第86話 忍び寄る災い
「大変だっ! 早く帰って知らせないとっ」
ターヴィが救出した時のように顔色を無くした。
★★★★★★★★★
次の日も晴天だった。役場でまたターヴィと待ち合わせて、森までダッシュする。
今日の門番はフランだった。
だから門をほったらかしにして、くっ付いてくるわけにはいかない。
「物欲しそうな顔するな」
出て行く俺達を、じとーっとした目付きで見てくるフランに、思わずヴァリアスが撥ねつけるように言う。
言い返すと、ますます怒られるのがわかっているので、何か言いたそうにしたフランは、そのまま門の側で項垂れた。
そのまま通り過ぎるのかと思ったら、ヴァリアスの奴がフランの垂らした手を見て声をかけた。
「お前、今、殴打訓練の時、手に何を付けている?」
「手に? いや、何も。素手っすよ」
話しかけられてパッと顔を上げるフラン。
「馬鹿か、お前はっ。そんな中途半端な強度しかまだないのに、素手で打つ奴があるか。
拳が壊れるわっ。
厚手の布か、出来れば革を巻けっ。
それと拳全部を使うな。
人差し指と中指の拳の頭(指の付け根の出っ張り)だけで打て。
拳傷めるぞ。
やるなら、もっと体が出来てからにしろ。わかったか!」
「ハイッ! あざーすっ!!」
フランは嬉しそうに頭を下げた。
あー、また変にかまうから、懐かれちゃったよ。
こいつも戦闘に
前日同様、午前中はテイムの練習、昼メシをとった後は、また猿飛びの術の特訓となった。
今日は例のモンチッチの代わりをターヴィがやる。
つまり俺が鬼になって、ターヴィを追っかけ回すのだ。
言葉にするとなんだか、公園で小さな子に速度を合わせて追いかける、日曜のお父さんのような微笑ましいイメージがあるのだが、もちろんそんなものは欠片もない。
ブートキャンプである。
「リトゥ、捕まったら殺されるつもりで逃げろよ。蒼也は捕まえられなかったら、スイトープ(お菓子芋虫)を生で食わすからなっ。そのつもりでやれっ」
下で奴が脅迫めいた怒号をする。
ターヴィにしたら、それのどこが嫌なのか、逆にご褒美じゃないかと思うのだろうけど、悪いが俺は絶対お断りだ。
子ザルのように樹々の中を逃げ回る、ターヴィを捕まえるどころか、追いかけるだけでも一苦労だ。
猿ではないが、猿が本気で樹上を逃げ回ったら、普通は人が追えるレベルじゃない。
だが、自分でも変だが、ここ最近、俺の感覚は以前に比べて研ぎ澄まされ、肉体がそれに鋭敏に反応出来るようになっているのを感じる。
今もターヴィの動く背中に集中していると、もう少しで手が届きそうな感じがしてくる。
でもそれはやはり錯覚で、うっかりすると
「あっぶねっ!」
一瞬ターヴィの陰で見えなかった枝にぶち当たりそうになって、慌てて首を曲げて避けた。
「蒼也、まわりの探知もしっかりしろっ。対象ばかりに集中するな」
はい、はい、わかってるよ。
だけど魔法使い1年生の俺は、まだそこまで巧みに出来ない。
対象に集中してしまうと、どうしても周りがおろそかになってしまう。
ターヴィは、
やっぱりつくづく年季が違うと思う。
ターヴィが樹から飛び降りて、まるでリスのようにすばしっこく地面を走る。
根っこや倒れた樹に足を取られるどころか、足場にして、蹴りながら方向を急に変える。
まるで動きの予測が出来ない。
さすがは
感心しながら、ターヴィばかりじゃなく、なんとかまわりにも意識を持って行く。
樹の上を小鳥たちが高い声を上げながら飛び立つ。
俺達の物音に驚いて、穴に引っ込むネズミの尻尾、茂みの中からこちらを伺う中型犬くらいの猪豚もどき、木の洞から顔を出すリスのような……。
と、急に不規則なジグザクを描いていたターヴィが、急にこっちに振り向きざま、腰に付けていたスリングショットを手に取った。
同時にベストのポケットから弾を取り出す。
何っ? 応戦ありだったけっ ?!
俺は咄嗟に身構えた。
だが、ターヴィが狙ったのは、俺の左斜め後ろだった。
続けざまに2発放ったその弾は、確実に獲物の額に命中した。
『ギャブンンッ!!』
猪豚もどきはそっくり返ると、そのまま絶命した。
「お見事っ! 猿飛先輩っ」
お世辞ではなく、その無駄のないシャープな動きに感心した俺は、軽く拍手しながら褒めたたえた。
だが、そんな俺のほうに見向きもせず、ターヴィはすぐに獲物に駆け寄っていた。
その顔が妙に焦った様子だったので、俺も無駄口を閉じた。
ターヴィは猪豚の口を慌ただしく調べると、呆然と立ちすくんだ。
「ど、どうしてここに……」
「
いつの間にかそばに来ていた、ヴァリアスが言った。
「ジブタって、この猪豚のこと? ああ、そういえば昨日、ここら辺にはいないって言ってたっけ」
俺はあらためてその豚を観察した。
柴犬ぐらいのサイズのその豚は、やはりおでこがほぼ直角で、桃型をしたピンクの鼻に黒い斑の模様があった。
密集したやや硬そうな短毛も、黒と白の斑模様で、昨日見たのとは違う。
「これが地豚なんだ。こういう斑模様の豚をいうのか」
「違うぞ。模様や色は色々だ。
特徴はこの三角牙だ。短いが、
確かに弓なりに反って伸びた、その2本の下牙は内側が少し凹んでいて、上から見ると三角形のような形をしている。
その三辺はエッジが強く、刃物のようになっていた。
「へえー、じゃあ昨日見た奴も地豚だったのかな?
離れたところから見ただけだから、牙が三角だったかわからないけど」
「ええっ、他にもいたんですかっ !?」
ターヴィがビックリして俺のほうを振り返る。
「え……ええ、斑じゃなくて焦げ茶で、猪と豚の合いの子みたいな奴が。
猪ほどじゃないけど、下牙が出てたのがいましたけど……」
なんだ、そんな大事な事なのか?
「なんで昨日、教えてくれなかったんですかっ?!」
急に問い詰めるように言われて、たじろぐ俺。
「しょうがないだろ、蒼也は地豚を知らないんだから」
ヴァリアスの奴がさらっとフォローしてくれたが、なんだか腑に落ちない。
こいつだってその存在に気がついていたはずだ。
「大変だあ。こうしちゃいられない。早く知らせないと」
オロオロするターヴィの姿に、俺は奴に訊いた。
「おいっ、どういう事だ。地豚ってそんな危険な存在なのか?」
「この森にはオークがいないって言ってたろ」
奴が少し含みのある言い方をした。
「地豚はな、そのオークの媒体になる動物なんだよ」
★★★★★★★★★
転移で役場裏に跳ぶと、すぐに中へ駆け込んだ。
また俺の力で跳んだ事にしたが、もう四の五の言ってる場合じゃない。
俺とターヴィがすぐ走り出したのに対して、奴は後からゆっくり役場に入ってきた。
外にはカードゲームをする老人が2人、中にはいつもの事ながら右のテーブルに、お茶する老婦人が3人座っていた。
「何かあったんですか?」
俺達の慌てた様子に、カウンターからポルクルが立ち上がった。
「村長は?」
「
アマムというのは俺達がいた森の名前だ。
「あ~っ そうだったあっ」
今日、森に変わりがないか調べに行くって、言ってたよな。
村長も行っちゃったのか。
「どうかしたんですか?」
心配げにポルクルがカウンターから出てくる。
「地豚がいたんです。アマムに」とターヴィ。
「「「「エェッ!?」」」」
オバチャン達まで振り向いた。
「おい、ちょっとこっち来い」
俺はカウンター横の階段の方へ、ヴァリアスの袖を引っ張っていった。
「どういう事だ? 説明しろよ。わかってるんだろ」
すぐにすっ飛んで帰ってきたので、その場で説明を聞いている暇がなかったのだ。
絶対にこうなる事を、こいつは知っていたはずだ。
「あれっ、言わなかったか?」
こいつすっ呆けやがって。
「地豚がオークの媒体なんて、一言もきいてねえぞ。罪人の成れの果てだって事しかな」
「ああー、そうだったな。
なんだかナジャが、直接頭に叩き込むのは良くないとかぬかすから、説明が足りてなかったな」
「
大体、あんたは戦い方ばっかに熱心だが、肝心なとこが歯抜け状態なんだよっ」
「戦える力は大事だぞ。餌を獲るのも、身を守る為にもな。
特にハンターとしての地位や信頼度に影響する」
「その前に、俺の社会的信用が無くなるんだよ!」
何でもかんでも、余所者だから知りませんでしたじゃ、もう済まなさそうだ。
「ああ、早く村長帰ってこないかな」
その場でオロオロするターヴィ。
「えええと、まずは落ち着きましょう。今、お茶入れます」
すぐさまカウンターの中に引っ込むポルクル。
「ポーさん、ポーさん、わたし達、怖いから帰るわね。カップそのままでごめんなさいー」
そそくさと出て行こうとする、オバチャン達に、ポットを持ちながらまた慌ててポルクルが伝える。
「皆さんっ、まだ何もハッキリわかってませんから、言いふらさないで下さいね!
わかったらあらためて、村中に連絡しますから」
ドアの前で立ち止まって、一斉に振り返った老婦人たちは
「「「わかったわ、ポーさん」」」
そそくさと出て行った。
「…………ああ……半刻(1時間)で村中に伝わっちゃう……」
ポルクルの眉が8時20分の時計針のようになった。
「すいません。おいら、つい、まわりを見ずに口走っちゃって……」
「…………いえ、こんな時は仕方ないです。
それに事の次第によっては、まだ村に残ってる男手も必要になるかもしれませんから、早く伝わったほうがいいかもしれませんし」
ポルクルがキリっと、短い眉を引き締め直した。
「フーン、チビ髭、さすがにジジイの下で、働いているだけはあるようだな」
壁ごしに待合室を見ながら奴が言う。
「こらっ、失礼だぞ。それより早く教えろよ」
「前にオークには雄しかいないって言ったろ」
奴がこっちに向き直る。
「ああ、だから他の種族の女を襲うんだろ」
「それは欲望の為だけだ。本来オークに生殖能力はない」
「何……じゃあ媒体っていうのは……」
「媒体というより
地豚にな、罪人の穢れた魂が入り込んでオークになるんだ。
地豚がいるって事は、オークが発生する可能性があるってことだよ」
ここでのオークは、女の腹から生まれてくるのではなく、豚に憑依して発生するのだそうだ。
その依り代になる地豚と呼ばれる野豚の一種は、単性で、哺乳類だが胎生ではなく、カモノハシのように卵生でもない。
その2本の牙が地面に落ちると、それが発芽するかのように、なんと豚に変化する。まるで植物のようだ。
種子生と言えばいいのだろうか。
だからこの豚がたとえ、他の獣の餌食になって喰われたとしても、骨が残る場合がある。
牙さえ消化されなければ、地面に落ちてそこから生まれてくるのだ。
地面から生まれてくる事もあって、『地豚』と呼ばれているそうだ。
そのため、繁殖させやすいにもかかわらず、家畜として一般的に豚は飼わない。
地豚以外はオークにならないと分かってはいるが、万一ということもあると恐れられているからだ。
以前、狩りをするのが面倒と思った大農家が、ドードー小屋の後ろでこっそり、地豚を繁殖させたことがあった。
いい加減な管理のせいもあって、オークへの変化を見逃した結果、その村は壊滅した。
以来、国中で地豚の繁殖・飼育は禁止となっている。
「とっても大事な事じゃないか」
今までこの村にゴブリンどころか、
それがあのオークなんかがやって来たら―――。
「昨日あんたもわかってたんだろ? なんであの時、教えてくれなかったんだよ?」
俺は声をひそめて言った。
さすがにこいつまで知ってたのに、言わなかったのはマズい。
『それは人間どもの都合だろ。人間からしたら自然災害だが、恐らく‟地”の采配だ。
オレが邪魔するわけにいかん』
急に日本語に切り替えてきた。
『それにお前が直接困るわけじゃあるまい。ここに住んでる訳じゃないんだから』
ぐっ……こいつとはやっぱり解りあえない部分がある。
どんなに気軽につき合えても、一線を画するところがあるんだ。
しかし―――。
『だけど俺なら、その、邪魔しても良いのか? もしも気がついたら……』
『そうだな。お前は一応人間だし。
お前が自力でやるなら、人間が対処したことになるだろうから』
『だったら、今度っから、そういう危険があったらすぐに教えてくれよっ。
俺がやれるだけは何とかするからさ』
『うーん、オレがその場で、直接教えるのは仕事の妨害になるんだよなぁ~。
神託は勝手にできんし、あくまで人間が、自ら気がついて行動しないと意味がないからなぁ』
少しの間、腕を組んで上を仰いでいたが
『まっ、いいか。お前がこの地に住むづらくなっては、元も子もなくなるしな』
『おお、アリガトな。……だけどあんまり、そっちも無茶すんなよな』
自分で頼んだくせに、すぐ不安になる俺。
神様の
『心配するな。これまでもギリギリ違法を
問題はそこなんだよ。この神界アウトローが。
「お2人とも、こちらで座られませんか? お茶入れましたけど」
ポルクルがおずおずと声をかけてきた。
勝手なことは出来ないし、とりあえず村長を待つしかない。
隣で奴が「ビール」と
本当なら、全部預けて勝手にやらせた方が楽なのだが、渡せば全部一日で無くなるのは目に見えているので、俺がこうして小出しにしているのである。
酒はこいつを大人しくしておく切り札だからだ。
なんだか落ち着かず、かと言って何を言っていいのかわからず、ただ4人でテーブルに黙って座ってる状態で―――奴は空気を読まずに、マイペースで飲んでいる―――10分くらい経った頃、ドアが静かに開いた。
皆に同時に振り返られて、ちょっとビックリした、ノームのピジョンが立っていた。
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