第177話☆ 闇に蠢くモノたち


 なんとか今回は普通の文字数になりました(^_^;)


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ふと髪に何かが触れた。

 驚いたレッカが頭を引くと、あの黄色のコガネムシもどきが茎にしがみついて、どこか柔らかい部分がないかと短い触手を動かしていた。


 つい声が出そうだった。こんな時に脅かすなよ……。

 それよりも早くなんとかしないと、彼らがどんどん離れていく。


 目の前のハンターは、ズリズリ動きながらも獲物を見失って少しずつだが離れていく。

 だが、逡巡しているのか早く動いてくれない。

 獲物を狙う時のハンターは、俊敏だと聞いたのに。

 獲物か……。


 レッカは頭の上でモソモソ動く虫をもう一度見た。

 出来るだろうか? ……だが、このチャンスを逃したら、もう次はないかもしれない。

 ……やるしかない。


 数メートル先の蠢く黒い土塊と、遠くに見えなくなった2人が行った方向を見ながら、先程の靴下を手に取った。

 中の石を地面には落とせないのでポケットに入れる。

 

 伸びちゃってるし、なんとか入るかな。

 息を整えると、顔の近くに這ってきた虫を捕まえた。


 虫は驚いて“ヴブブッ”と低い唸り声を上げ、甲虫類特有の固い上翅を開こうとした。

 しかし、レッカに手で押さえ込まれ、そのまま靴下の中にねじ込まれた。

 靴下の中で翅を広げようと虫が藻掻くのを、口を絞って動きを封じた。

 これで甲虫を使ったブラックジャックが出来上がった。

 もちろんこれでハンターを叩くわけではない。

 虫は靴下の中で、くぐもった声を出している。


「ごめんよ。だけど僕も生きたいんだ」

 一言謝ると、その靴下をブンブンと振り回した。

 虫が思い切り激しい音を出す。

 土塊が摘ままれたシーツのように上に伸びあがった。

 パッと手を離された虫入り靴下は、大きく弧を描いて飛んで行く。

 

 伸びあがった黒い土が急に、頭の向きを変える。

 次に小さな津波のように素早い動きで、靴下に向かって襲い掛かった。

 その瞬間、レッカは反対方向に移動した。

 微かな新しい振動にハンターが一瞬反応する。

 だが、まずは手前の虫入り靴下をその泥で包み込んだ。


 どこ、どこに行ったっ?!

 なんとか根の上を渡りながら、ローザロトスハスもどきの密集した中に入る事ができた。

 確かこっちに向かって行ったはずだが、2人の姿は茂るように生える背の高い茎や葉のせいで見えなくなっていた。

 

 グッと泣きそうになるのをこらえて、自分が来た方角を振り返った。

 ハンターは追って来てないようだ。だけど油断ならない。

 慎重になるべく地面を踏まないようにしながら、彼らの後を追った。



 **************



 ヨエルが作ったエアクッションを踏みながら、俺達は結構サクサクと奥に進んでいた。

「どうやら撒けたようだな」

 ヨエルが辺りをうかがいながらこちらを向いた。

「そのようですね」

 俺もまわりをあらためて見回す。

 大きなフキ似の植物と桃色の花しか見えない。


「そういや、さっきからやたらと静かだな。風の音も聞こえないし」

 少し不思議そうな顔をした。

「あのこれ、音魔法じゃないので……。音を遮断しちゃうので、私たちの音が漏れないのと同時に、まわりの音も聞こえなくなっちゃうんですけど」

「なに……?」

 ヨエルが目を丸くした。


 どうも彼は、音魔法と同じ効果があると勘違いしていたようだ。

 一般的に音魔法の『遮音』は、対象の音のみを漏らさないようにして、他の音は聞こえるのだ。

『その音だけ操作する』という考え方だからだ。

 なので空気振動を使った壁のような物理的遮音とは思わなかったようだ。

 始めは分からせるために、ワザとまわりの音も消したと思っていたらしい。

 

「そりゃあ、なんとも……使い勝手が良いのか悪いのか……」

 まわりの音が聞こえないと、気配がわからない。こういう時それは困るのだ。

 そう言われてもなあ……。

 逆に『音魔法』って何? 

 なんで固有の音だけ操作出来るの? って、こっちが訊きたいくらいなんだが。


「じゃあおれが合図するまで少し遮音を解いてくれるか」

 言われて遮音を解くと、急にあたりが音を取り戻してきた。


 さわさわと葉が擦れる音、ひゅうぅぅと茎の間を風が通り抜ける音、“キリキリキリ……”といったゼンマイを巻くようなささやかな虫の声……。

 全てが朧げだが無音ではない。

 あたりに目を配りながら耳を澄ます。索敵用の探知も円形に広げている。

 

 異常なしと判断したのか、触手を引っ込めるとヨエルが片手を上げて合図してきた。

 また遮音をかけようとして、ふと俺は耳をそばだてた。

 微かに何か、生木を踏むような柔らかい軋み音がする。

 それは俺達の後ろ斜めのほうから聞こえてきた。


「ヨエルさん、何かがやって来る音がします」

 俺は遮音をかけ直してから、そちらの方向に指さした。

 魔物だろうか。

「なに? おれには何も聞こえなかったが」

 ちょっと眉をしかめながらも触手を向けたが、彼にはわからなかったようだ。


 実はこの時、レッカは俺達から斜めに離れ始めていた。俺達も真っ直ぐ移動したつもりで、実際はやや曲がっていたし、彼も方向を少し見誤っていたのだ。

 おかげでヨエルが出した触手に、ギリギリのところで引っかからなかったのだ。


「虫しかいないようだが」

「そうですか。じゃあ気のせいですね」

 再び歩きながら、やっぱり頭のざわつきが消せなかった。

 前を行く彼の背中を見ながら、俺は自分の頭半分――耳から後ろだけ、空気の壁から出してみた。

 これは頭に違和感を感じるので、あまりやりたくない方法だったが短時間ならいいだろう。


 ………………………………*………… 

 …………………………

 ………*……………*…………

 …………………………………**……

 ………………………………ぅ……………

 ………………っ、ぅっ……ぅぅ…………


 以前、予知夢で聞いたことのある泣き女バンシーに似た声――――


「ヨエルさんっ! やっぱり誰かいますっ」

 振り返った彼は、さっきより長く鋭い触手を出した。

 遠くを見るように細めていた青い目が大きく見開く。

「いたぞ!」


 レッカは緑色の茎の下でしゃがみ込んでいた。

 完全に蒼也たちを見失った彼は、ここまで張りつめていた気力をとうとう無くしてしまったのだ。

 せっかく目の前にあった最大の希望が消えてしまった。

 

 隠蔽も気力と共に引っ込んでしまった。元よりこんな精神状態では使えない。

 もう帰れないかもしれない……。

 そう思うと嗚咽が止まらなくなっていた。


 と、またあの異臭が漂ってきた。

 慌てて口と鼻を押さえながら、隠蔽をかけようとしたが、上手くいかない。

 気持ちが乱れている。

 自分の心臓の鼓動が聞こえる気がする。


 どこだ、どこにいる?!

 そっと頭を左右に動かしたが、緑の柱以外何もまわりに見えない。

 あたりには先程と変わらずに、穏やかな木漏れ日を演出するように、風の囁く音やのどかな虫の声がする。

 だが、異臭は更に強くなってきた。


 と、地面から“ドッ ドゴ、ゴゴ、ゴゴゴ……”と地鳴りに似た音が足に伝わってきた。

 思わず足元を見た。


 根元を包む青緑の草々に、黒い水のような土が滲むように出ていた。

 それはみるみる足元の草を覆い、黒い湧き水のように広がっていった。


 あ……ぁぁ…あぁ……;;;;;;;;            

 思わず声が漏れてしまった。

 体が否応なしに小刻みに震え始める。

 なのに指一本自分の意思で動かせない。

 唯一動かせる目だけで、ゆっくり立ち上がる闇の姿を追った。


 それは黒く長いローブが、ひとりでに起き上がってきたかのようにも見えた。

 カビに似た腐臭を吐くその悪魔の泥は、明らかにレッカを見据えている。

 ほぼ隠蔽能力しか持たない彼ではあるが、隠蔽力となる闇のスキルが、間近に塞がってくるその悪魔の真の姿を感じ取った。


 ドロドロと重低音を鳴らしながら、絶えず表面の土が蠢く分厚い黒のカーテン。

 ただの泥ではない証拠に、パルスのように走り回るエナジーが内部に視えた。

 あちこちに跳ねるように動きまわり、光り、交差し、明滅する、ダンジョンの煌めくエネルギーの一部。

 ハンターは動く罠であり、ダンジョンという魔物の体の白血球攻撃システム、疑似生命体でもあった。

 

 ダンジョンで心挫けた者は呑まれてしまう――

 

 ……こいつは僕をこのまま喰うのか、それとも『拷問部屋』のにえにする気か。

 どのちみち、もう生きて地上には帰れない……!


 ブァアアッと、巨大な蛸がその触手を広げて獲物を包みこむように、捕食者プレデターが大きく体を開いた。

 レッカは思わず目を閉じた。


 ヴォンッッ!!

 鈍い音とともにビッビッと、臭い泥がレッカの顔や体に飛び散ってきた。

 同時に――

「レッカさんっ!」

 え…… 恐る恐る目を開けた。


 目の前の黒い泥壁が、中途半端に触手を広げたまま静止している。

 そしてその土手っ腹どてっぱらにはポッカリと穴が開いていた。その穴越しに葉を掻き分けてやってくる2人の姿が見えた。

「―― は、あぁあぁぁぁ~~~……」

 レッカの全身から力が抜けてその場に座り込むと、土塊も一緒にボロボロと崩れ落ちた。


「大丈夫ですかっ」

 大丈夫なわけないのだが、咄嗟に定番の声かけしか思いつかなかった。

 太い緑の茎にもたれ掛かりながら、震えている男に駆け寄った。

 師匠は後からゆっくりと、辺りを警戒しながらやって来る。


 レッカは何故か植物の薄皮らしき物をあちこちにくっつけていて、シャツも青い染みだらけになっていた。

 何かの植物に襲われたのだろうか。

 とにかく怪我がないか解析してみる。


「……ァ、ぁりがと、ありがとぉ……」

 レッカは俺の腕を掴みながら、まだベソをかいていた。

 兄妹してよく泣くなあ、とつい思ってしまったが、同じ目に遭ったら俺も絶対ボロ泣き間違いなしだった。

 後であらためて彼から、この時の状況を聞いてそう思った。


「ハンターが1体とは限らない。さっさとここから出るぞ」

 ヨエルはまだ右手にスリングショットを握ったままだ。

 先程の攻撃はこのスリングショットではなく、結局彼の空気弾でハンターを撃ち倒した。

 ヘタに鉄弾を使っていたら、レッカに当たっていたかもしれなかったからだ。


 始めから空気弾で済むならそれでいいのだが、これは魔法耐性のあるハンターに使うのはけっこう力がいる。

 ハンターには物理攻撃が一番だったからだ。

 それは後で俺も思い知った。


 レッカは視たところ、精神疲弊と疲労以外は擦り傷くらいだった。

 俺はペットボトルの水を渡しながら、レッカに伝えた。

「グレーテル、じゃなくて妹さん、保護しましたよ。仲間のドワーフさんたちと一緒です」

「えっ、パネラ達、来てくれたんだ。アメリも……良かった。ホントに良かった……」

 またクタクタと脱力した。


「歩けます? なんなら負ぶっていけますけど」

 レッカは俺と同じくらいの身長だし、どちらかというと細い方だから、身体強化すれば全然軽いだろう。

「いえ……大丈夫です。落ち着きました。……ありがとう」

 水を飲んでだいぶ落ち着いた彼は、顔から泥を拭うと立ち上がった。


 とにかくこの密集地から出なくては。



 **************



「警吏さ~ん」

 声に振り返ると、さっき別れたばかりの花粉採りの1人が走って来るところだった。少し離れたところで残りの2人がこちらを見ている。


「どうした、何かあったか」

「いえ、さっきの手配書、もう一度見せてもらえます?」

 ギュンターが腰のポーチから、また丸めた紙を取り出した。

「なんだ、何か思い出したのか?」

 ユーリも小柄な花粉採りの反応を注視した。


 一番小さいこいつは確か、ルイーズとかいう女だった。

 さっきはあんなにおれ達を警戒して、本物の警吏とわかった後も積極的じゃなかった。

 それにマスクのせいか、妙に声がくぐもって聞こえる。


 そのルイーズはペストマスクの眼鏡越しに、じーっと手配書を見ていたが

「すいません、やっぱりあたしの勘違いのようでした。ちょっと1層で見た人に似てるかなと思ったんですけど、やっぱり違うようです」

 そう言って手配書を返してきた。


「……待てメリッサ」

 ユーリが立ち去りかけた、その小柄な背中に声をかけた。

 花粉採りが立ち止まる。

 一呼吸おいて振り返ると


「警吏さん、あたしの名前はルイーズですが。まあ覚えちゃいないでしょうけど……」

 ルイーズはため息をつくように小首を傾げた。

「いや、こりゃ失礼した、すまなかった。

 まあ、気をつけて帰ってくれよ。ここは物騒だからな」

 わかりましたと、ルイーズは軽く頭を下げて、仲間の元へ戻って行った。


「おい、今のワザとだろ?」 

 離れていく花粉採り達を見て、ギュンターが相棒に言った。

「ああ、バレたか。ちょっとわざとらしかったかな? 

 本当はまた手を掴ませてもらおうかと思ったが、何度もやると越権行為だの威圧的だのって、言われかねないだろ? 

 だからカマかけてみた」

 ユーリも悪びれることなく、軽く肩をすくめてみせる。


「カマって、怪しいとでも思ったのか? さっき確認しただろ」

「そうなんだが、なんかさっきと何か違うっつーか。匂いも変わらないし、どこがって言われると説明できないが、強いて言うなら、勘ってやつ?」

「なんだよ、それはただの勘だけじゃないのか。

 大体、メリッサって誰だよ? お前のカミさんか?」


「ちげーよっ! 総務の重鎮のオバちゃんだよ。

 いるだろ、一番奥でいつも睨み利かしてるおっかないのが」

「ああ、あの婆さまか。って、よりによって署内一の高齢者を選ぶとは……」

「当たり前だろ。迂闊に若い女の名前なんか使ってみろっ。

 万が一カミさんに聞かれでもしたら、言い訳が大変じゃねぇかよ。

 だからこういう時は、メリッサ婆さんの名を借りる事にしてるんだ」


「はぁ~、お前、ほんとに苦労してるんだなあ……」

 ギュンターはあらためて恐妻家の相棒の気苦労を知った。

「家庭を平和に保つ努力と言ってくれ」

 しかしその平和も、明日の代休にかかっているのだが。


「とにかく急ごう。さっき聞いた3人組も念のため確認しなくちゃなんねぇし」

 相棒が踵を返すのを見て、ギュンターが花粉採り達の消えた方向にチラリと目をやりながら

「しかしお前も考えすぎだな。本当に怪しい奴だったら、わざわざおれ達に近寄ってなんか来ないだろうに」

「まあ、そうだな。もしもそんなナメた真似しやがったら、引っ立てる前に只じゃおかねぇっ」

 ユーリが片手で拳を作って見せた。


 だが、そんなナメた輩が実際にいたのだ。

 2人と合流したルイーズは、そのまま隣の区画まで移動した。

 そうして辺りを確認すると、フードを取り、ペストマスクを外した。

 その顔は先ほどのルイーズとは全くの別人、しかも男だった。


 小柄な男は素早く身につけていたケープや手袋、作業服やブーツも脱ぎ捨てた。

 そして茂みに隠しておいた、自前の装備を手早く付け直す。

  

 ふうっ…… ちょっと冒険しすぎたか。

 呼び止められた時には、ちいとばかし胆が冷えたぜ。

 姉御の名じゃねえから、うっかり普通に返事しちまうとこだった。

 身分証を見といて良かったぜ。

 おいらの匂いも消してるはずなのに、何か気づきやがったかもしんねぇが……。 


 ……でも奴らにひと泡吹かせてやった。

 へへ、ざまあねぇってんだよ。

 とにかくこれでおいら達を探しに来てる事だけはハッキリしたな。

 こいつは一刻も早く、姉御たちに知らせにゃなあ。


 靴紐をしっかり結び直しながら、足元の茂みに顔を向けた。

 その茂みから裸足の足先が見えている。

 そしてそのすぐそばには、あの肉食植物『ディセオ』が大きな花を開き、太い根を広げていた。

 それはその茂みの中に横たわっている、ルイーズだった肉にすでに強く絡み付いている。

 

 根っこの上に乗せといてやりはしたが、植物のくせに素早いもんだ。


 と、彼の後ろに突っ立っていた残りの2人の花粉採りが、茂みの中にガサガサと分け入るように体を沈ませていった。

 すると、彼らが横たわった茂みから、黒い煙のような闇が立ち上り宙に消えた。

 傀儡が解けた花粉採りの体は、またただのむくろになった。  


 ルイーズさんだっけ、恨みなさんなよ。

 あそこであんた達が警吏に出くわしたのが運の尽きだったんだ。

 せめてこうして家族全員、一緒に死ねた事だけでも運が良かったと思ってくれや。 

 こうしてこのダンジョンでまた、家族仲良く花に生まれ変われるんだから。


 整え終わった影は、緑の森に染み込むように霞んで見えなくなった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 次回は『 hunter vs ハンター』予定です。

 どうかよろしくお願いしますです。

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