第64話 盗賊に狙われる


 人生に人から突然刃物を向けられるというシーンに、何回遭遇する事があるのだろうか。

 しかもバタフライナイフどころじゃなく、段平だんびらと呼べそうな幅広で、アリババの盗賊が持っていそうな、刃が湾曲した半月刀だ。

 現代の日本ではまずあり得ない状況だ。


 そんな切羽詰まった時に、俺はそんな事を考えてしまった。

 余裕があるからでない。

 その逆に頭の整理がつかず、思考が逃避に走っているのである。


 時は数時間前に遡る。

 

 馬車は順調に進み、もうすっかりギーレンは見えなくなった。

 草原に一本通る道を山に向かっている。

 右手の地平線に緑色のラインのように森が見える。遥か左手には山々、その手前にどうやら村らしい壁に囲まれた家々の屋根が見えた。


「御者さん、この馬車は失礼だが、見た目よりしっかりしてるんだね。こんなに揺れないなんて驚きだよ」

 背負子しょいこの男が、馬の手綱を持っている男に声をかけた。

「へぇ、実はあっしも驚いてるんで。いつもはこんな静かじゃないんでやすが……。

 詰まってた車輪の泥を取ったせいすかねぇ?」


 そういえばもう10分くらい走ってるけど、ほとんど揺れないな。

 電車ぐらいの揺れのようだ。

 わだちがあまりないのだろうか。


『(そんな訳ないだろ)』

 ヴァリアスの声が頭に響いた。

『(お前が酔わないように土魔法をかけたんだ。車輪が当たる瞬間、土がならされてくようにな。

 あと、車輪にも緩衝材をかませてある。隠蔽してあるけどな)』

 へへぇー、いつも手回しご苦労様です。

 いつ揺れて、振り落とされそうになるのか、少し緊張してたけどそれなら大丈夫か。

 俺は掴んでいた荷台の縁から手を離した。


「この馬車はカカル村まで行くそうだけど、御者さんはそこの人で?」

 背負子の男がまた御者に声を掛けた。

「へぇ、生まれも育ちもカカルでさぁ。そこで主に甘草を作っておりやす。今日はお得意さんに、甘草と麦を納めに行った帰りなんで」


 やっぱり農夫の人だったか。背負子の人は商人かな。

 長めのベストを着て、その下の幅広の腹帯に短刀を差し込んでいる。商人でも旅をする時は、守り刀ぐらいは持つのは当たり前なようだ。


 もう1人はどことなく、ネズミみたいな印象のあるギョロ目の男。

 大きな袋を持ってるけどやっぱり商人なのかな。

 なんか目が大きいだけじゃなく、ジロジロと人の事を、観察するように見てくるのが気味悪いんだが。


「甘草って砂糖代わりになるんだっけ?」

 俺は隣で片膝を立てて、ぞんざいに座っている奴に訊いてみた。

「砂糖や蜂蜜ほどじゃないけどな。そうだ、ちょっと味見してみるか?」

 そう言うと床の上に散らばった枯草の中から、一本の薄緑色の茎を拾った。残っている枝に小さな蕾のような粒粒がついている。


「この粒を食べてみろ」

「えっ、これそこに落ちてたやつだよね。さっき踏んでなかった? ばっちくない?」

 いいから気にするなっと言われて

 しぶしぶ噛んでみると、ほんの微かにぼんやりとした甘みを感じた。

 が、砂糖の粒には到底かなわない。


「焙煎するともう少し甘みが増すんだ。それを精製して粉にする。庶民が買える甘味料の代表だな」

「ふーん、今度そういう甘味料とかこちらの調味料系も調べてみたいな」

 次の町についたら、食材を売ってる店を探してみるか。


 だんだんと道の両側に木立が目立ってきた。

 山道に入ったようだ。

 今日は昨日と変わって雲もほとんどなく、柔らかい陽射しが降り注いでいる。

 奴のおかげで揺れもほとんどないし、馬の後ろ姿を見ながら、荷馬車に乗って揺られていくのも結構いいかもしれない。

 はじめは景色をぼんやり眺めていたのだが、あまり変化のない道と、電車にも似た穏やかな揺れに、いつの間にかウトウトしてしまったようだ。


 ゴトンと馬車が停まったので目が覚めた。

 辺りを見回すと先程と特に変わった事のない、樹々がまわりを囲む山道だった。

 なんでこんなとこで停まったんだ?


「ほらっ 大丈夫だから、行けっ、動けや」

 農夫が馬に叱咤している。

 が、馬はブルルル、ブルルと口を震わす音を出すだけで首を振るばかりだ。

「どうしたんですか?」

 俺は農夫に訊いてみた。


「すんません、どうもブッシュジャッカルがうろついているようで、馬が怯えちまって。

 なに、道にゃあ出てきゃあしやせんがね」

「えっ ジャッカル ?!」

「蒼也、ちゃんと索敵してみろ」

 言われてあたりをうかがう。


 すると3匹、樹々の中に犬のような動物を感知した。

 フォレストウルフより小柄で、耳が少し大きめな犬のような姿。

 そいつらが樹の陰からウロウロと、こちらの様子を伺いながら、行ったり来たりしている。


「ここら辺はジャッカルの縄張りなんでさぁ。この魔除けから入って来ることはないんすが、臭いで馬がびびっちまって。

 ほらっ ベル、大丈夫だから動きなんさっ」

 そう言われても馬は、左斜め前方の木立からこちらを見つめるジャッカルの殺気に怯えて、進むどころか後ろに下がろうとする。

 農夫は荷馬車を降りて馬を引っ張ろうとした。


「蒼也、お前ちょっとジャッカルどもを追っ払ってこい」

「……やっぱり言われると思ったよ」

 ここから離れて欲しいから、ちょっと派手にやるか。

 俺はこちらの方を見ているジャッカル達の目の前に突然、土魔法で巨大な口を開けたジョーズの頭を出現させた。

 

 地面から急に出てきたと見えただろう。

 ジャッカル達はビクンと一瞬固まると、3匹ともギャン、ギャウンと鳴きながら奥に逃げていった。

 土ジョーズを元に戻しながら、風を吹かせてジャッカルの匂いを追いはらう。

 動物は自分より大きい口を怖がるというのは本当のようだ。

 昔見た映画『ジョーズ』のワンシーンが役に立った。

 ついでにいつも見ている奴の歯も。


「いんや、ビックらこいたっ。今のお客さんがやったんですかい? エラいこった!」

 農夫が驚きの声を上げた。

「ワタシもですよ、あんな大魔法見た事ない」と背負子さん。

「おれもでさぁ」とギョロ目さん。

 そうなの? あれ大魔法なのか?


「そんな大した魔法じゃないぞ。魔法使いを名乗る奴なら、あれくらい出来て当然だ」

 奴が当たり前のように言った。

「ああそうなんですか。いえ、普段ワタシは土魔法は、壁大工の壁作りしか見た事ないもので……。

 あとは大道芸人の火演舞くらいですかね」

「あっしは生活魔法しか見た事ないっすね」

 

 聞くところによる魔法が普通の世界といえども、一般庶民はこういう戦闘系の魔法とは、あまり縁がないらしい。

 生活魔法と言われるように、一般の生活に足る程度の魔法しか使わないからだ。


「お兄さんは魔法使いメイジの方で?」

 再び動き出した馬車に座り直した俺に、背負子の商人風の男が訊いてきた。

「ええ、まだ駆け出しのハンターですけど」

 みんながほぼ魔法を使える世界で、魔法使いメイジを名乗るのはオカシイ気もするが、これには基準があるらしい。

 先程のような、戦闘に使えるほどの威力を出せる能力者を、魔法使いと言うらしく、生活に役立つ程度の能力では、いくら使える種類があろうとも魔法使いとは言わないそうだ。


 走る事が出来ても、全ての人をランナーと呼ばないように。

 また魔法の種類によって呼ばれ方が違う。

 いわゆる神聖魔法や回復・治癒魔法が使えるのはアコライト(神の奉仕者)、

 隠蔽や幻視魔法はアサシンとかなどだ。


「ハンターの方、ではそちらの方も?」

 と、背負子さんがヴァリアスの方を見る。

「彼は……傭兵です」

「おお、ハンターの方と傭兵の方がいらっしゃるとは、とても心強いです。

 実を言うとワタシ、ちょっとこちらに乗るか迷ってたんです。

 申し遅れましたがワタシ、トランドで小さな食堂やってます」


 ヨーンと名乗った食堂の親父さんは、ギーレンに調味料などを月に1,2度買いに来るらしい。昨日来て今日の第2便に乗るつもりが、つい野暮用で乗り遅れてしまったそうだ。


「この臨時便がなかったら、今日も泊まらなくてはいけないところでしたよ」

 と、農夫に対するおべっかも忘れない。

「私はご覧の通りよそ者なのでわからないのですが、トランドの町では調味料は手に入りにくいんですか?」

 胡椒や砂糖以外の調味料は、一般的だと思ったのだが。


「一般的なものは手に入りますが、ちょっと風味の良い胡椒もどきの焙煎ハーブとか、小洒落たピンクソルトなどはギーレン辺りまで出ないと手に入らないんですよ。

 ここら辺じゃギーレンが一番大きな町ですからね。

 それに娯楽場もうちに比べてたくさんありますから、それも楽しみで」

 ウフフとどこか嬉しそうに笑った。


 コックさんなのかな。ぽってりした体型が、なんだか美味そうなものを作りそうな感じがする。

 その反対に、頬がコケてるのに、目ばかりギョロギョロしている向かいのネズミ男の、前方に顔を向けながらも、時々こちらを伺う気配が妙に気に障る。


『(蒼也、索敵してろよ)』

 奴が思念を送ってきた。

 もう、のんびり旅気分にもさせてくれないのかよ。

 でも確かにさっきから時々、視界ならぬ検知範囲にチラチラ感じる、2,3の影がちょっと気にかかる。

 魔力耐性でもあるのか、ぼやけてはっきりしないのが少し不気味だ。

 前みたいに護符つけたオークとか、ゴブリンとか、元人間だった魔物とかだったら嫌だなぁ。

 頭上を時々、カラスのような黒い鳥が舞っている。


「今日は車輪の調子がいいでやす。これなら結構早く着けるかもしれんですよ」

 箱馬車とワゴネットが、それぞれ一回だけ向こうからやってきてすれ違っていった。

 今度こそあれに乗ってやる。


 それからしばらく走ると木立が開け、道幅が広がった。

 先に道が2本に分かれていて道標がある。

 左が『←プーケ』右が『トランド→』。

 左の道はゆっくり下り坂になっている。

 馬車が右にゆっくり幅寄せして止まった。


「すいやせん、ちょっくら馬を休ませやすんで。お客さん達も休んでつかあさい」

 そういうと農夫は、荷馬車から小樽を1つ引きずり下ろした。

 馬の前に持っていくと蓋を開ける。中には水が入っていた。

 時計を見ると11時49分。

 馬が美味しそうに水を飲むのを見ながら、俺達も昼にする事にした。

 俺がバッグに入っていたように弁当を取り出そうとすると、奴がこれ見よがしに、空中からビールの入った木製ジョッキを取り出した。


「ほぉー、傭兵さんは空間収納持ちなんですか。なるほど、だからそんなに荷物が少ないんですね」

 ヨーンさんは感心したように言う。

「まぁな」

 それから俺にテレパシーで

『(オレが取り出すから、お前はオレの前に空間収納を開けろ。お前も空間収納者だと悟られるな)』

『(だけどバッグから出せば誤魔化せるだろ?)』

『(よく見てみろ。そんな平べったくなった鞄に、物が入っているように見えるか)』

 あ……座ってるんでつい、手をついてペタンコにしていた。

 仕方ないので言われたとおり、奴の右手の前に少し波打つ空間を出現させる。


「ほら」

 水の入ったペットボトルとミートパイを出してきた。

「俺、中華丼がいいんだけど」

「あー、どれだ? お前自分で探せ」

 結局俺が出すのかよ。


「いやぁ、ワタシ空間収納は初めて見ましたよ。

 持ってらっしゃる方って、ほとんど人前で見せないでしょう?

 ギルド登録者には何人かいるみたいなんですが、皆さん大っぴらには見せませんしね」

 目の前の歪んだ空間から物が出てくるのを、興味深げに見ているヨーンさん。

 ふとギョロ目男と目が合うと、すぐに視線を逸らした。


 ヨーンさんは、藤カゴのようなバスケットから、彩りよくサラダ菜やベーコンと卵を挟んだコッペパンサンドを取り出した。

 なんか美味しそう。

 ギョロ目男もビーフジャーキーのような物を食べている。


 せっかく出したから一口ミートパイを食べてみよう。

 胡椒の代わりに、炒ったハーブや岩塩で味付けした挽肉が、ちょっとクセがあるものの、肉汁がパイ生地に染み込んでいて結構美味い。

 胡椒を利かせればインパクトがあって、もっと旨くなるんだろうけど、庶民には手が出ないぐらい高いらしい。

 胡椒の重要性がなんとなくわかる気がする。


 30分ほどしてまた馬車は動き出した。

 そういえばさっきからチラチラ感じる例の影は、依然として馬車と同じ方向に動いている。

 もしかしてつけて来てる?

 上を見上げるとまた黒い鳥が飛んでいるのが見えた。


「それにしても、この荷馬車大したもんだね、こんなに揺れないなんて」

 ギョロ目の男がのっそり立ち上がって、馬を覗き込むように農夫に声をかける。

「へぇ、あっしもこんなの初めてで。今日はお客さんもこんなに乗せられたし、

 良い日でやすよ」

 普通に嬉しそうに農夫の男が横顔を見せた。


「そうかい、じゃあ死ぬにも良い日にしとけやぁ!」

 そう言うやギョロ目男が、いきなり馬の顔に向かって団子のようなものを投げつけた。

 バシュッとそれは馬の横顔に当たると、粉々に砕けて飛散した。

「エッ!?」

 農夫がビックリして手綱を引く。


 馬は飛散した粉のせいで、しきりにクシャミを連発したが、

 するうち頭を揺らしながら腰砕けになると、そのまま倒れてしまった。

「ベル、大丈夫かぁ?! ベルッ」

 農夫が慌てて飛び降りて、倒れた馬の胸を締めつけているハーネスを外す。

 しきりに馬を心配しているようだが、こっちはそれどころではない。

 ギョロ目男が持っていた袋から、するりと幅広の半月刀を取り出したからだ。


「ヴァリア……あれっ?!」

 振り返ると奴はすでに隣におらず、いつの間にか馬車から下りて、こちらに背を向けていた。

 奴が見ている後方の樹々の間から、枝を踏む音と共に3人の男が馬に乗って現れた。


 そのうちの1人、下唇の捻じれた大男の顔に、俺は見覚えがあった。

 タブロイド紙の指名手配にあった、6人のうちの1人、強盗殺人容疑の男だ。

「やっと姿を現したか。目障りだから、こちらから行こうかと思ってたとこだ」

 ずっとついて来た影はこいつらだった。

 そしてこのギョロ目男はこいつらの仲間、斥候に違いない。


「ヴァリアス、そっちより先にこっち―――」

「そっちはお前に任す」

 振り向かずに奴が言った。

 えっ! 相手はオークどころか人間だぞっ。

 俺はあんたみたいに金縛りバインドなんて出来ないし、ましてや相手は護符を付けてる。

 土魔法で閉じ込めるなんてことも出来ないぞ。

 刀を持ってる相手に関節技でもやれってのか ?! (合気道で習ったのは小型ナイフが想定だった)


「ひ、ひぃ~っ!」

 食堂の親父さんがおののきながら、俺の脚にすがりついて来た。

 ちょっと申し訳ないが、邪魔です!


「魔法使いの兄ちゃんよぉ、あんたもいい服着てるなぁ。さぞかし金も持ってるんだろう?」

 ギョロ目が半月刀の刃をひらひらさせながら言った。

 だから新品の服は目をつけられやすいから嫌だったんだよっ。

 

 という訳で、いま俺はこのような状況になっている。

 全力でやっちゃマズいけど、やらないと未熟な技じゃこっちが危ない。

 頼むから俺を人殺しにさせないでくれよぉ。

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