エリザは寂し気な表情を浮かべて彼女に告げた。


「マリカ……本日只今をもって、【揚羽蝶】のリーダーの任を解くわ。今までありがとう……」


これは、当然の結末だった。主の命令に従えないのだから、受け入れるしかない。だけど、そんな彼女にエリザは続けて言った。


「そして……あなたは今日からヒース様の愛人に加わったのですから、以後、正妻であるわたしに従うように」


「はい?」


何を言われているのか理解ができず、マリカはかつての主の顔を見た。しかし、そんな彼女にエリザは先程までとは一転させて、いつもの調子でクスクス笑いながら言った。


「あなたの報告では、ヒース様には7人……いえ、ソフィアさんを入れれば8人かしら?それだけ愛人がいるのでしょう?」


「はい……そうですが」


「そこに一人くらい加わったとして、何が変わるというのかしら?もちろん、わたしよりも先に子を産まれるのは、できる事なら避けたいけど……」


無理な場合は、きちんと揉めないようにすればいいのだ。そして、そのためにはマリカの力が必要不可欠だとエリザは言う。


「だから、これからもあなたの力を貸してちょうだい。このルクセンドルフ伯爵家の繁栄のために」


ここまで言われては、マリカも否とは言えない。これからは、側室のひとりとして二人を支えることを誓うと、エリザはニッコリ微笑んで「別室でケーキを食べましょう」と言いながら、彼女の手を取り部屋を後にした。


「おい……ワシを置いていくな。正座はいつまでやれば許してくれるのだ?」


……いつぞやと同じように、哀れなヒースを放置したままで。

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