第68話 フィラーの慈悲深き魔女たち その1(水の魔女)
この『フィラーの慈悲深き魔女たち』68~70話分、ですが
ここからの3話『絶望による自死』という、
今までとは打って変わっての暗く重い話になります。
また、『違う世界での死生観の違い』というテーマでもありますが
ご気分を害されそうな方は、どうか飛ばしてください。
第71話『祈る殺し屋 その1』の冒頭に、
簡単なあらすじを用意してありますので、
どうかご了承のほどよろしくお願いいたします。
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「ルカーとアルメアン行きが出るよー。もう乗らないかぁーい、ルカーとアルメアーン」
ガラン ガラン とハンドベルを振る男が大声を上げて、桟橋のまわりの人達を呼ばわった。
俺達は船の真ん中あたりに座って、船が出るのを待っていた。
ヨーンさんの店に泊まった次の日、今度こそは3度目の正直で、モーリヤ行きの箱馬車に無事乗る事が出来た。
ヨーンさんは夜、タルタルソースを作る練習といつもの仕込みをしていたらしく、早朝 目の下に隈を作りながらソースの試食をせがんできた。
買い置きの材料のみで作ったわりに、結構しっかりしたタルタルになっていたのは、さすが料理人というとこか。
これなら店も繁盛するかもしれない。
またトランドに来た時はぜひ寄ってくれと、朝飯用にサンドイッチとホップバードのフライドチキンの入ったバスケットをくれた。
朝が早いので後で食べる事にしたからである。
開門と同時にモーリヤに向けて出発した箱馬車は、向かい合わせの12人の客と、御者と助手兼護衛の14人乗り。
太くて逞しい脚をした、馬車引き馬2頭立ての引く馬車の前後には、道産子よりは脚の細い馬に乗った武装した護衛が2人。
今回はヴァリアスが馬車をいじってないとかで、轍(わだち)や小石に乗り上げたりすると、揺れることはしたが、まぁ普通、車で山道を通ればこんなものかといったぐらいだ。
乗客は服装からして小金持ちらしく、柄入りの小綺麗な服に革靴で、誰も木靴や布巻き靴を履いている者はいない。
よく金持ちかどうかは足元でわかると言うが、俺だけ革でも木製でもない、ゴムと防水布で出来た登山靴。
さすがに珍しかったらしく、馬車に乗り込むとき助手に靴をガン見された。
「失礼ですが異国の方ですか?」
向かい席の、品の良さそうな老紳士が声を掛けてきた。
頭にちょこんと羽帽子をのせた、隣の老婦人と一緒に旅行中だという。
「ラーケルまでですとライン川とジャール川を渡らなければなりませんな。
でしたらいちいち乗り継がないで、船で一気にジャールまで渡ったほうが早いですな」
旅慣れた老人は、ここら辺も何度か着た事があるという。
「横断じゃなくて船だけでいけるんですか?」
ライン川とジャール川は、平行に沿って流れている大きな川で、ラーケル村はそのジャール川を渡った先にある。
本来はモーリヤからライン川を横断して、そこからまたジャール川に行くつもりだったのだが、一気に行けるなら都合がいい。
「2つの大川の間に、フィラーという渓谷が繋ぐようにあるんですよ。モーリヤからジャールまでそこを通っていく船便がありますよ」
「それは良い事聞きました。助かります」
「フォッフォッ、あなた、若いからきっと楽しめますよ。あそこは男にとって夢の場所です。わしも若い頃は何度か通ったものです」
「あなたっ、またそんな事言って!」
隣の老婦人が、紳士を睨みつけながら腕を叩いた。
「いやもう、わしはこの通りもう年で相手されんよ。今はお前だけだよ、メイリア」
紳士が奥さんのご機嫌取りに戻ったので、俺はヴァリアスに訊いてみた。
「あとで教えてやるよ」
昔浮気されたことを思い出したと、むくれてそっぽを向いている婦人をチラリと見ながら奴が言った。
モーリヤの町からすぐ先に川があり、桟橋には色々な船が停まっていた。
その中にそのジャール川のほとり、アルメアンの町まで行く船があった。
アルメアンはラーケル村から山1つ手前の町だ。
船は真ん中の通路を挟んで、左右に席が2つずつ、8列の32人乗りで、天井に分厚い帆布を掛けた簡単な遊覧船といった感じ。
俺達が桟橋に行った時、すでに船は半分ほど客を乗せていた。
この船は2つの川をH型によぎって、一番直近でアルメアンに行くらしい。
他の船はW型にフィラーとは違う経由で、同じくアルメアンに行く船だ。
ふと気がつくと他の船には女子供が乗っているのに、何故かこちらの船には、今のところ男しかいない。
さっき馬車で聞いた老紳士の話も気にかかる。
「フィラー渓谷にセイレーンが出るからだ」
船出まであと四半刻(30分)あるというので、俺達は船上で遅い朝食を取りながらさっきの話をした。
「セイレーンってあの美女の姿した水の魔物? 地球と同じように船乗りを誘惑して溺れさせるとかするのか?」
「まぁ 大まかに言えばそうだ」
「それじゃ危険じゃないか。そりゃ綺麗な女は見たいけど、命がけじゃ……」
「ちゃんと対策はしてあるぞ。まず水に落ちなければ良いんだから」
と、席に付けられたシートベルトをヒラヒラさせた。
「しかし船でこんなの付けて万一転覆したら、それこそ溺れ死にじゃないか」
ベルトが外れなかったらと思うとゾッとする。
「めったに転覆なんかしないぞ。船頭達は必ず水魔法の使い手だからな」
奴が船べりで呼び込みをしている、船頭たちに向かって顎をしゃくった。
「ここで正式に船頭を出来るのは、水産ギルドでDランク以上の者だ。水を操って急流を遡る事もできる。
逆にそれくらい出来ないと自分自身の身が危ないからな」
ふーん、皆それぞれに能力を仕事に生かしてるんだなぁ。
俺って何が一番得意なんだろう。
「それにセイレーン達の目的は、男をただ溺死させたいからじゃない。
性交するためだ」
「むっ、何っ ?!!」
サンドイッチが詰まりかけた。
「アイツら、オークの逆で女しかいない。だから繁殖のために人間の男を誘うんだ。
幻でそれぞれの最高の女に見せてな」
「おお、それはちょっとというか、かなり気持ちが揺らぐな」
確かに自分の一番の好みの女が、エッチ目的で近づいて来たら、理性が保てるかわからんし、一度は見るだけでも、見てみたいと思うのではないだろうか。
いや、ぜひ会いたいだろ。
「だけどなんか危険はないのか? その、何か毒があるとか……」
そういう美味い話には絶対、何かあるだろ。
「性交が終わったら栄養の為に男を喰うんだ。妊娠したら巣で動かなくなるからな」
「えー やっぱりカマキリと一緒かよ。夢の代償はキツ過ぎるなぁ」
「ただアイツらは力が弱いからな。獲物が逃げたり暴れないように、痛みを麻痺させるんだ。体液が強烈な魔薬で、神経や脳に強く作用する。
獲物は多幸感と陶酔感に包まれて、痛覚も快楽に変わる。
まさしく幸福の絶頂で喰われ死ぬことになるんだ」
「……それはどうなんだろ、男冥利に尽きる……のか?
でも喰われるのは嫌だしなぁ……」
もしかしてカマキリの雄どもは、そういうつもりで雌に体を捧げるのか?
自分のDNAを繋ぐため、自分の体を栄養分にして。
「そういう性質上、観光地でもあるが、男の自殺の名所でもある」
「ああ、どこもそういうのは紙一重なんだな」
樹海もそうだし、以前会社の観光旅行で行った東尋坊もそうだった。
あちこちに自殺を思いとどまらせようとする看板が立っていた。
とても淋しい物悲しい光景だった。
だがここでは、最後に夢を見させてくれる、男にとって最後の夢舞台となるようだ。
「あっ、だったらリブリース様、もしかしてここの御常連なんじゃないのか? 相手が魔物でも良ければだけど。
毒なんか屁でもないんだろ」
「その通りなんだが、アイツの遺伝子の相性は最悪だからなぁ」
ヴァリアスがちょっと渋い顔して言った。
「セイレーンはオークと違って、あくまで繁殖のためだから相性が合わない奴には見向きもしないんだ。
アイツらそういうのを敏感に感じ取るから」
「そ、そうなんだ。そういう意味では動物、いや魔物として純粋(?)なんだな」
「まぁそれでも、リースのヤツはへこたれないで時々見に来てるぞ。他の川にもいるしな」
さすがリブリース様、鉄のメンタルだな。
俺なんか、美女たちにそっぽ向かれたら一発でへこむけどなあ。
そういう情報を聞いて、あらためて桟橋を眺めると、船の前をウロウロする男達が何人かいる。
船の行き先確認、料金と懐具合の兼ね合いを、考えている者もいるかもしれないが、俺には見てみたいけど怖い気もするといった、思案に暮れているようにも見えた。
「さぁ、さぁ、船が出るよー。お客さん達、席にちゃんと座って、ベルトをしっかり締めてくださいねー」
頭に魔除けの護符が書かれた布を、バンダナのようにつけた船頭が、桟橋に繋がれていた船のロープを解き始めた。
「すいませーん、乗りまーす、乗りますーっ」
俺のように荷物がショルダーバッグだけの中年の男が桟橋を走ってきた。
それを見たヴァリアスが、微かにチッと舌打ちするのが聞こえた。
なに、またなんか盗賊絡みとかあるのか?
変に勘ぐってしまう。
男はおたおたしながらコインを船頭に渡すと、俺達の右斜め2つ前に座った。
念のため持ち物を探ってみたが、剣はおろか武器らしいものは、小さなナイフしか持っていなかった。
それより気になるのは男のオーラだ。
弱々しくあまり体から出ていないオーラは、濃い灰色や黒色だった。
どこか具合が悪いのかもしれない。
「じゃあ まずはルカーに向けて出っぱぁーつ」
船頭の男が長い槍を、棹のように使って桟橋を突くと、船がゆっくりと動き始めた。
船はまさしく滑る様に流れていく。
右手にはモーリヤの町の市壁が樹々の間から見える。
反対岸はまだはるか遠いが、手前に森が延々と緑のラインになって見えていた。
このままライン川を下って、フィラー渓谷手前のルカーの町で一度停まったあと、渓谷を通ってアルメアンに向かうのだ。
水面に吹く風が顔にあたって気持ちいい。
たまに水草や魚影がちらりと見える。水は澄んでキレイなのだが、今日はあいにくの曇り空、遥か遠くの空には、もっと真っ黒な重そうな雲が圧しかかっている。
あの辺りは今頃、強い雨が降っているのだと奴が言った。
そういえば前に、今日あたりラーケルで雨が降ると言っていたな。
あの黒い雲の方向にラーケルがあるのだろうか。
船頭は2人、前方と後方に1人づつ。
素人目にも川幅が広く、流れも穏やかなので、棹兼用の槍を水面につけながらも、どこかのんびりしている感じがする。
後ろの船頭も座って舵棒を握っているだけなように見える。
だが船は、流れに乗ってゆっくりどころか、それよりも明らかに早い速度でグングン進んでいく。
「これはモーターとかで進んでるわけじゃないのか。水魔法?」
「そうだ。行きは下りだから、推進力を増せばいいだけだから操縦が楽だ。
帰りは上りになるが、これも上手く操作すればそれほど力はいらない。帆船で向かい風に進むのと同じだ」
帆もないし、風と水でどう同じなのかわからないが、魔法的には同じような原理になるということか?
聞くと舵がどうも、帆と同じような役割を果たすらしい。
そこに加えて水魔法で、先端の水の抵抗を逸らしていくのだという。
もちろんそういう操作には、水や川の流れを読み取る能力も必要になるが。
一時間半くらい進んだころ、あともう少しでルカーに着くという辺りで、ところどころ川面から岩が突き出し始めた。
水流はそれほど強くないが、多くなってきた岩には要注意だ。
だが船は、その岩々を軽く避けながらスイスイと進んでいく。
そしてそれは突然視界に現れた。
それは川の真ん中より、やや左岸近くの岩上にいた。
深い緑色の長く緩くウエーブのかかった髪を、肩から胸に垂らして腹ばいに寝そべっていた。
船が近づくとすっと岩に両手をつき、上半身を上げてこちらを見た。
美しい女。
語彙力の乏しい俺の言葉の中で、その表現がたぶん一番しっくりくると思った。
以前博物館で見たエルフに感じた、パリコレスーパーモデルのような、近寄りがたい美しさでもなく、高級娼館№1コールガールの、絡めとるような妖しさでもない。
自然の1枚絵の一部にすっと溶け込んでいるのに、そっと存在を主張してくる妖艶な美。
そう、絵画に似ているのだ。
西洋絵画に描かれる乙女たちのような感じか。
まわりの情景からしてそう感じるのかもしれない。
ピシャンっと、水音がしてそこから2つ離れた岩にもう1人、水面から上がってきた。
同じく深緑の長い長い髪、少し儚げな表情をするのにどこか肉感的な肢体に……。
「!!? ―――エッ……裸なんだけど……」
最後のほうは思わず声が小さくなった。
「当たり前だ。魔物が服を着るか。元人間の意識があるオークやゴブリンが特別なだけだ」
さも当然のことのように言う。
「いや、そりゃ、そーだけど、ええっ ?!」
そりゃ人魚とか服着てないけど、あれは下半身が魚だから、まだ絵本にも出せるレベルであって、誤魔化しがきくが、彼女らは一切服を着ていない。
―――いや、なにか纏ってるな。
背中から何か、半透明の膜のようなモノが伸びていて、それが濡れた腰や足に巻き付くように貼りついている。
それがまた何も着ていないよりも色っぽいのだが、ギリギリ下卑たいやらしさにならず、どこか絵画のニンフを連想させるのだ。
というか、ギリギリ、髪やその膜が邪魔して肝心なところが見えない。
スゲーじれったいっ!
「お客さぁーん、奴らと絶対に目を合わせないでくださいねー」
船頭が大声で叫ぶ。
まわりの客は男ばかり、みんな身を乗り出してのガン見だ。
また水音が違うところからして、別の岩の近くに緑色の髪が水中に没した。
3人いるようだ。
船がその岩の前を、するすると通り抜けていくと、他の2人も水に入っていった。
後ろを見ると緑色の藻の塊のようなものが、イルカのようにすごい速さで、水面下をついてくるのが見えた。
その緑の中心辺りから斜め横に、透明な長いヒレのようなものが、羽のようにヒラヒラと動いている。
「あれって、ヒレがあるのか?」
「そうだ。腰から2枚、長ビレが生えている。それが水中で羽のように見えるから、
別名 『水の蝶』 と呼ばれたりしてる」
「あっち行けっ」
後ろにいた船頭が、槍で近づいて来た緑の蝶を突いた。
『ピャァーッ』とカン高い鳥のような悲鳴を上げて、セイレーンが身をひるがえしながら横に逃げていった。 みるみる船から離れていく。
「あー勿体ねぇなぁ」
誰かがぼやいた。
「大丈夫だろ、船頭達も脅すだけで本気で突いちゃいねぇよ」
また誰かが言った。
「あっ、しまった!」
俺はとっさにやり忘れていた事に気がついた。
「どうした?」
「今の写真撮るの忘れてた……」
ううっ また肝心な時に撮れなかった……。
「なんだ、それなら巣はこの先の渓谷だから、もっといっぱいいるぞ」
「あっ そうか! よし、今度は絶対動画で撮ろう」
この時俺は、気持ちが高揚していて、この観光地のもう1つの顔を忘れていたのだ。
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