第182話 悪人は、取り乱す

「そ、それで、エリザはどうなんだ!?」


「は、はい?」


「だ・か・ら、エリザに何があったのかと聞いているんだ!」


部屋の扉を前にして、ヒースはアーベルに詰め寄っていた。屋敷の中の慌ただしさから考えて、エリザの身に何かがあったと思い込んでいたのだ。例えば、早産、流産、死産など……。


しかし、アーベルは困惑している。


「あの……一体何をおっしゃっておられるのでしょう?」


「何って……エリザのことに決まっておろう。……最悪、子供のことは諦める。だから、カリンにそう伝えてくれ!エリザだけは必ず助けてくれ!」


「お、落ち着いてください、お義兄さま。大丈夫です。エリザさんは無事ですから」


「無事……?」


そのアーベルの言葉に、今度はヒースが困惑した。それならば、この屋敷の慌ただしさは一体何が原因なのか。カリンが治癒魔法を使っていると言ったのはどういうことなのか。


「実は……」


アーベルは説明を始めた。つい1時間前にリートミュラー侯爵領からベアトリスが到着したのだが、長旅が体の負担となり、エリザを見舞っている最中に倒れてしまったからだと。


「な~んだ、倒れたのは母上の方だったのか。てっきり、エリザに何かあったのかと……って、えっ!?なんで、母上が居るんだ!?」


「初孫の誕生を見届けるのが目的だそうですが……元々、調子があまりよろしくなかったようで……」


「なんだと……?」


エリザが無事だと知ってホッとしたのも束の間。アーベルから告げられたベアトリスの話にヒースは頭が痛くなる思いがした。何しろ、本来であれば、この夏に2回目の延命治療を受けるはずであったのに、ベアトリスは調子が良いからと言って先送りしていたからだ。


「だから、あれほど言ったのに……」


呆れるようにため息を吐いたヒースにアーベルは改めて伝える。今、部屋の中ではベアトリスの体を蝕んでいる癌細胞を再び小さくするために、カリンが【治癒魔法】をかけていて、魔法詠唱の妨げになるから部屋に入ることは叶わないと。


「ですので、今しばらくお待ちいただけたら……」


「あいわかった。そういうことなら、大人しく待たせてもらうことにしよう。ちなみに、エリザは中にいるのだな?」


「はい。ベアトリス様の手を握られて、励まされておいでです」


「ならばいい」


無事であることがわかれば、何も慌てる必要はないのだ。終わるのを待てばよい。


そう思っていると、ルキナもこの場に現れた。ただ、彼女の方はここに来るまでに誰かに事情を聴いたのであろう。ヒースがアーベルから聞いた話を伝えても、ベアトリスのことについては特に反応を見せなかった。


反応を見せたのは……


「ねえ、ヒース。あなたの妹さんが【治癒魔法】を使えるって、どういうこと?もしかして聖女?」


「え……?」


すなわち……カリンの秘めた能力についてだった。


「そ、それはだな……」


ヒースは言葉を詰まらせて、アーベルに助けを求めた。すると、彼は堂々と洗いざらい全てを説明した。ヒースが途中で「そんなことまで言っていいの?」と心配するくらいに。


だが、アーベルは言う。ルキナがヒースの第二夫人となった今は、最早身内なのだから別に構わないでしょうと。


「それはそうかもしれないが……」


ただ……親兄弟であっても平然と裏切り続けてきたヒースには、理解できない。もちろん、ルキナが裏切るとは思えないが、世の中は「まさか」の連続であり、「信じていたのに」とかいうセリフは、敗者の戯言だ。


(では……どうするか)


まさか、ルキナを口封じのために始末するわけにはいかない。エリザを第一に考えてはいるが、ルキナのこともそれと同じくらいに大切な存在だ。


しかし、そうなると打てる手は全くない。ヒースは行き詰まり、頭を悩ませた。すると、そんな彼を見てルキナが笑う。


「あのね、ヒース。わたしがあなたの不利益になることを他所で言うわけないでしょ?忘れたの?あなただって、わたしの秘密を握っているということを」


「あ……」


元・女神であること、もしくは本当はリヒャルトの娘ではなく、先代のユリウス王の娘であること。そのうちのどちらかが世間に晒されることになれば、ルキナはその立場を失いかねない。それゆえに、カリンの秘密は守られるとルキナは言っているのだ。


そのことに気づかされて、思わず呆けてしまったヒースだが……そんな彼にカリンのことでルキナは言った。伸び悩んでいるのなら、実戦経験を多く積ませなさいと。

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