第69話 フィラーの慈悲深き魔女たち その2(兆しの陰)
船は無事にルカーの町の船乗り場に着いた。
正確に言うとルカーの市壁から少し手前の川だ。
馬車でもそうだが、検問もとい税関を通らなくては町には入れないからだ。
ここで3分の1程の人が降りていった。
船はまた新たな客を乗せるのと休憩のため、約小一時間ほど停泊するらしい。
俺も座りっぱなしなので軽く伸びをするために船を降りた。
船頭達はちゃんと客の顔を覚えているので、料金の二重払いになる心配はない。
モーリヤを出たのが9時頃で、今は11時近くだ。ここからアルメアンまで順調に行けばおよそ一刻半(約3時間)で着くらしい。
馬車と船で乗り継いでいたら明日になるところだったろう。
この船に乗れて良かった。いいモノ見れたし(ニンマリ)
市壁と川は大体100メートルほど離れているだろうか。
ただ船乗り場があるので、辺りには船客目当てに露店や物売り達が集まって賑わっていた。
ヴァリアスの奴は、露店の前でエールを飲んでいる。
俺は川辺に立って軽くストレッチをした。
川沿いには青々した葉をいっぱいに広げた広葉樹が茂っていて、水面にその姿が映り、その先に山々が薄蒼く霞んで見える。
天気が良ければ最高の眺めなのになぁ。
「あっ」
ポチャン……。
そばで声がしたので振り返ると、さっきの不健康そうな男が川辺に佇んで水面を見ていた。
何か落としたのか。
男は少し神経質そうに手の指をクシャクシャと動かしていたが、ふと俺に気づくと
「すいませんが……火種を持ってたら貸して貰えませんか?」
そう言って男は右手によれた巻き煙草を挟んで見せた。
俺は煙草を吸わないのでライターは持ってない。
だけど少しくらいの生活魔法なら見せてもいいか。
「これで良ければどうぞ」
男の前に出した掌の上に3㎝くらいの火玉を浮かべた。
もちろん空中に出す事は可能だが、こちらでは人に出す時はこうやって手で差し出すのがマナーらしい。
確かにいきなり鼻先に火だけ出すのは失礼だしな。
こちらでも粋がってる若者が、シュッとかすめるように出したりして、『最近の若いもんは』と言われるのはどこの世界も一緒らしい。
「これはどうも。火種をうっかり落としてしまって……助かります」
男は煙草に火をつけると美味そうに吸った。
男は一見40代のように見えるが、30代かもしれないし、または50代かもしれない。
こけた頬と顔色の悪さが年齢をはかりづらくしている。
あの盗賊のギョロ目男のように、人の事を盗み見るような目ではないが、顔が細いのに目ばかり大きくて、視線がキョロキョロと落ち着かない様子だ。
「先程の光景見ましたか? 美しかったですねぇ」
男は横を向いて煙草を吐きながら言った。
「わたし、他の川でも見た事があるんですよ。エレーオスというところだったんですが。あそこの女たちも綺麗だったなぁ」
少し遠くを見るような目つきをして
「こちらでは 『水の蝶』とか言われてるらしいけど、蝶はもっと大きな羽でしょう?
エレーオスでは男達に最後の夢を見せるので 『慈悲深き魔女』 と呼ばれてましたよ。だけど魔女というのも失礼ですよね。夢を見せてくれるのに。
わたしは女神だと思っていますよ……コホン」
男は軽く咳をした。
≪ 神経性胃潰瘍 中度 ≫ ≪ 慢性気管支炎 軽度 ≫ ……。
解析してみたがやはりあちこち具合良くないんだな。
気管支炎なのに煙草良くないんじゃ……。
しかも最後に、なんだか難しい名前の病名らしきモノが ≪ 重度 ≫と出ていた。
どうもこちらの世界独自の病気のようだが―――これってかなりの重病人なんじゃ…………。
男がまた軽く咳き込んだ。
と同時にシマッタ! という顔をした。
「ああぁ、また吸ってしまった……! また彼女たちに嫌われる……」
彼女たちに?
なんか言動といい、不穏な感じがする。まさかこの男……。
俺の不審げな様子に気がついたのか、男はハッとこちらを見ると慌てて煙草を足元に捨てた。
「すいません。せっかく火種を頂いたのに……。わたし禁煙中だったんですよ。体に良くないって女房に良く怒られてたし、煙草の匂いが嫌いだと……」
足元の煙草を踏み消しながら、気不味そうに続けた。
「実はこれから女房と娘を迎えに行くとこなんです。ちょっと怒って実家に帰っちゃって……。
あーあ、あぁー……。つい緊張して吸っちゃったけど、これでまた匂いで嫌われるかなぁ……」
男はそう気落ちしたようにしゃがみ込んだ。
なんだそういう事か。
俺はてっきり自殺志願者かと思っちゃったよ。
禁煙を言われてるのに吸っちゃったら怒られるだろう。それに確かに煙草の匂いが嫌いな人は、煙草臭さに敏感だからなぁ。
「これ良かったら使います? 噛むと少しは臭いが緩和するかもしれませんよ」
俺は40を過ぎたころから、同僚が口が臭いと女子に陰口を言われているのを聞いて、自分も気を付けるためにガムを常用している。
ミント系のキシリトールガムだ。これは口の中をスッキリさせたい時とか、気分転換したいときに噛むのでいつも持ち歩いている。
「これは? ミント系の噛み煙草とかですか?」
男は手に取ったガムの匂いを嗅いで訊ねてきた。
「煙草じゃないですよ。なんというか……口の中の臭い消しと言ったらいいのかな?
噛み続けると口の中が爽やかになりますよ」
「おおっ それは有難いっ、助かります。ありがとう!」
男は嬉しそうにガムを噛みながら川辺を歩いていった。
気分が良くなったのか、頭の部分のオーラに少し赤みがついたのが見えた。どうせだから服から臭いを抜いてやるか。
俺はこっそり風魔法で、男の服から埃や臭い粒子を飛ばしてやった。
これが後で彼女たちの警戒を解くハメになったのだが。
ふと振り返ると奴と目が合った。
樽に板を載せただけの簡易テーブルでジョッキをあおっている。
「さっきの人さぁ、例の志願者かと思っちゃったよ。ただの具合の悪い人だったけど」
俺は持参のコーヒーのペットボトルを出しながら話した。
「なんか体調がかなり悪いみたいだからさ、治してあげてよ」
「嫌だね。オレは手を貸さんぞ。運命を変えることになるからな。人間のお前がやるなら話は別だが」
「なんだよ。俺が治癒どころか回復魔法も使えないの知ってるじゃん」
「それはお前が練習しないからだ。やるなら教えてやる」
「うー、人の体いじるの怖いんだよなぁ。
わかったいいよ、どうせ通りすがりの人だし」
だが俺は、後々こうやって治癒魔法を練習しなかった事を後悔する事になる。
だがそれはまた別の話だが。
40分ほどして船は再び桟橋から滑り出した。
船頭が前後入れ替わって、今度は前にいた男が後ろで舵を握った。
船はまたするすると揺れもほとんどなく、川面を軽快に進んでいく。
だが空はどんどん灰色の濃さを増して、雨がいつ降ってもおかしくない空模様になった。
「そういや他の魔物とかっていないのか?」
水上に時折のんびりと浮かびながら、毛づくろいをする水鳥を見ながら奴に訊いてみた。
「セイレーンが出る処にはほとんど他の魔物は出ないな。大体魔素が少ない地域だし、アイツらの体液は他の魔物にも猛毒だから、血の一滴でも口に入ったら逆に餌食になる。
他の肉食系が縄張りに入って来ると、自分の体液を水中に巻いたりするんだ。
だから自然と他の魔物は近寄らなくなる。
危険とわかっていながらわざわざ近づくのは、人間の雄とオークだけだ」
ううーむ、男の
それにハナから人間の男狙いだしなぁ、あの姿は。
「初めはもっとお前のとこのイルカみたいな姿だったんだ。
だけど高確率で人間が引っかかるから、だんだん人間の遺伝子から情報を得るようになったんだよ。
アイツらはオークを嫌うから、必然的に人間狙いに特化したとも言えるな」
「そういう悪循環(?)みたいなので進化したのか。だけどなんで人間はセイレーンを駆除しないんだ?
さっきも本気で槍で突いてなかったみたいだし。まさか保護魔物とか?」
「客寄せのためでもあるし、さっき言ったみたいに他の魔物避けになってるからだ。セイレーンがいない処じゃ別の魔物を警戒をしなくちゃならんからな」
それに……と少し斜め前を見ながら言った。
「下手に自殺してアンデットになる者が出るより、ここで迷いを消してこの世から去ってくれた方がいいからだ」
「それって自殺を誘引するんじゃないのか? なんで止めないんだ?」
ジロリと俺の目を睨むように見る。
「ここはお前のとことは違うんだぞ。
教会で悩みは聞いてくれても、実質的には助けてはくれない。ギルドの共済金はあくまで一時金だし、救貧院というのはあるが、絶望を育てる場所がほとんどだからな」
「そんなに酷いところなのか……」
俺こっちで鬱になってたら生きていけなかっただろうな。
「ここはそういう者にとっての、一種の安楽死の聖域なんだよ」
「聖域ねぇ……。確かにどうせ死ぬなら最後に夢くらい見たいかなぁ……」
「それもあるがもう1つ理由がある。
……まぁこの話はもうやめとこう。お前のメンタルが沈みだす」
なんだよ。中途半端にされた方がよっぽどモヤモヤするっつーの。
それから1時間ほどしたあたりから、左手に段々と山肌が迫ってきた。
するうちに前方の川が二手に分かれているのが見えた。
渓谷の入口である。
「これからフィラーの渓谷に入りまーす。念のためベルトを締め直してくださーい」
船頭が大声で注意喚起をする。
船は滑らかに左のほうに流れていった。
両側が盛り上がった土の壁で囲まれ、先ほどの川幅よりずっと狭い。それでも学校のプールの長さよりはずっとあるだろう。
時々水面ギリギリに岩が顔を出していて、うっかりぶつからないか冷や冷やするが、船頭は慣れたもので巧妙にそれらを避けていく。
ポツン……。
水面に波紋が広がった。とうとう雨が降って来たのだ。
雨は降り出すと大降りではないが、結構な大粒で水面や天井で音を立て始めた。
だが簡易な天井に四方ガラ空きな船にもかかわらず、中に雨が降りこんでくることはない。
これも水魔法なのだろうか。
「そろそろセイレーンの巣に近づきまーす。お客さん達ぃー、絶対にあいつらの目を長く見ないでくださいねー。あともう一度ベルトを―――」
そうか今度こそ用意しなくちゃ。
俺はそわそわと腕から護符を外すと、スマホとして真っ直ぐに伸ばした。
ホントにこれ、まるで錫で出来てるみたいによく曲がったり伸びたりする。
一応、空き容量確認してと。
うーむ、ここはやっぱり高画質で撮るべきなんだろうけど、容量からしてどの位撮れるんだろ。こんなことならもっと大容量のSDカードを入れておくべきだった。
「お前、撮るのに夢中で落とすなよ」
「わかってるよ、うっさいな。
いまオートで撮るか、マニュアルで撮るか、悩んでるんだから邪魔しないでくれよ」
「あ……馬鹿リース……」
奴が呆れ顔で言った。
ハイハイ、男はみんなそうだよ。
ナジャ様がここにいなくて良かったよ。
いたら絶対この船には乗れなかったな。きっと。
「おいっ 出たぞぉ!」
客の誰かが上げた声に、俺も顔を上げた。
両側の山肌はいつの間にか土から岩壁に変わっていて、ところどころに岩が隆起していた。
その上に彼女達が座ったり、寝そべっているのが小さく見えた。
「それではここから減速しまーす。くれぐれもベルトを外さず、手を出さないようにお願いしまーす」
船が明らかにスピードを落とした。
確かに岩礁地帯らしく急に岩々が多くなった。
だが減速したのはその為だけではあるまい。
両側から大きくせり出した大岩のせいで、トンネルのように狭まった岩の間をゆっくりと抜けていくと、そこには岩や水面に大勢の緑の蝶たちが舞い、羽を休める、まさしく楽園のような光景が広がっていた。
「あれっ?」
俺はその左右に広がる緑と白の蝶たちの中に黒い異物を見つけた。
それは全身黒い姿をして、山寄りの岩の上にポツンと1人座っていた。
両膝に肘をのせて頬杖をつき、前屈みになって辺りをぼんやりと眺めるとなく見ているようだ。
船が大岩のトンネルを抜けきると、こちらに顔を上げた。
「リブリース様……」
彼はニッと白い歯を見せて、大きく手を振ってきた。
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