第169話 悪人は、隣国滅亡の仕上げに取り掛かる(前編)

朝日が昇る前に、エーリッヒの風魔法によって空からこの王都テルシフに忍び込んだヒースとエリザは、一見、裕福な商人の格好で新婚旅行に相応しく観光を楽しんでいた。


オシャレなカフェで朝食を取り、町の中央にある聖アナ・マリア大聖堂と勇者が眠る丘という観光名所を巡り、午後からは温泉宿で、二人きりでゆっくり湯につかって……。


本当に楽しい一日だったと、エリザは思った。思ったのだが……


「あの……本当に、遊んでばかりいてよかったのでしょうか?」


籠城戦が始まったばかりということもあってか、まだ目に見えて市民生活に影響は出ていないので、つい忘れてしまいそうになるが、現在進行形で戦争をしている最中なのだ。しかも、ここは敵地のど真ん中ということもあり、エリザは心配そうにヒースに訊ねた。


しかし、ヒースは問題ないと言った。


「心配するな、エリザよ。この温泉宿に来たのも、きちんと目的はあってだな……」


但し、そう言いかけたところで突然、ヒースは人差し指1本立てて唇の前に置き、話を止めた。すると、そのとき……


「お客様。お希望通り、町の主だった酒場の主が集まりましたが……」


部屋の外から、この宿の者がそう告げる声が聞こえた。ヒースは、すぐにその部屋に行くことを伝えて、エリザにも同行するように求めた。先程の『目的』というのを成すために、これから手を打つのだとして。


「あの……ヒース様?」


「悪い、エリザ。説明は後からするから、取りあえず、ワシの話に合わせてくれ」


「え……は、はい」


酒場の店主たちが集まっている部屋に向かう途中で、ヒースからそう言われたエリザは、わけがわからないまま、それでも従うことにしてその隣を歩いていく。すると、灯が漏れている部屋があり……その中には、30人近くの男女が椅子に座って待ち構えていた。


「みなさん、お忙しい所をすみません。わたしは、バダンテール共和国で商いをしておりますルイス・フロイスと申します。そして、隣にいるのは、妻のマリアです」


しかし、開口一番、ヒースは盛大に嘘をついた。一体何を言っているのかと、エリザは困惑して一瞬ヒースを見るが、彼は何も言ってはくれない。しかし、先程ここまでくる道中で告げられた言葉を思い出して、「妻のマリアです」と、取りあえず合わせてみることにした。


「それで、今日皆様にお集まりいただいたのは……わたしたちの結婚を盛大に祝ってほしいと思いまして」


「祝う?それは、ケーキでも持ってきて『おめでとう』……とでも言えばいいのかい?それなら悪いが……」


暇じゃないので、他所をあたってくれと、髭面の男は馬鹿にするように言った。他の連中も、声を出さないものの、同意見なのだろう。用件はもう終わったので帰らんとばかりに腰を浮かそうとしていた。


だが、そんな彼らの前にヒースは白金貨の入った木箱を……蓋を開けた状態で並べた。全部で5箱。1箱当たり1千枚入っているので、トータルで5億Gだ。


「これは一部ですが、全部で50億G用意してあります。もう一度お願いしますが、わたしたちの結婚をこの町の皆さんに盛大に祝ってもらいたく、このお金で三日三晩、食事と酒を思いっきり市民に無料で振舞っていただきたいのです」


その眩いばかりの輝きに、そして、その数に……酒場の主らは度肝を抜かれて、どいつもこいつも口を半開きにしたまま、固まってしまった。何しろ、彼らが日頃見る機会があるのは、銀貨あるいは銅貨がほとんどで、偶に羽振りの良い客が金貨を数枚出すくらいだ。


だから、再起動して夢ではないことをまだ消えていない白金貨の姿から確認した彼らは、見事なまでに手のひらを返して、ヒースの願いに全力で協力するように言った。


「旦那!奥様!任せておいてください!!皆で町を上げて、門出を祝わせていただきますから!!」


「うちも、秘蔵のお肉とワインを全部出して、盛り上げることにしますわ!」


「ワシの店も……」


「わたしの店ももちろん協力しますわ!」


「ありがとう、皆さん。そう言っていただけると、わたしたちもとても嬉しく思います。どうか、よろしくお願いします」


ヒースは内心で上手く行ったとほくそ笑みながらも、それをおくびには出さずに一人一人の手をしっかりと握り、感謝の気持ちを伝えた。

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