幕間 悪い虫は、お嬢様に忍び寄る

「はぁ……どうしよう。そうはいってもなぁ……」


ヒースたちがシェーネベック領に行って、学院を留守にしていたその頃、一人の少年が校庭外れの東屋で写生画を描きながら呟いていた。時間帯は丁度昼休みである。


彼の名は、アーベル・ランブラン。王太子ハインリッヒの取り巻きの一人としてヒースに視認されていた御用商人マルコ・ランブランの長男であった。そして、今、彼が頭を悩ませているのは、その父親から昨夜告げられた指令の事。即ち……


『ルクセンドルフ伯爵閣下に取り入り、友誼を結ぶように——』


どうやら、同じ王太子の取り巻きだったホルメス伯爵らが失脚したことで、危機感を覚えたらしい。独自のルートで、この騒動には伯爵の思惑が強く絡んでいると気づいて、処罰が下されるよりも先に手を打とうと、このような命を下したのだ。


さもなくば、3百人を超える従業員が路頭に迷いかねないと。


「……だけどな、いないのをどうしろって言うんだよな。まさか、シェーネベック領まで追いかけろと?」


確かに大金を抱えて駆けつければ、かの『魔王』と呼ばれるルクセンドルフ伯爵も無下にはしないだろう。処罰される予定があるのであれば、きっと口添えもしてくれるはずだ。しかし、アーベルは気が進まなかった。行けば……いや、関わるときっと、碌なことにならない予感がして。


そして、彼の予感は高確率で当たるのだ。ゆえに、その選択肢は取らなかった。一方で、今、ここで絵を描いているのは、そうすることで良いことが起こるような予感がしているからでもある。


「まあ、当たるも八卦当たらぬも八卦。まだ昼休みが終わるまで時間があるから、気長に待つとしようか♪」


鼻歌交じりでスケッチブックに鉛筆を入れていくアーベルは、その時後ろから迫ってくる危機に気づいていなかった。


「危ない!避けてっ!!」


女の子の叫び声が聞こえたような気がしたが、ほぼ同時に木剣が後頭部を直撃して、アーベルは前かがみでうずくまった。


「いっ…たぁあ!!」


「大丈夫ですか!?ああ……本当にごめんなさい!」


女の子は謝りながらアーベルの下に駆け寄ってきて、彼の正面から見据えた。そして、一瞬の迷いの後に魔法を唱えた。


「あれ?痛くない……」


「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


急に痛みがなくなり、どういうことかと不思議に思っているアーベルに、女の子は必死で謝り続けていた。だけど、痛みがなくなった以上、咎め立てする理由もないわけで……


「もういいよ。痛くなくなったから、そんなに謝らなくても」


アーベルは困惑気味に、女の子に頭を上げるように言った。しかし、その顔を見て驚いた。


(か、かわいい……)


年はおそらく同じだろうか。幼い顔立ちだが、目がクリっとして涙で少し潤んでいて、それが何とも言えない庇護欲を駆り立てられる。要するに、アーベルは見惚れて目を離すことができなかった。


「あの……なにか?」


だが、それは初対面の女の子には悪手というもの。警戒心を抱かれてしまったようで、そのことに気づいたアーベルは必死で弁解する。


「あ、いや……なんで、こんなかわいい子が木剣を振り回しているのかなって思っただけで……」


自然と「かわいい」と言っているところに、想いが隠しきれていないが、女の子はスルーするように答えた。


「実は、わたし……兄のように剣士になりたいんです」


「剣士に?でも、君は魔法使いじゃ……」


「どうして、わたしが魔法使いだと?」


「えっ!?だって、さっき使ってくれたんだろ?あれ、治癒魔法だよね」


「……はい」


でも、それは自分が望んだことではないと彼女は言った。本当は魔法使いではなくて、剣術のスキルが欲しかったと。


「つまり、スキルに頼らずに頑張ってるんだね。えらいなぁ」


そう言って、つい妹にするように頭を撫でたアーベル。すると、彼女は頬を膨らませて抗議した。「子供扱いしないでよ」と。


「あ……ごめん。そうだよね、失礼だったよね」


アーベルは自分の非を素直に認めて、彼女に頭を下げた。


「あ……いえ、わたしの方こそ……ご迷惑をおかけしたというのに」


今度は、女の子の方が頭を下げた。少し言い過ぎたと。そして……


「ふふ、ふふふ……」


「あは、あはははは……」


両者ともに自分の今の状況が可笑しくなって、笑いながら顔を上げた。その上で、アーベルは申し出る。


「あの……もしよかったら、剣の稽古の相手。つとめさせてもらえないかな?俺も多少なら使えるから」


「ホントですか。それなら、お願いします。一人では少しわからないこともあったので……」


女の子の方も快く承知して、二人は放課後にまたこの場所で会う約束をした。


「あ……そういえば、お互い名を名乗ってなかったよね。俺はアーベル・ランブラン。商人の子だ。君は?」


「わたしは、カーテローゼ・フォン・ルクセンドルフよ。まあ、一応は貴族の娘だけど……お妾さんの子だから、あまり気にしないで」


(ルクセンドルフって……)


「じゃあね」と言って手を振って去っていく彼女を見送る笑顔の下で、アーベルははからずしも伯爵家に縁ができたことの吉凶を考えていた。カーテローゼに出会えたことは間違いなく吉以外の何物でもないが……ルクセンドルフ伯爵家と縁ができたことは果たして……。

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