第2章
第59話 我が家に戻って思案する
あれから急にホームシックになった俺は、宿を捜さずに日本に帰って来てしまった。
感情が大きく揺さぶられたせいか、急に日本が恋しくなってしまったのだ。
しかも父さんと付き人のブルネットがいなくなって、隠蔽が解けた後も俺はボロボロ泣くのが止まらなかった。
情緒不安定の病気のせいもあるのかもしれないが、嬉しい出来事も、ストレスのように負荷になることがある。
長い時間をかけてなったものはすぐに治らないのだ。
「………日本に帰りたい」
大の男がベンチで突然泣いているし、横には凶悪面の男が立っている。
否応も無く周りの注目を浴びてしまった。
これにはさすがの奴も少し焦ったらしい。
「おい、とにかく移動するぞ。ここじゃ転移も出来ん」
そう言って俺の右腕を掴むとベンチから立ち上がらせた。
俺は始終下を向いていたのでわからなかったが、どうやら遠くで警使がこちらの様子を伺っていたらしい。
足早に公園から俺を引っ張り出しながら、徐々に気配を薄くしていったらしい。
おかげで警使が追っかけてくることはなかった。
公園近くの、建物と建物の隙間のような路地に飛び込むと、亜空間の門を開いて俺を放り込んだ。
日本は土曜の4時近くだった。
窓の外は相変わらず雨がそぼ降っていて、バイクのたてるエンジン音や学校帰りの小学生のはしゃぐ声が通り過ぎていく。
畳の上に転がるとやっと落ち着いた。
しばらくそのままでいたかったけど
「寒っ!」
俺は飛び起きると、セーターとトレーナーを衣装ケースから引っ張り出した。
あちらは初夏だったが、日本はいま年末の12月始めだ。
しかも外は冷たい雨が降っている。
暖冬とは言われていたけど、やはり冬は寒い。
俺は顔を洗うと、押入れから炬燵用の掛け・敷き布団を出した。
いつも使ってる卓袱台は、オールシーズン使える炬燵使用のものだ。
やはり日本の冬はこれだな。
布団に足を突っ込んでつくづく実感する。
ヴァリアスは一旦帰ると言って消えたので、俺は1人いつもの日常に戻された。
テレビをつけると、当たり前のようにいつもの夕方のニュースが流れる。
異世界に行ってたことがリアルな夢のようだ。
だけどテレビとは反対側の角っこには、魔法円を描いた布の上に、あのドラゴンの魔石が重圧な存在感を放って乗っている。
もちろん右手にはスマホ兼
俺はスマホを外して元の形にも戻すと、その背面をあらためて見た。
神様―――父さんが去る時に、俺のスマホをもう一度受け取ると、背面の魔法式らしい記号の羅列部分の一番下をなぞって言った。
「これは神の言葉で書かれている。
だから多言語スキルでも人が読む事は出来ないし、言葉に発する事も出来ない。
だけど意味くらいなら教えておくよ。
最後にこう書いておいた『我が息子へ贈る』と」
俺がジッとその部分を見ているうちに、父さんはかき消すように消えていった。
そっと、その部分を指で触れてみた。
一瞬だが、その1行だけが青い光を発して消えた。
ちょっと辺りを見回してから、スマホを腕に付けずに炬燵の上に置いた。
もう日本だからいいかな。
しばらく置いといたが、なんか奴が突然現れそうで怖いのでポケットに入れ直した。
おっと大事な事を忘れてた。
本棚の横に立て掛けていたノートパソコンを開いて、USBコードでスマホと繋ぐ。
母さんの画像をパソコンに保存しておくためだ。
プリンタは持ってないから、明日コンビニでプリントアウトしてくるか。
あらためて見ると、普通に母親として見えるより、どうしても若い娘感がある。
神様―――父の目を通して映し出されているからなのだろうけど、この熱い眼差しが少し照れくさい。
この写真と、初めて会えた父さんの記憶は、決して消さないように大事にしていこうと思った。
夕食は冷凍庫に残っていた豚肉と、セラピアの森で採った山菜で肉野菜炒めにした。
うん、炒めてもあまりしなっとせずに、シャキシャキ感が残ってるのでなかなか旨い。
今度もう少し多めに採ってきたいな。
豪華な食事じゃないけど美味しいモノを食べているうちに、ようやく今日あった出来事が段々と現実的に頭に沁みてきた。
俺にも繋がってる親がいたんだなあ。
なんとなく根無し草のような不安感が薄れていって、少しづつ喜びが膨らんでくる。
うん、今日は良い日だっ。飯も旨い!
自然と頬がほころんできた。
突然、すぐ後ろでガシャンッ! ガシャン という大きな音がして、持っていた味噌汁をこぼしそうになった。
振り返るとヴァリスが、台所との仕切りのガラス引き戸に、裏拳を当てて立っていた。
「ノックするならせめて玄関ドアにしてくれ。ガラスが割れちまうよ」
俺はつい文句を言った。
「具合は良くなったようだな。全くお前の発作は読めなくて困る」
「ハイペースでついていけないんだよ。なんで短期間にこんなに事が起こるんだ?」
「仕方ないだろ、今朝の上王や
たまたま重なっただけだ。それにこれくらい、我々には日常茶飯事だ」
「俺は使徒でも天使でもないんだから、脳みそが処理できないよ」
もう嬉しさをかみしめる暇もない。
「……とりあえず、今日はまだ1回しか飲んでないだろ、飲め」
そういうと炬燵の上に木製のコップを出してきた。
はぐらかされた。それにやっぱり忘れてなかったか。
もう、これ飲むのなら、少し御飯減らさないと胃拡張になりそうだ。
「そろそろ別の町に行くか」
ヴァリアスは俺の向かいに座りながら言ってきた。
「え……」
「同じ町にいて、いつまでも定住地が決められないなら、いっそ他所の町に移動したらどうだ。
別の町を知っておくのも必要だぞ。どうせ5日後にはラーケルに行くのだし」
「そうか……確かにそうだな……。そろそろ頃合いか」
王都とかには行ったけど観光で行っただけで、実際何日か滞在していたわけじゃない。
やはりその地に住むのと、訪れるのでは違うからなぁ。もう心残りもないし……。
奴はそれから1時間くらい、テレビを見ながら冷蔵庫の缶ビールを飲んで帰って行った。
久しぶりにアパートの風呂に入って布団で寝た。
やっぱりベッドより布団が落ち着く。
天井をぼんやり見ながら、布団の中でこれからのことを考えた。
定住地もそうだが、あちらでいつまでハンターみたいな力仕事続けていけるか、やっぱりわからないな。
あいつがサポートしてくれるとはいえ、実質やるのは俺だし。
ラーケル村でもし商人証をもらったら、商売始めるにしても何を売るかだよなぁ。
イアンさんとこみたいなお洒落雑貨って、何が売れるのかわからないし、その前に俺、そんなセンスないし。
そうなるとやっぱり生活雑貨とか、ハンターギルドの売店で売られていたような物かなぁ。
あの売店には、サバイバルグッズ定番の火打石とかロープとか売っていた。
火なんか魔法で起こせるんじゃないかと思っていたが、奴曰く、誰でも出来るとは限らないという事だった。
それに魔法が使えない場所や状況もあるから。
庶民とハンターの差は、普通に走れるぐらいの一般人と、オリンピック選手並みに走る事の出来るアスリート、軍人のようなものだ。
地球人と違って庶民でも魔素の中に暮らし、体内に差はあっても魔力を宿すので、何かしらの魔法力は持つものなのだが、それが使えるほどの能力かというと話がまた違ってくる。
巨大な火の玉を出現させる事が出来る奴もいれば、火花しか出せない奴もいる。
竜巻を起こすことも出来る者もいるし、息のような風しか空気を動かせない者もいる。
もちろん水は出せるが、火は全く駄目という人もいる。
その逆もしかり。
一般人のほとんどは、皆ほどほどの能力しか持っていない。
素質はあっても、それが役に立つぐらいのレベルまでに、使えるようになるのは少ないそうだ。
俺のように初めての魔法で火柱を放ったり、大きな水球を出現させたり出来たのは稀なのである。
そして普通は1~3種ぐらいの素質しか発現しない。
俺みたいに基本魔法(火・水・光・土・風の5大魔法の基本的発動)を全て出来る者は少ないそうだ。
しかも空間収納やら、転移などの特殊スキルまで持っている。
それは力の大きさは別として、Sクラスのハンターでもほぼいないらしい。
あいつといると自分が実はチート能力者だという事に気がつきづらい。
いや、あいつが規格外なんだよな。
とにかくそうなると、火打ち石的な発火器具は重宝されるという事だよな。
ライター、マッチ、チャッカマンあたりなんか喜ばれるだろうか?
ラーケル村に行くとき、アイザック村長やターヴィに、お土産で持って行くのもいいかもしれない。
そしてダリアにも……。
うーん、あらためてこちらからお願いするのって、どのタイミングで言おう。
それにいくらなんだろ……?
ちゃんと提示してくれればいいけど、『お気持ちでいい』 とか言われたらどうしよう。
相場なんかしらないし……なんかエロ本買うのに、一生分の勇気出す中坊のようだよ。
リブリース様なら息をするぐらい簡単なのだろうが。
……いやもう寝よう。
★★★★★★★★★
そんな
月曜日、会社に行く前に書きつけた仕事のメモを見て、俺は現実に引き戻された。
こちらではたった3日前だが、俺にとっては実質10日以上前の事だ。
おかげで就いたばかりの仕事の細かい事を忘れてる。
ヤバいぞ、俺はチート能力者の前に、地球人で、仕事にありついたばかりのただの派遣社員なのだ。
気持ちを切り替えないと。
向こうで仕事をしていけば、生活費には困らないかもしれないが、俺がこの仕事にしがみつくのは生活費の為ばかりじゃない。
この社会での存在意義のためだ。
何かやりたい事があるわけでもない俺は、こうして仕事をすることで社会に存在を証明することしかできない。
とにかく何かしていないと、この世界からはみ出してしまうようで、不安になってしまう。親との繋がりとはまた別の存在意義だ。
メモを読み返してなんとか思い出す。
『棚上に置く時、AとBは重ねてもいいが、Cの上には載せてはいけない』 とか 『見本品のバーコードに通常、青いシールを貼るが、後で売れる物には赤いシールを貼る』 など。
他に忘れていることはないか。
メモを見ながら、仕事をしていた時のことを思い返していると、メモを取った時の詳細が記憶としてまざまざと浮かび上がってきた。
これは記憶として思い出したというよりも、メモを通して記憶を感じ取っているようだ。
おそらくオーラの残滓のように、物に残された記憶を引き出したのだろう。
有難いけど大丈夫か俺。
こんなスキルばかりに頼ってて、ボケないかそっちが心配になった。
ただ俺が心配症なだけなのか、この5日間も無事にミスすることなく(とりあえず発覚したミスはなく)仕事を終えることが出来た。
今週まであちこちのフロアをまわったが、来週はいよいよ配属決めとなるらしい。
さてどこになるのだろうか。
1階DIY売り場の伊勢原さんが、俺が見かけより重い物を運べるので
『ウチに来い』 と言ってくれている。
初日に配属された2階文具売り場の中田さんも 『2階には男手が足りないから』 と言ってくれた。
お世辞でも必要とされるのはなんか嬉しい。
奴はしばらく姿を現さなかったが、朝と夕食事にいつの間にか必ず置いてある、あの肝入りスムージーが奴の存在を示していた。
夕食は会社の食堂で食べるのだが、いきなりテーブルの上に木製のカップが出現して、慌てて隠した事がある。
こんなカップ、人目を引くわ。
大体カップ自体デカいし。俺はタピオカドリンクとかに使っていそうな、大きいプラスチックカップを近所の100均で購入すると、外ではこれを使うようにと独り言を言って、部屋の炬燵の上に置いておいた。
朝起きるとちゃんと消えていたので、見えない同居人はしっかり聞いているようだ。
金曜日の夜10時過ぎ、仕事が終わっていつも通り会社の裏口を出ると、向かい側のビルの前に奴が立っていた。
「蒼也、送っててやるぞ。その前に寄ってくだろ」
そう言っていつも通りコンビニの方に行く。
その姿を見て、ふと思ったことを口にしてみた。
「ヴァリアス、こちらは真冬なんだぞ。それで寒くないのか?」
奴が振り返った。
灰色のコート姿だが、それは薄手でいかにも春コートとわかる。
今日は暖冬とはいえ北風も吹いていて、体感温度もかなり低い。
時折通り過ぎる人達も厚手のコートやダウン、手袋をしながら風が吹くと、寒そうに体を丸めている。
かくいう俺も、もうダウンコート着用だ。
「別に寒くないぞ。極地点や赤道直下、
「オールフリーファッションだな。だけど見てる方は寒そうなんだよな。TPOってのもあるし」
何とはなしについ出た言葉だったのだが、俺はあとでまた後悔する羽目になる。
口は災いの元とは良く言ったものだ。
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