第226話 悪人は、義弟を頼りに思う

今、ヒースの手元に二つの報告書があった。


ひとつは、ランデル軍がローゼンタール王国に侵攻して敗北した『デーン狭間の戦い』の顛末に関するものだ。そこには、ランデル王の討ち死にと……直後に起こった『カレスタット港への海獣襲来』までの内容が詳細に記されていた。


「ほう……カレスタット港は壊滅したか。よしよし、でかしたぞ」


但し、ヒースが関心を示したのは後者の方であり、前者……『デーン狭間の戦い』の顛末には興味がなかった。もちろん、圧倒的有利であったランデル軍が……しかも、総大将である国王ロマノフ2世の首まで獲ったことには驚かずにはいられなかったが、ただそれだけのことだ。


国境を接していないランデル王国がこの後衰退しようが、ヒースが治めるこのロンバルド王国には当面影響はないのだ。よって、義輝が海を渡ってこちら側に来ることができなくなったという点のみ評価して、それ以上の思慮は不要とばかりに、その報告書を閉じた。


「さて、もう一つの方は……と」


そして、片方の報告書を手に取り、ヒースはその内容を確認する。だが……読み進めるにつれて、表情は険しくなっていく。そこには、先程喜んだ戦果を台無しにするような企てがあることを示唆する内容が記されていた。


すなわち、東の大陸に先頃誕生した統一国家『アムール連邦』が、海軍を派遣して大陸間の海域に巣食う海獣の討伐を行う……ということだった。


(現実問題、活動させている海獣は強力で数もかなり多い。連邦の有する艦船を総動員したところで、恐れるものではないが……)


それでも、心に引っ掛かるのは勇者義輝の存在だ。今、東の大陸にいる彼がもし連邦の『海獣狩り』に協力するようなことがあれば、果たしてどうなるか。


最悪のケースとして、海獣討伐に成功した義輝がそのままこちらの大陸に戻ってくると言ったことも想定できるため、ヒースは対応を思案する。


それは……連邦に魔物を攻め込ませて、それどころではない状態に持ち込むということだ。


(それならば、義輝も戻って来ることにはならず、しかも居場所もわかるだろうし……悪い話ではないな)


義輝ならば、きっと青臭い正義感を前面に押し出して、襲われている民衆を救おうと剣を振るうに違いないとヒースは確信している。ゆえに、居場所の特定はその過程で容易に行えると。


「お義兄さま、皆揃いました。そろそろ……」


ただ、そのように悪巧みをしている最中に、部屋の外からアーベルの声が聞こえてきて、ヒースは我に返った。今日はこれからアーベルの父親ら商人たちに、アムール連邦との秘密交易を打診する予定になっていたのだ。


「わかった。すぐに参る」


部屋の外にそう返しながら、ヒースは先程頭に描いていた企みを一旦破棄した。もし、連邦に魔物を攻め込ませて甚大な被害を与えれば、今進めようとしている【転移陣】を使った秘密交易もとん挫する可能性があると気づいたのだ。


(義輝のことも大事ではあるが……交易の儲けも捨てがたい)


海獣たちが海で暴れてくれているおかげで、この大陸にはアムール連邦から一切物資が届かなくなっており、どの国でもいくつかの食料必需品で価格が高騰し始めていた。つまり、この国で流通させるだけでなく、他国にも売れば、莫大な利益を得ることができるのだ。


(さて……それならば、どうするかだが……)


部屋の外でアーベルと合流して、そのまま彼の父親であるマルコらが待つ部屋に向かって歩きながらも、ヒースは考える。要は、義輝がアムール連邦と手を組まなければ何も問題ないのだ。ゆえに、何か良い方法がないかと……。


「どうかなさいましたか?先程から何やらお悩みの様ですが……」


「アーベル?」


「何でもおっしゃってください。最近、お義兄さまは……なんでも一人でお決めになられますので、たまには頼って頂きたく……」


「もちろん、頼りにはならないかもしれませんけど……」と前置きをしつつも、振り返って驚いているヒースに、アーベルは臆することなくはっきりと想いを伝えた。


「そうだな……それでは、この会合の後少し相談させてもらうよ」


すると、ヒースは少し笑みをこぼして、そう答えた。アーベルの言葉の通り、最近の自分は一人で物を考えて決断することが多いことに気づかされたのだ。ゆえに、頼ってみようと思ったわけだ。


「ただ……先に言っておくが、ワシの悩みは重いぞ。それこそ、『世界を滅ぼそうか』というくらいにな。それでもいいのだな?」


「え……?」


「頼りにしているぞ。義弟殿」


からかうように笑いながら再び歩き出したヒースの後を、アーベルは戸惑いながら追いかける。ヒースの方は先程までの憂い気な様子はどこかに飛んでいったようであったが……


(世界を滅ぼすって……まさか、本気じゃないよな……?)


そんなヒースの後を追いながら、逆に悩みを抱えたのはアーベルだった。

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